加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

平成8年24畳凧を製作

2014年04月14日 | 百畳凧飛翔を夢見て

・平成8年(1966年)1月 阪神淡路大震災の被災児童に提供するプレゼント凧「エイ凧」を内灘凧倶楽部浜風で38枚製作。町のメッセージ凧の組み立ての手伝い。

・平成8年3月9~10日 「神戸ふれあい全国凧あげ大会」に参加、本来なら、震災の復興支援として参加したいのであるが、3月は年度末でもあり多くの会員から参加できないと断りがあったので、浜風の一部の会員の参加となった。

・平成3月 24畳凧の竹割、竹削りを開始した。凧絵を書きたいと志願したメンバーがいたが、なかなか凧絵の下書きが始まらず、当初の計画より遅れ予定が立たないので困った事態であった。
 それでも3月中には和紙に絵を描き、4月に竹を張り、4月末には糸目合わせを行い、5月初めには試し揚げの予定であったが、結局5月4日の大会当日が初飛翔となった。
 今回の『世界の凧の祭典』が浜風の初デビューとなったのである。したがって、凧の揚げ方や降ろし方などの諸作法はぶっつけ本番となり、参加者の皆様には迷惑をかけたのではないかと大いに反省しました。
 後日、反省会で来年は50畳凧の制作、平成10年は目標の100畳凧作成となるので、作業の工程を守るようにと申し合わせを行った。
 
 平成8年10月、浜風メンバーで『しろね大凧と歴史の館』を見学し、大凧製作の第一人者の田村様に百畳凧のご指導を改めてお願いしました。
 後日、田村様より百畳凧の製作に関してご尽力いただける旨の返事をいただき、百畳凧飛翔は現実味を帯びてきたのである。

・11月田村様より白根では佐渡から竹を購入するので、50畳凧を作るのであれば一緒に購入した方が良いのではないかとの問い合わせをいただき、役員会で協議した結果、白根にて購入してもらうことでお願いすることになった。

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