武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

武内ヒロクニと金十丸

2010-10-24 21:07:22 | Weblog
金十丸、奄美の英雄伝説―戦火をくぐった疎開船の数奇な運命
前橋 松造
南方新社


ヒロクニさんは、この本を最近読むと子供の頃の記憶がはっきりしてきているらしく、「そうだったのかぁ」と事実と自分の記憶をたどりながら人生のあるページを認識している。人は認識を確信する追体験として人に話したいらしく、わたしは、夜お話しを聞いている。
第二次世界大戦の終わり、ヒロクニさんは、この金十丸に乗ったのだった。徳之島生まれだが、この船に乗って集団疎開した時は、硫黄島で教師をしていた両親と共に疎開したと言う。十島村と呼ばれる十個の島々を行き来するのは、十島丸だそうで、三島丸と思い違いをしていたらしい。疎開した次の船は海の藻屑と消え、その記憶を振り返ると「生き残った」と言う言葉しか出てこないそうだ。

ヒロクニさんが、この本で分かった事は、この金十丸は、300t程の大きさで、船体に工夫がされ船体が沈む深さが浅く速度が出る船だった。十島丸は、55t程の船だったというから、かなり大きな船だったらしい。しかし、船だけで助かったわけではなく、船長の前田氏は、豪傑だったらしく、魚雷を避ける船の運航の腕がかなりの力量だったらしく、ジグザグと進んだかと思えば、岩影にひそかに船を寄せ、人々の命を守ったと言う事です。終戦を迎えると共に、アメリカからあの船を運転していたのは誰だ?ということになり、その船長に賛美をアメリカ人が贈ったそうです。
ヒロクニさんは、飛行機からのアメリカ兵の狙撃でも助かった話や、金十丸に乗ったことで無事疎開出来、ガンの余命宣告を受けたにも限らず尿療法で命拾いし、今元気で生きている。(本当は病院に行かないので、分からないのだが・・・)
なんか、この世には法則ってあるのかしら?と思うのでした。
この本は今ヒロクニさんが読んでいるので読めないが、読むつもり。
戦争って嫌だね。

 
生き残っているヒロクニさんです。
家の庭にて 2010年秋
コメント (1)
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