昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

イタリア旅行No.21 フィレンツェの町の散策

2011年02月17日 | 海外旅行
11/12 イタリア旅行4日目、フィレンツェ アルノ川河畔の見物を終え、土産物探しに行きました。



「アッレ・グラツィエ橋」を北に進むと右手に「サンタ・クローチェ広場」が広がり、その向こうに「サンタ・クローチェ教会」が見えてきました。(下段の地図(2)の場所)

花の聖母大聖堂などと同じ白・暗緑色・ピンク、三色の大理石で飾られたファサード(建物正面)が輝いています。

「サンタ・クローチェ教会」は、清貧をモットーとする修道会(信者の会)「フランチェスコ会」の教会と修道院がある施設です。

又、この教会にはミケランジェロ、ガリレオ、マキアヴェッリ、ギベルティなど著名人の墓があることでも知られています。

鐘楼の右にある丸い屋根の建物は「ペルッツィ家礼拝堂」で、その右の渦巻き模様の飾りがある街灯が印象的でした。



右手の教会がミケランジェロ広場から見た「サンタ・クローチェ教会」です。

中世には教会一帯は川沿いの湿地帯で、貧民の住居などもあったようですが、城壁が拡張され次第に整備されたようです。

アルノ川に建つ左下の建物は、「フィレンツェ国立中央図書館」(下段の地図(1)の場所)で、イタリアのみならずヨーロッパ最大級の図書館として知られています。



フィレンツェの地図です。

フィレンツェのアルノ川周辺の散策を終え、「アッレ・グラツィエ橋」(地図右下)付近から「サンタ・マリア・ノヴェッラ駅」(地図左上)まで歩いて行きました。

途中のスポットに番号(1)~(8)を記しています。



「サンタ・クローチェ教会」の近くにあるお土産物のガラス製品を買ったお店です。(上段の地図(3)の場所)

こぢんまりとした店内には素敵な商品がたくさん並んでいました。

写真右下の猫のイラストや、猫の置物は、店先に飾られていたもので、店主と思われる感じの良い応対を頂いた年配の女性の趣味だったのかもしれません。



「サンタ・クローチェ教会」から通りを西に折れて進むと「サン・フィレンツェ広場」に来ました。

向って右手の砦のような建物は「バルジェッロ国立博物館」(上段の地図(5)の場所)
で、左手の尖った鐘楼のある建物は「バディア・フィオレンティーナ教会」(上段の地図(6)の場所)のようです。

「バルジェッロ国立博物館」は、1865年に設立されたイタリア最初の国立博物館で、多くの彫刻も展示されているようです。



「サン・フィレンツェ広場」の東側に建つパロック風の建物「サン・フィレンツェ教会」(上段の地図(4)の場所)です。

小さな広場に意外に大きな建物がそびえ、ファサードの大きな白い飾りが印象的です。



美しいファサードの「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」です。(上段の地図(7)の場所)

40~50名の子供たち(イタリアの中学生?)が先生に引率されて楽しそうに見学していました。

「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」は、神学の研究や、フランシスコ会同様、清貧を重視する修道会「ドメニコ会」の施設として造られたようです。

1494年、メディチ家を追放して神権政治を行った「サヴォナローラ」は「ドメニコ会」の修道士でした。

「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」は、中世フィレンツェの作家「ボッカッチョ」の「デカメロン(十日物語)」にも登場します。

物語は、ペストが大流行した1348年(実際にフィレンツェの人口の半数以上が死亡した)、若い10人の男女がこの「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」のミサで出会ったことから始まります。



「サンタ・マリア・ノヴェッラ駅」を背にして見た鐘楼のそびえる「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」です。(上段の地図(8)の場所)

左手の建物の上に花の聖母大聖堂のクーポラが見えています。

1436年3月25日、建築家ブルネレスキにより奇跡的なクーポラの工事が完成、聖母マリアへささげる献堂式が教皇エウゲニウス四世の列席で開催されました。

その頃、フィレンツェで亡命中だった教皇の居館がこの「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」でした。

群衆がひしめく「花の聖母大聖堂」までの道には高さ1.8m、長さ300mに及ぶ木製の台の道が造られ、たくさんの花々で飾られたと言われています。

祝福の歓声が響く中、教皇エウゲニウス四世や、重責を担う人達は、花で飾られた大聖堂への道を歩いて行ったそうです。

3月25日は、大天使ガブリエルが聖母マリアへイエスの受胎を知らせた記念日でもあり、花の聖母大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)の献堂式には最適の日でもありました。

このフィレンツェのウフィツィ美術館に数名の画家による「受胎告知」の絵があったことも何となくうなづけます。

夢中で歩きまわったフィレンツェの観光もこれで終わりました。

翌日は天空の城「チヴィタ・ディ・バニョレージョ」に立寄り、いよいよローマです。

参考文献
「天才建築家ブルネレスキ フィレンツェフィレンツェ・花のドームはいかにして建設されたか」ロス・キング著、田辺希久子訳、東京書籍発行