加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

東北紀行(4-1)

2018年05月21日 | 各地の凧揚げに参加しました

平成30年5月13日 朝5時ごろには目覚め窓の外を見ると曇り空で風もなし。
朝7時から朝食を食べ、早々に海岸へ移動した。
風が微風だったので微風用の六角凧を揚げペグで留め置きしました。ペグを打つと歩行者がつまづく恐れがおあるので赤い三角のビニルを付けた目印竹を挿して置くことにしました。

(ペグ用目印竹)
布団凧、フローフォイル凧、吹流し凧を順次ペグで留め置き揚げていきました。
これらのペグの根元には目印竹を挿して置きました。

(フローフォイル凧)

(吹流し凧)

(布団凧)

婦くら雀の連凧を揚げる時には風は5㎧を超えていましたが、皆さんに観てもらうために無理かもと思っていたのですが揚げました。50枚を超えるころから引きが強く、100枚近くになると揚げ糸を持つことも難しくなり、95枚位でペグに固定しました。

(婦くら雀連凧)
暫く揚げていましたが、風が強くなったので周りにいた方の手を借りて降納しました。
連凧を止めていたストッパーが相当破損したようですが、帰宅後チェックしたいと思います。

風が強かったので、強風用の婦くら雀凧を揚げました。
天候が不安だったので全天候対応の90cm婦くら雀凧です。尻尾は10mで飛揚しました。

(90cmの強風用婦くら雀)

日本の凧の会本部の「凧の八ちゃん」が揚がりました。

(凧の八ちゃん)

今回、沢山の凧を持参したのは凧を始めたころ、凧の師匠と行動を共にし凧についての礼儀などを教えていただいていました。その時、前夜祭で地区の方にお世話になったら、翌日の凧揚げでお礼の意味を込めてしっかり凧揚げをするのが、凧の礼儀だと教えらえたからで、30年経過した今でも守っていることの一つです。
それと、内灘の大会は30回の記念大会で多くの参加者で満足な凧揚げが出来ないと思い、種差海岸に来ることを決めた経緯もあります。

12時から民宿石橋で昼食とのことで参加者は手持ちの凧を降納しています。
私の凧は全てペグで固定し揚げていましたので凧を降納するのは大変でした。

凧を片付け民宿に戻り昼食を取り、自由解散となりました。
三戸郡五戸の新井田さんから昔の五戸凧の凧絵が見つかり、五戸凧を復元しようと努力されている方です。
八戸の朝市珈琲の佐々木さんは八戸凧の凧絵を描いておられる方で、両名とも仕事の関係で本日の参加となったそうです。
郷土の凧を復元しようとされており、何れは八戸、五戸凧が空に舞ってくれると良いですね。
新井田さんから資料館で凧の展示を計画されているので、参加者に凧の提供をお願いしていました。皆さんに観ていただければ嬉しいので、90cmの婦くら雀を提供しました。
新井田さんからお礼にと絵馬の形の凧を頂戴しました。

(絵馬凧 表面)

(絵馬凧 裏面)
この地方の多くの神社には午の絵が描かれた絵馬が奉納されているそうです。
昔から馬の牧場があり、「戸」の由来になっていると説明がありました。

参加者の方と別れ種差海岸に戻ると、春田さんご夫婦が「青雲」の連凧を揚げていました。
そのまま帰るには物足りなかったので30枚度の六角凧を準備し、揚げようと何度かトライしたのですが、午前中のような風はなく連凧も下がってきました。
六角凧をしまい次の目的地の奥入瀬渓谷と八甲田方面へ向け種差海岸を後にしました。


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