加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

令和5年 第35回内灘世界の凧の祭典

2023年05月14日 | 日々雑感

令和5年5月14日 昨夜から雨が降り、今朝も曇り空で会場に向かう途中で雨がポツポツと降る嫌な一日となりました。

コロナで3年間開催されなかったこの祭典でしたが、この日を待ち焦がれていた凧愛好家は多かったと思うのですが、曇天のため出足は悪いようでした。

今回会場で思ったことをあげてみると。
・スポーツカイトの会場が無くなったこと。⇒ 子供たちの自由凧揚げ会場となっていた。
・外国からの招待者がいない ⇒ 日本の凧の会本部から誰も来ていない。
・イベントステージカーがいない。 ⇒ 大会本部前での開会式となった。
・凧揚げエリアが広い感じ ⇒ 砂浜が海側に拡大していることと、凧揚げエリアがABCの3区画となり凧揚げ会場が広くなり凧揚げがしやすくなった。
・テレビ撮影用のリフト車が設置されていない ⇒ 石川テレビ局の経費削減か?
・スピーカーの設置が少なくなった ⇒ 会場が少し静かになった。
・県内、県外からの参加者の減少 ⇒ 前夜祭がないのが影響しているのかも?

今回、県外からの参加団体は北は北海道から南は鹿児島からと広範囲での参加者でした。
県外の参加団体は19グループの予定が12グループが参加したようですが、そのうち
愛知県からは9グループの参加でした。
多くは長期天気予報で天候が悪いので参加を見合わせたのかも?。
県内からは”凧の菊屋”、”エバー航空 金沢支店”、白山市郷公民館”、”金沢市大徳・木曳野小連”、”婦くら雀凧の会”の5グループでした。

                 (開会式)

              (開会式 町内参加者)

              (開会式 県外参加者)


主催者側が用意されたテントも空きスペースが目立ちましたが、空の方も風が弱く、揚げているときに雨が降る天候で今までにないコンディションでの凧揚げで広い空になりました。

開会式後自由凧揚げになり風も弱かったので、連凧を揚げることにしました。
東日本大震災の”凧・絆凧プロジェクト”の連凧です。
2011年の大震災から毎年、10枚ずつ連凧を繋ぎ昨年2021年の10年目で110枚となりました。
この慰霊の連凧を”青森県”、”岩手県”、”宮城県”、”福島県”の津波被害にあわれた海岸で慰霊の凧揚げをする目的で連凧を繋いできたのですが、昨年はコロナが終息せず、今年はと思っていたのですが、家族から高齢で長距離の運転を止められあえなく断念していました。
今回、連凧を揚げて慰霊の連凧を解体するつもりで揚げました。

             (凧・絆プロジェクト連凧)

揚げている途中で、大会本部から凧揚げ審査に来ましたが、手持ちのエントリー資料に載っていないようでスルーされました。

今回の大会の申込み用紙には駐車券をもらうためにはお土産引き換えとして千円徴収するとの申込み書式でした。
申込み前に凧の実行委員会に電話で確認すると申込時にお金を払わないとエントリーは
ならないような話しぶりでしたが、以前から駐車券だけ送付してもらっていたことを話し、今回も駐車券を送付してもらいました。
お土産代を払っていなかったのでエントリーに載らなかったは今回だけではなかったかなと思っています。

連凧も風が無くなり降下したので降納しましたが、あいにく雨も降る中のでの回収で凧が砂まみれとなりました。

連凧の後にはリップストップ製の六角を揚げました。
この凧は軽いので風に乗り、グングン上昇し最後は糸巻きの糸が全て出るまで揚がりました。
およそ100m位は糸が出ていたのでしょうか?

              (リップストップ製六角凧)

風も弱くなり、この六角凧は一番高く揚がっていたので、他の凧が全て降りて最後に降納しました。
リップストップ雨で濡れていましたが、手拭いで拭くとすぐに乾きました。

昼食を食べずに帰宅する参加者出てきました。和紙で作った凧を持ってきた参加者は一度も揚げずに帰る方もいたようです。

12時半から12畳の大凧チャレンジをするので観戦し、1回目の試技で静止しなかったのですが引き揚げで揚がったのを見て帰宅しました。

                 (大凧チャレンジ)
帰宅後、連凧を応急的な竿に掛け雨露を乾燥させました。
後日、砂を払い連凧を解体する予定です。






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