八木忠栄の個人誌。A4版用紙を2つ折りにしてあるが、読むときはこれを拡げるという体裁。20頁に5編の詩、ひとつのエッセイ、それに落語に関する連載を収めている。表紙には、北斎漫画からの滑稽とも異様ともとれる絵が載っている。
「ふたつの影」。
「雨上がりの明け方」に、「薄暗い崖道をのぼるふたつの影」があるのだ。それは、「提灯をさげた母」と「石仏を背負った父」だったのだ。そして、「(ふたりともまだ生きていたのか?)」という1行が、ふいに叙述の間に挟みこまれる。記述している話者が対象に向かって主観を呟いているのであり、これによってこの時点で話者も物語へ参加したことになる。立ち位置を明らかにすることによって、物語を自分のほうへと引き寄せたのだ。
石仏を背負う父は倒れそうに歩み、そんな父を母は鬼の形相で叱咤する。両親のこの異様な道中はいったい何をしているところなのだろう。しかし、そんな疑問は誰も抱かない。すでに、皆が物語の登場人物になってしまっているのだから。
(どこまで行くのか、のう?)
石仏は父の背でこらえきれずに泣き出しそう
前方に見えていた鳥居が火になる
火の向こうにゆらめく山腹から
消え入りそうな鐘の音……
提灯ノアカリヲ消スナ、
ヤイ!
(最終部分)
最終2行の台詞の迫力はどうにもすさまじい。なにか不吉なものを思いもかけず見てしまったという感じもあるが、一方で、懐かしい大切な光景に再び遭遇したという感じもある。父に背負われている石仏は、いつしか話者のようではないか。
「ふたつの影」。
「雨上がりの明け方」に、「薄暗い崖道をのぼるふたつの影」があるのだ。それは、「提灯をさげた母」と「石仏を背負った父」だったのだ。そして、「(ふたりともまだ生きていたのか?)」という1行が、ふいに叙述の間に挟みこまれる。記述している話者が対象に向かって主観を呟いているのであり、これによってこの時点で話者も物語へ参加したことになる。立ち位置を明らかにすることによって、物語を自分のほうへと引き寄せたのだ。
石仏を背負う父は倒れそうに歩み、そんな父を母は鬼の形相で叱咤する。両親のこの異様な道中はいったい何をしているところなのだろう。しかし、そんな疑問は誰も抱かない。すでに、皆が物語の登場人物になってしまっているのだから。
(どこまで行くのか、のう?)
石仏は父の背でこらえきれずに泣き出しそう
前方に見えていた鳥居が火になる
火の向こうにゆらめく山腹から
消え入りそうな鐘の音……
提灯ノアカリヲ消スナ、
ヤイ!
(最終部分)
最終2行の台詞の迫力はどうにもすさまじい。なにか不吉なものを思いもかけず見てしまったという感じもあるが、一方で、懐かしい大切な光景に再び遭遇したという感じもある。父に背負われている石仏は、いつしか話者のようではないか。