瀬崎祐の本棚

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something  21号  (2015/06)  東京

2015-07-10 17:04:07 | ローマ字で始まる詩誌
 表紙は全面カラー写真でA4版の美しい装丁の詩誌。同人誌ではなく、3人の編集者の元に集まった発表者(女性限定?)がそれぞれ4頁を詩とエッセイで埋めている。

 「干物」和田まさ子。
 「今年の秋が/いそいで横を通りぬけるので」落ちてしまった穴に祖父がいたのである。祖父のたあいない話を聞いているとなにかが降ってくる。そして、

   じっと見ていたら
   わたしの前で
   おじいさんが
   アジの干物になっていた
   今日の夕飯に
   食べたい

 何が言いたい作品なのかもわからないが、そんなことは抜きにして、とにかく面白い。幼い頃に面白かった絵本や童話がそうだったように、面白さに理屈などは要らない。どこまで世界が飛んでいけるか、だ。

 「いもうと」坂多瑩子。
洋裁のうまいいもうとが勝手にわたしにワンピースを縫ってくれている。ほしくもないわたしのワンピースは「座敷をぬけて/縁側を出ていって/袖口がこすれ」ているのだ。おそらくは、わたしの手足もジョキジョキ切られて、遠いところまで連れて行かれたりするのだろう。それでもわたしは謙虚なのだろう。最終連は、

   いもうとはいつも強引だ
   ずっと遠くまでいって にいっとわらう

 「黒い兎」田島安江。
 どこかの家から「夜中にするりと抜けて」きた黒い兎を、わたしはあのひとがしていたように抱いている。すると、あのひとがいなくなったということが伝わってきたのだ。

   兎の濡れた毛先から、遠い地の草の匂いが漂ってきて、川辺を
   歩いていくあのひとがその先の森に入っていこうとしているの
   がわかった。濡れた毛先の水の粒のなかに、いくつもの植物の
   実が付いている。その実に見覚えがあった。

 黒い兎は夜そのものなのかもしれない。夜はあのひとを遠いところへ連れていくのだろう。   
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詩集「羽を拾う」  田尻文子  (2015/05)  土曜美術社出版販売

2015-07-08 17:27:16 | 詩集
 第4詩集。94頁に24編を収める。
 「声」では、「言い残したことはないのか」と何者かが私に問いかけている。「一月の道」では、「はるかな時を越えて 今私に届いたもの」がある。それらは真剣に生きていることの証のようなものなのだろう。この詩集に収められているのはそういったものだ。
 「海辺の家」。「望みさえすれば何にでもなれそうな気がし」て、私は貝殻に姿を変えたのである。次の日には砂になったのである。しかし、それはどうも納得のいくことではなかったようなのだ。望んだだけで容易に変われるものなど、結局はその程度のものでしかないのだろう。最終連は、

   去りがたく生きがたく空ばかり見つ
   めていたら 私は家になっていた 
   もうどこへも行かない

 話者は自分が生活していた場所に根を下ろしたようだ。精神的にも彷徨った結果のことなのだろう。だから、もう変わることを望まなくてもいいのだろう。
 「夜の紐」。夜はやってくると、だれかを連れてきてくれるようなのだ。私は、影のようにあらわれた人とつながらない会話をするのだ。それは気持ちが休まるようなことなのだろうけれども、どこか寂しいことでもあるわけだ。

   夜には紐がついていて
   探り当てたものだけを
   どこか遠いところへ
   つれて行ってくれるのだ
   だれがいい? と

 夜に隠れて私に、だれがいい?と聞いているのは、だれなのだろう?
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詩集「藥玉」  小幡薫明  (2015/06)  砂子屋書房

2015-07-06 22:37:32 | 詩集
 第5詩集で73頁。副題に「香美(かがみ)なる」と付いている。やや縦長の判型で、浅野勝美の繊細な銅版画が表紙カバー、2葉の挿画に使われている。
 目次にはただ、Ⅰ左流、Ⅱ右流、とだけある。Ⅰ、Ⅱともに29篇の3行から5行の散文詩型の断章を収めている。旧漢字が多用され、表現も静かでどこか優雅な雰囲気を漂わせている。たとえば、Ⅰの「1」は、

   朝あけの人さし指 東方の色青くして 春の萌えの息吹
   き 水の女たちに送られ 年をつむ日宮の舟 無垢に白
   い節理の瀧を施回り動き 忘却と花でみたされた 死者
   の年の市へ流れて行く            (全)

 どの作品ででも話者は常に観察者の位置であり、書きとめられた事物はすべて話者の外にある。自らの行動は禁欲的と言ってよいほどに記述されない。そのために、事物に対する感情も封じ込めてしまったかのように思える。そのうえで築かれるのは、作者の理想郷なのかもしれない。しかしそこからの距離も作者は感じているのだろう。
 Ⅱの「18」は、

   顔のなかに赤い月がある はでな彩りかわる木偶となっ
   て 世をぴらつく 空の砂漠を遊牧の雲が横切る 異邦
   の風に東と西を向き 千年の蝿の王にもなる 棕櫚の木
   が騒ぐ海の村                (全)

 それぞれの章で描出された世界がつなぎ合わされ、ある部分では重なり合い、色合いが深くなる。理想郷は記述されるほどに遠のいていくようなのだが、それは作者も承知した上でおこなっているのだろう。。
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詩集「嘘のように」  鈴木芳子  (2015/06)  花神社

2015-07-03 17:47:55 | 詩集
 第2詩集。87頁に31編を収める。
 現実の世界が話者のなかで少しずつ表情を変えてくる。そうやって現実の世界の意味していたものが話者にまとわりついてきている。
 「雛まつり」では、天袋の暗闇からお内裏さまが引き出されてくる。老婆は杯にお酒を満たし、古色蒼然としたお内裏さまの唇を潤すのである。そして「来し方の年月を/ゆっくりと飲み干す」と、

   「もういい頃かも・・
    しれないねえ」
   老婆が足を曳きずり
   隣の部屋に消え去ると
   男雛女雛は
   疵だらけの顔を見合わせ
   うなずくばかりの
   宵であった

 時を越えていつまでも残されるお内裏さま、時を感じ取って自ら消えていく老婆。女の子の祭りの日にこそおこなわれる儀式のようで、老婆の否応のない諦観が切ない。
 「昔ばなし」にも老婆があらわれる。ふっくら顔のおセキばあさんは、細長い顔のおヒロばあさんの家に毎日やってくる。無言で縁側に腰をおろしているおセキさん。陽のとどかない部屋から出てこないおヒロさん。そして、

   夕闇が近づくと おヒロさんは箒を持ちまるで犬猫のよ
   うに「シィッ、シィッ・・・・・・」とおセキさんを追いやりま
   す それから自分も犬猫のように土間にうずくまって動
   かなくなりました

 会話を交わすこともないこの二人の老婆は、裏表のようになって互いを支え合っているのだろう。追い払われたおセキさんも、うずくまったおヒロさんも、もう二度とは動かないようではあるのだが。
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