瀬崎祐の本棚

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詩集「ものがたり」  樋口武二  (2015/01)  書肆山住

2015-02-11 11:26:04 | 詩集
 第6詩集。86頁。詩集タイトルには「あるいは ゆらめく風景」とつけ加えられている。
 1から160までの番号を振られた作品が収められている。各作品は4行から7行の長さで、作者によれば「それぞれが独立した作品でありながら、ひとつのながれのなかにある」とのこと。「素描」あるいは「原スケッチ」のようなものとも言っている。
 たとえば「7」では、

   パラソルの婦人が
   夕暮れにバスを待っている
   誰も来なかった夏の日に
   水色のパラソルが
   ゆっくりと回転をはじめた

どの作品でも、気持ちの中にちょっと引っかかるような、あるいはふっと顔を出した、そんなものが書きとめられている。たしかに油彩画というよりも淡彩スケッチといった風情であり、かえってそれが読み手のなかで膨らんでいくものを呼び起こしている。先の作品でも、実際には婦人がパラソルを回しているだけなのだが、作品世界ではパラソルが(誰も来なかったために)自然に回り始めたかのようだ。
 「116」は、

   紫陽花が咲いていて
   斜面の草が匂った
   雨あがりの峠をくだって
   酒を飲んだ
   誰も居ない部屋で争う声がする

 よく気をつけてみると、この詩集の何処にも人が居ないことがわかる。ときおり登場する人物達も、みな実体は失っているかのようだ。それこそ”ゆらめく風景”のなかには私しかいないのだ。
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詩集「かなしみのかごめかごめ」  冨上芳秀  (2015/01)  詩遊社

2015-02-09 21:39:52 | 詩集
 第9詩集で詩遊叢書の1冊。103頁に81編の散文詩と、表紙カバー絵も描いている上田寛子の挿し絵9葉を収める。
 この8年足らずの間に出された5冊目の詩集。作品はすべて1頁に収まる行数となっていて、掌編ともいうべき奇譚集となっている。
 記述される内容は、光景であるとか行為であるとかの具体的な事柄であり、非常に視覚的である。それでいて、その具体的な光景や行為は理論的には結びついていない。これは夢の特徴にも通じている。夢もまた視覚として認知するのだが、その見たものの相互関係は現実世界の関係を離れている。ということで、夢に触発された作品も少なからずあるのではないかとも思われた。夢好きな者には大変に興味深い詩集なのだ。
 たとえば「真珠姫」。私の店で働いている料理人が真珠姫を投網で取ってくる。料理人は「美味しくて心を失わせるような悪魔の料理」を作る。私は「真珠姫が半開きの口を開けてあえいでいるのを感じながら、赤紫がかった肉厚の舌で転がすように白い身を味わ」うのである。

   絡みついた網に自由を奪われた真珠姫は、時々、ポロポロと真珠の涙をこぼしました。ワンは
   その向こうの厨房で笑いながら細身の包丁をかざして何か叫んでいます。振り向くとまん丸い
   真っ赤な太陽が丸い水平線に沈んで行くのでした。(最終部分)

 「台車と黒い穴」では、毎日毎日、台車で何かを運びおおきな穴に捨てる人が登場する。運んでいるものは土のようでもあり、雪のようでもあり、花でもあるのだ。花の下には死人が横たわっていて、

   ある日その人は台車とともに穴のなかに落ちた。悲鳴一つ上げずに静かに落ちていった。後に
   は深い黒い穴がぽっかりと開いていた。(最終部分)

 作品の面白さというのは、理屈を伝えたり説明したりすることとは無縁であることがよく判る。
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いちばん寒い場所  71号  (2015/01)  船橋市

2015-02-06 22:08:47 | 「あ行」で始まる詩誌
 A4用紙を横に使い、ホッチキスで留めた八木忠栄の個人誌。詩の他に俳句、落語に関するエッセイ(これが楽しい)が載っている。21頁。
 「八丁沖。」は、新潟県を走っていた栃尾鉄道を詩っている。その車両は小型だったのでマッチ箱電車と呼ばれていたという。この作品は、そのマッチ箱電車に乗っている、いわばロード・ポエムである。「車両はゆれゆれて」「ゴトゴト進む」に連れて見える光景が移っていく。「ダッカン ダッカン」という擬音語が巧みにその雰囲気を出している。
 場所が移動するうちに時も移動する。それも時を遡って移動し、「北越、戊辰のいくさ」の光景となる。

   ほらほら 草ぐさが炎える。
   薄暗いくらしが炎えあがる。
   兜の森も東山連峰も
   阿呆のようにただ黙って見ていなさる。

 昨年の詩集「雪、おんおん」の作品でもそうだったが、ここでもひとつの作品のなかで作者はダイナミックに動き回る。この束縛などからは無縁の自由闊達さが魅力となっている。マッチ箱電車は「時代のかけら。/夢のかけら。」を拾い集めて走っていく。作者も書くことによって沢山のものを拾い集めている。

   八丁沖。
   ムカシアッタテンガナア・・・・・・
   婆さまのムカシムカシがはじまる
   マッチ箱電車のゴトゴトにあわせて。
   しかし やがて
   ムカシムカシの峠の濃い闇の彼方に
   すべては ころげ去ってしまった。
   ポーンと。
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詩集「月虹」  野田新五  (2014/12)  洪水企画

2015-02-05 18:20:54 | 詩集
 第1詩集。119頁に23編を収める。
 さりげない日常を詩っているようなのだが、その世界には”あちら側の世界”がときおり紛れ込んでくるようなのだ。それも何の境目もなしに、だ。
 冒頭の「猫石」は、家具と呼べるものすらない貧しい部屋で「だれかが残していった/猫に似た石と/暮らす」話である。当たり前のことだが、石だからごろんと畳の上にあるだけである。それなのに作者は、
 
   時がたてば
   石との暮らしにも慣れ
   おたがいに分かり合うこともできるだろう
   そのころには、もう
   それが石なのか猫なのか
   そんなことは
   どうでもよくなっているにちがいない

 そして、冷たい寝床で石を抱きしめていると、「猫石は甘えるように/重くなる」のだ。あちら側の世界が紛れ込んで来るのではなく、作者があちら側の世界に彷徨いでているのだろうか。
 「夜光虫」は美しい作品。夜の波打ち際にはいろいろなものが流れ着いているのだが、「いまにも壊れそうな/小さな椅子」もあるのだ。そして「白い夏帽子 砂だらけの/男の子がポツンと座っている」のだ。

   ときどき
   椅子から降りて
   砂をつかんでは
   真っ暗な海に
   思い切り 放り投げる
   そのときだけ
   暗い波間に 夜光虫がめらめらと燃え
   男の子のやせた肩が
   きしむのだ

 男の子はなぜ現れたのだろうか、なにをしたかったのだろうか。しかし、作品はそんなことを説明するものではない。そんなことを差しだしてくるだけだ。それが作品だ。やがて男の子は、「椅子にもたれて/動かなくなり/かなしい夢を見た分だけ」崩れていってしまうのだ。
 亡くなった人に捧げたと思われる「家路」もしみじみとした作品だった。
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詩の練習  15号  (2014/12)  北海道

2015-02-02 22:13:40 | 「さ行」で始まる詩誌
 今号は「アンチ現代詩特集」。

 北爪満喜は「苦肉の策でレポート詩」との註をつけて、「2014年10月18日 初めて前橋で「ビブリオフリマ」が開かれた」と題する作品を載せている。昨年刊行された詩集「奇妙な祝福」をキャリーケースに詰めてカフェ・アルキロコスへ出かける話。現実の行為を北爪が言葉で記録したらどのように変容するのか。

   黙っている言葉をもって集まったひとたちと
   テーブルの上に重なる 黙っている言葉
   もうこれが
   空間の詩 錯覚してしまいたくなる

 野村喜和夫は題も「アンチ現代詩の試み」として、(愛のレッスン)、(世界文学の方へ)の2章からなる作品を載せている。セックスの最中だったり、並んだ本の背表紙を眺めていたりして、そこから生まれてくる言葉を構築しているようだ。現実の行為が野村の言葉によってどこまで現実から離れていくのか。

   ウサギはウサギの繁殖を
   そしてわれわれの生はわれわれの生の終わりを
   待っているんだ
   こうして
   待機の息苦しさではちきれんばかりの
   いまここ
   それが宇宙さ

 実は瀬崎もこの号への作品依頼をもらっていた。はたと困ってしまった。”アンチ現代詩”をどのように考えればよいのだろうか。それに、ひょっとすればこれは、”アンチ現代”の詩なのかもしれないし、現代の”アンチ詩”なのかもしれない。
 発行者の杉中昌樹氏にそんなことを問いかけたところ、どのように解釈してもらってもかまいません、皆さんから集まった作品の集積が”アンチ現代詩”になるでしょう、とのことだった。
 そこで「とげ姿カフェにて」と題して、現実とはまったくかけ離れたところでの言葉の組み合わせを試みた。これが私の”アンチ現代詩”?

   とげ姿がアキレス腱からまっすぐに伸びている様はみものだった
   そんなときの監視者たちの寄せ書きの目印はいちご模様だった
   喉からの決めぜりふも心地よかったものだ
   ゾウガメたちの賭けはいつまでももりあがって
   深夜のラジオ番組を聞くどころではなかった
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