現代詩文庫のように一人の詩人のほぼ全貌が読むことの出来る一冊はとてもありがたい。私は詩の世界から遠ざかっていた期間が長かったので、その間に発表された作品を目にすることができていない。好きな詩人の初期の作品を読む機会が与えられるのはとてもうれしい。
本詩集には著者の6冊の詩集からの作品が収められている。第1詩集は30年前の「春の空き家」。そこからのタイトル作品では、光ってまっすぐにのびた道路、その両側の空き家、歩いていく少女の一群などが詩われている。そこには静かな描写だけがあるのだが、世界が形作られるにつれて作者の立つことを選んだ位置が明らかになってくる。
なめらかでかたいはだかの少女が
つぎつぎにあらわれ
しっかりとした足どりで歩いていく
空に磁気が満ち
道路が光りすぎて
人は息をすることができない
(最終部分)
この世界では少女は歩いたりもしているのだが、生気はまったく感じられない。マネキン人形のように無機質である。最後にあらわれる”人”は当然のことながらこれは作者自身であるだろう。なぜなら、この描かれた世界には、他の人たちから取り残された作者一人しかいないからだ。
4年前の詩集「花と死王」から「薄暮の色」では、
ここに花はなく
ただ 裸形が世界から隠れ
そうすることでどこまでも世界へと分け入っていて
送られていることの源へと
それとも知らず 彷徨(さまよ)っている
世界の形をなぞって創りあげようとしているのだが、作者はそれを内側から触れているように感じられる。それは自分の外側にあるものではないので、手探りで外側にあらわれる形を模索しているようなのだ。見覚えのある風景はどこまでも裏返されている。
本詩集には著者の6冊の詩集からの作品が収められている。第1詩集は30年前の「春の空き家」。そこからのタイトル作品では、光ってまっすぐにのびた道路、その両側の空き家、歩いていく少女の一群などが詩われている。そこには静かな描写だけがあるのだが、世界が形作られるにつれて作者の立つことを選んだ位置が明らかになってくる。
なめらかでかたいはだかの少女が
つぎつぎにあらわれ
しっかりとした足どりで歩いていく
空に磁気が満ち
道路が光りすぎて
人は息をすることができない
(最終部分)
この世界では少女は歩いたりもしているのだが、生気はまったく感じられない。マネキン人形のように無機質である。最後にあらわれる”人”は当然のことながらこれは作者自身であるだろう。なぜなら、この描かれた世界には、他の人たちから取り残された作者一人しかいないからだ。
4年前の詩集「花と死王」から「薄暮の色」では、
ここに花はなく
ただ 裸形が世界から隠れ
そうすることでどこまでも世界へと分け入っていて
送られていることの源へと
それとも知らず 彷徨(さまよ)っている
世界の形をなぞって創りあげようとしているのだが、作者はそれを内側から触れているように感じられる。それは自分の外側にあるものではないので、手探りで外側にあらわれる形を模索しているようなのだ。見覚えのある風景はどこまでも裏返されている。