瀬崎祐の本棚

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ガーネット  63号  (2011/03)  兵庫

2011-03-20 21:16:53 | 「か行」で始まる詩誌
 廿楽順治「叢日叢行抄」は3編から成っている。いずれも最近の廿楽が用いている表記方法で、各詩行の下端揃えである。
 その中の1篇「わたしたちは/やがて【地平】として売り飛ばされるだろう」は、耳についての作品である。「この世には耳がさいごまでのこる」のだと言う。すると、耳しかないのだから誰も言葉を発することはできないはずなのだが、それでも問いかける言葉は届くのだ。そうか、私たちはいつも話しかけられ、問いかけられるものだったんだと、この作品を読みながら思い知る。口がないので、決して答えることはできないものだったんだ、と。

                                   しずかな地平
                          あるいは声のふってくる地平
               どっちだっていいさ、とかっこうつけるのもキザだ
                                       いつも
                             こちら側(あちら側?)の
                      声の準備はまにあったためしがない

 この世のつき合いは、実は声で成り立っていたんだということにも気づく。それにしても、【地平】とは何なのだろうか。耳以外のものが【地平】なのだろうか。声を聞くこと以外は、はるか彼方のものだったのだろうか。それに、誰が【地平】などを売り飛ばすのだろうか。解らないままに、声ならぬ文字は届く。
 ついに、「耳だけででんしゃに乗ったのだ/それから/耳は/満腹の途上でぷいっと消えたのだ」と作品は終わる。絶望しての行動などではなく、ただ問いかけられることから逃れようとしただけなのかもしれないのだが、しかし、耳も消えてしまって、あとはどうやって生きていけばよいのだろうか。
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孔雀船  77号  (2011/01)  東京

2011-03-20 00:46:01 | 「か行」で始まる詩誌
 「毛」岩佐なおを。
 目のなかに眉毛や睫毛がふってくるのである。なまぐさい地下駐車場には鳥の羽がふってくるのである。当然、身体には好くないのだろう。だから当然、心にも好くないのだろう。

   灰色羽毛がふおふおと
   時間をたっぷりかけて
   ふってくる
   気管に悪い細かい毛
   ひどくよごれている
   冷えきった床には凍らない
   魚卵がオレンジ色のつぶつぶひこひこ
   つぶつぶとしきつめられている
   素足の踏み場もない
   動けば潰し汁とびちる
   おら、指の隙間につぶつぶひこひこ

 羽毛は見るものを遮るためにふってくるのだろう。「小さいつぶの魚卵も/目」なのであり、何かを見ようとする存在だったのだろう。しかし、床一面の目はぐしゃぐしゃと潰れていて、そこに細かい毛がへばりついて覆い隠そうとしているのだろう。
 私(瀬崎)は魚卵の具体的なイメージとして”イクラ”のつぶつぶを想起していた。身体のあちらこちらに、何か気持ちの悪いものがまとわりついてくるような感触の作品。もちろん岩佐はそれを狙っている。読んでいるうちに、目に入ってきた毛のために視界も遮られて、私(瀬崎)以外の物事は見えなくなってきてしまった。
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雲の戸  12号  (2011/04)  埼玉

2011-03-10 19:06:14 | 「か行」で始まる詩誌
 「冬のみかん」山本萌。
 作者は何冊もの画集を出しており、しばしば個展を開く画家である。絵画的な表現では抽象的に物事を提示することが多い作者だが、言葉によるこの作品では具体的な描写に徹している。
 部屋の中には台の上にみかんが一つのっており、「傍には/丸ストーブがやかんをのせてい」る。ただそれだけの室内の様子である。ただ、みかんはにぶく光っているのである。光っている、と書かれることによって、この室内がただ明るいだけではなく、同時に影も含んでいることが判る。だから、みかんは「ともしびに似」ているのである。
 
   さっき
   近づいた仔猫に
   そっと 匂いを嗅がれた
   満ちているものが そこに在る
   ということに
   ふわああっと 仔猫はあくびをした
                      (最終連)

 光と影で構成された中世風の絵画のような作品である。室内の具象的な描写でありながら、それらの描かれたものの存在が伝えてくるものを書きとめたかったのだろう。部屋の中に満ちていたものは暖かくて、仔猫だけではなく、作者自身の眠りをも誘うものだったのだろう。
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4B  1号  (2011/03)  東京

2011-03-09 23:13:01 | ローマ字で始まる詩誌
 4人が集まっての創刊号。A4用紙を三つ折りにした体裁で、各同人が1篇の作品と、「足」についての短いコラムを書いている。
 「嗄れた声」中井ひで子。
 各連は通常に書けば一文になるところを、数行に分けて表記されている。そのために一つ一つの言葉に念が押されているようで、イメージが淀むように襞の陰影を作っている。たとえば第1連は、「野原のはずれで/行き場を失った/冬が/薄く たたずんでいる」である。「行き場を失った」という、生命体や感情などの”動くもの”に対する形容詞に一呼吸があってから形のない「冬が」という主語が提示される。この一呼吸があるために通常はつながらない文脈がつながる。行を分ければイメージの飛躍が許されることを巧みに用いている。さらに「薄く」で短い休止が入り「たたずんでいる」と、これも微妙にずれた関係で提示される。
 中井の作品の魅力は、短く切れた行間に漂うイメージの不連続さにある。そして、個々の言葉で表出されるものは不連続でありながら、全体を覆うイメージによってそれらは連続してしまうのだ。
 第2連は「風の底は見えない」と1行であるが、ここで”たたずんでいる冬”の具体的な有り様を、半ば強引に言い切ってしまうところが潔く心地よい。

   捨てる うしろめたさ
   つかむ うしろめたさが
   灰色の雲の
   穴に
   落ちていく
                (第6連)

 何を捨てる? 何をつかむ? うしろめたさはどこへ落ちていく? 理屈や主張などではなく、まして思い出や喜怒哀楽などでもない。もっと未分化に気持ちの底に渦巻いている掴み所のない何か、それは”何か”としか言いようがないのだが、が上手く表現されている作品。
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幻獣  13号  (2011/03)  埼玉

2011-03-08 21:40:45 | 「か行」で始まる詩誌
 「赤い部屋」弓田弓子。
 「この耳はいまにもはずれそうにぶらぶらしている」とはじまる16行の短い作品。しかし、その短さの中に物語り世界がきちんと収まっている。
 その耳は、触ればはずれてしまいそうで、はずしたらはずしたでまた元の状態に戻ってしまいそうなのだ。厄介である。鬱陶しい状態である。自分の身体の気になる箇所というのは、重病の場合はまったく別の話だが、日常生活の中にあらわれる場合はこんな風にちょっとだけ厄介なことが多い。
 それは、自分の身体が自分に向かって噂話をしているようなもの。自分の身体が自分を守ろうとして炎症反応を起こすように、身体はそれなりに必死に頑張ってくれている理由があるのだろうけれども、それを判ってやれないと、やっぱりどことなく他人事で鬱陶しいのだ。
 耳の奥には部屋があって、陽のあたらない出窓があって、長方形の花瓶が置いてあって、茎にかびの生えた花が生けてある。この具体的な描写が効果的であり、ちょっと癖のあるフランス絵画を思わせる。

   この耳はそんな部屋をガーガー掃除機を引いて
   休まない
   耳鼻科では
   赤い部屋をちょっとのぞいて
   赤い部屋はだめですと言われた
                     (最終部分)

 おそらくは中耳炎かなにかで耳の奥が発赤しているのだろうが、そこから出発してこれだけの作品にしてしまう身体感覚が好いなあ。
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