武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

空に浮かぶもの(色鉛筆作品615)と 制作における語録

2021-07-21 09:48:20 | Weblog

やっと梅雨が明け、青い空を見上げる日。

ヒト型のような形が空に浮かんでいる。

守り神のようなものであればいいと思いつつ、絵を見ています。

表情は、微笑んでいるように見える。

可愛らしく控えめな微笑みで、どことなく静けさを感じます。

この形は、よく武内の絵に出てくるのですが、

元々は、一筆描きの形から発展していったもの。

何度も、何度も、6Bの鉛筆でデッサンしていました。

それを色鉛筆の作品にしたものです。

浮遊感覚と自由な発想をを楽しんで頂けたらと思います。

私は、変な絵だなぁ~と思いつつ、可愛い感じがいいと思っています。

 

そんなヒロクニさんは、話好き。

暑くなってから、アトリエで過ごせない時間になると、

クーラーのかかっている部屋(台所ですが・・・)にやってきます。

肩のマッサージが終わると、ムクッと起き上がって、私と話します。

話すというより、話を聞いて欲しいという感じ。

話は絵のことばかりで、難解な時が多い。

↑話をしている時は、こんな風であります。

遠い目をしている時は、絵の話をしています。

上半身裸というのは、定番というか見慣れた姿。

「芸術家は、上半身裸が当たり前なんだ!!」と言って、

私の絵画教室の子供達と言い争ったりしたことのある人です。

「服着ろー!!」という、子供達と真剣に張り合って、

わざわざマルセル・デュシャンの写真、それも上半身裸の写真を見せて説明していました。

「芸術家は、これが普通なの。」と、写真を指さして言い、

次にその写真を額に入れて、これを見よ!とばかり、目立つところに飾る始末。

子供達には、その写真は古く思えるようで、「古臭い~。」と、ワイワイ。

(それも言えてるので、もうなんともねぇ~。)

良人と子供達の間での、教室以外の珍事が多く、とても教室は賑やかで、

仲裁に入る忙しいわたし・・・・。

本当にワイワイ、ガヤガヤ、ケンケンガクガクで、

その様子は、いい思い出になっている。

話が横道にそれそうなので、話を戻します。

こういう時は、絵を描いている続きの状態なので、

現在描いている絵をどうするか?という思いの話が多く、

その時の気合や思っている言葉をよく話す。

(左上に見える猫の絵は、ふたりで飼った始めての猫ちゃんの絵、キタハマちゃん。

 ヒロクニさんが絵を描く横でぐっすり寝ている様子の絵)

私は、時々、それをメモしている。

↑メモの紙

たくさんあって、これが部屋のあちこちに。

ちょっと書いているものを見てみると・・・。

ヒロクニさんの言葉のメモを一部、紹介。

■ちょっと走るから(←絵を描くことを走るという)

■優秀なアーティストは、心の根を描いている。

■制作の意識が沈んでから寝ることにしている

■対立するものがある時に出てきたもので、そういうのはもういい。

■時代が運び去ったものって凄い。そこに意味がある。

■絵って見つけないとあかんものがある。溜め込んできたものがあるんよ。

■それをそういう時は、つかんでしまうねん。

■何の値打ちもないねぇ。(←この言葉はよく使う)

わたし自身のメモもある。

*好悪の感情に縛られているだけでは、真の自由な意志などどこにもない。

*言葉というのは、どれもが仮のものであり、あくまで1つの方便

*過剰な繊細さに陥らない

ヒロクニさんの言葉とわたしのメモを改めて読んでみると、

関心ごとの違いがよくわかる。

こうやってメモをしておかないと、すっかり忘れるので、やっているのですが、

実は、聞いていても「何のことを言っているのかな?」と、分からないことが多く、

後で分かることもあるかもしれないし、他の人の方が分かるかもしれないと思い、

メモをつけはじめました。

部屋は、紙くずだらけの家になっていて、それがあっちこっちに散らばっていて、

夫婦共々、紙に埋もれそう・・・・。

お互い「これは捨てないで!」と言い合っています。

 

朝、ヒロクニさんから、

「ここからひまわりが見えるから、椅子を入れて写真を撮って。」と言われました。

↑朝日が入ってきています。

背もたれの付いた椅子に座れるようになり、楽になったそうです。

以前は、丸椅子でした。

「楽やねぇ~。」と、何度も言われます。

前はしんどかったのを強調したいのだと。

「椅子は、まだ買えません。がまんしなさい。」と、

言って取り合わなかったから、何度もいうのでしょうね。

私とよく似てきたと思います。

何度も言うというところが・・・。

 

↑こちらが制作中。

風が吹いて、紙が飛ぶので窓はすぐ閉められます。

紙はあちこちに散らばって置かれているので、紙の山が崩れると困るから。

朝のひとときの時間の写真です。

 

↑ひまわりの背が伸びてきています。

朝、この時間ひまわりをよく見ているらしく、楽しみにしてくれているみたい。

ひまわりは、ヒロクニさんのリクエストで植えています。

今日も暑くなりそうです。

がんばろうね。と言いたいのですが、マスクは暑いし、

部屋も暑いし(クーラーを入れるのにお許しがいる。ヒロクニさんは寒がり・・)、

ピー(猫)はくっつくし、蚊も多いし、部屋はムチャクチャだし、

まず、掃除をしなくては・・・、と思うのでした。

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (ともりん)
2021-07-25 22:55:18
バックのブルーがなんてきれいなのでしょう。夏の色です。空のような水の色のような。私の感覚だと、水、です。
モチーフは、うーん、難しいです。ヒトのような顔のような、じーっと見ていると全然違う生命体として動き出しそうです。
なんであれ、これらの生命体は嬉しそうでウキウキしているように見えます。ウキウキする感情が楽しくて好奇心があって、膨らんできているようです。

今回はヒロクニ先生の日常と制作を感じる回で、ちょっと嬉しいです。
上半身裸、、芸術家はこれが普通なのですね……。そう言われると納得してしまうように感じます。
うん、なんかそうかも。おしゃれな服や個性のある服を着ているより、芸術家は裸かも。魂の戦いには裸が似合うのかも。
キタハマちゃんの絵がすてきです。このような日常の中のひとつの要素としてあると、単独で見るよりも魅力的に感じました。

たくさんのメモ、文字通り「言葉の海に溺れる」ですね。言葉は時間が経つと忘れてしまうので、メモで留めておくことは貴重なことだと思います。
でも、量が増えるのは悩ましいですね。
「なんの値打ちもないねぇ」。自分的に、色々考えてしまいました。そもそも、行為に値打ちを求めているのでしょうか?それとも、値打ちがないことが値打ちがあるのか。
心に留まった言葉は日常にたびたび出現しますが、それに対して考察を深めていくと違う方向にいったり気が付かなかったことを発想したりします。
ヒロクニ先生の言葉とさほりんの言葉、それぞれ言葉の感覚があり、面白いと思いました。ヒロクニ先生は概念的な感じもしますが、宗教観の表現として考えられそうな気がします。
さほりんの言葉は、一見現実的なように思えますが、哲学的な思想のように感じました。
余談ですが、私は気になる言葉や文章はノートに書いています。たまにそのノートを見直すと、自分が好きな考え方や言葉のニュアンスが第三者的立場で感じられて、ちょっと面白いです。
自分が感じた言葉に対して、第三者として自分がその感想を持ち、その言葉に何かを感じた自分に対して思考をめぐらすような感じです。自分の循環参照、な感じです。

半分開いたすりガラスの窓から見える深い緑のお庭、モネな感じがしました。深い色が続くそのずっと先に自分が行ったきり帰ってこれなくなりそうな感じで、ちょっと怖いです。
でも、ひまわりがあると、その生命力がモネを凌駕して、絶対に帰ってこれそうな感じがします。
掃除は、まず、手の届く気になる場所から少しずつ……。あせらず、で大丈夫です。きっと。
返信する
ヒロクニさんは、ブルーもよく使う色のような? (さほりん)
2021-07-26 13:01:17
コメントありがとうございます。
この絵の水色は、こすって密な表面になっていて、表面が光っています。印刷されたようになっています。そのせいか、水色が一際印象に残るのかも?私は、この水色に魅かれて取り上げました。形は、理解は出来てません。(汗)この頃は、無理して理解するのは、あまりいいことではないと思うようになりました。ボーと見て楽しむ方がいいと思っています。難しく感じているのは、同じです。(笑)

ヒロクニさんは、上半身裸の状態が多いです。やはり暑いところ生まれ(鹿児島県徳之島)だからなのか?こういう感覚は、バタ臭く西洋的な感覚がすます。とにかく、近所をその格好で歩かないで欲しいと願っています。近所の方に謝ってまわることもあるのです。トホホ・・・。

メモをとることをしている内に溜まってしまい、まとめてブログに書きました。急に話し出すので、いつも「何を言っていたのかな?」となり、忘却の彼方に。時に、重要なことを言っていたかも?と思い返してもさっぱりなのです。時々、メモを見てもさっぱり?ということも多いのですが、何かの役に立つかもと思いやっています。
「何の値打ちもないねぇ。」は、世間が値打ちがあると思われている価値観は、自分に取っては意味がないというニュアンスのような感じで使っているのでは?という風に感じています。その価値観は、やはり自分の物差しで計っているように思います。
ともりんは、私の理解者かも?私の言葉は、『ループ 忘れられた記憶の旅』というものから抜粋しているので、確かに哲学的な要素は大きい。その指摘鋭い!そして、ともりんは、ノートに書いているのですね。溜まった言葉はノートに書いて整理しようと思いました。解決策ありがとう!嬉しいコメントです。
庭は、暑くてあまり出れません。蚊もすごいし、水をあげたら、家に入ります。現実が厳しすぎ。ともりんの帰ってこれなさそう・・、はロマンティックですね。ヒロクニさん的です。いばら姫にはなれそうな予感がしますよ。
お掃除、少ししかしていません。まず、メモをノートに写すことから、初めてみますね。
優しい、お掃除アドバイスありがとう!ともりんは、優しいなぁ~。心が和みました。
ありがとう!
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