廿楽順治「叢日叢行抄」は3編から成っている。いずれも最近の廿楽が用いている表記方法で、各詩行の下端揃えである。
その中の1篇「わたしたちは/やがて【地平】として売り飛ばされるだろう」は、耳についての作品である。「この世には耳がさいごまでのこる」のだと言う。すると、耳しかないのだから誰も言葉を発することはできないはずなのだが、それでも問いかける言葉は届くのだ。そうか、私たちはいつも話しかけられ、問いかけられるものだったんだと、この作品を読みながら思い知る。口がないので、決して答えることはできないものだったんだ、と。
しずかな地平
あるいは声のふってくる地平
どっちだっていいさ、とかっこうつけるのもキザだ
いつも
こちら側(あちら側?)の
声の準備はまにあったためしがない
この世のつき合いは、実は声で成り立っていたんだということにも気づく。それにしても、【地平】とは何なのだろうか。耳以外のものが【地平】なのだろうか。声を聞くこと以外は、はるか彼方のものだったのだろうか。それに、誰が【地平】などを売り飛ばすのだろうか。解らないままに、声ならぬ文字は届く。
ついに、「耳だけででんしゃに乗ったのだ/それから/耳は/満腹の途上でぷいっと消えたのだ」と作品は終わる。絶望しての行動などではなく、ただ問いかけられることから逃れようとしただけなのかもしれないのだが、しかし、耳も消えてしまって、あとはどうやって生きていけばよいのだろうか。
その中の1篇「わたしたちは/やがて【地平】として売り飛ばされるだろう」は、耳についての作品である。「この世には耳がさいごまでのこる」のだと言う。すると、耳しかないのだから誰も言葉を発することはできないはずなのだが、それでも問いかける言葉は届くのだ。そうか、私たちはいつも話しかけられ、問いかけられるものだったんだと、この作品を読みながら思い知る。口がないので、決して答えることはできないものだったんだ、と。
しずかな地平
あるいは声のふってくる地平
どっちだっていいさ、とかっこうつけるのもキザだ
いつも
こちら側(あちら側?)の
声の準備はまにあったためしがない
この世のつき合いは、実は声で成り立っていたんだということにも気づく。それにしても、【地平】とは何なのだろうか。耳以外のものが【地平】なのだろうか。声を聞くこと以外は、はるか彼方のものだったのだろうか。それに、誰が【地平】などを売り飛ばすのだろうか。解らないままに、声ならぬ文字は届く。
ついに、「耳だけででんしゃに乗ったのだ/それから/耳は/満腹の途上でぷいっと消えたのだ」と作品は終わる。絶望しての行動などではなく、ただ問いかけられることから逃れようとしただけなのかもしれないのだが、しかし、耳も消えてしまって、あとはどうやって生きていけばよいのだろうか。