「赤い部屋」弓田弓子。
「この耳はいまにもはずれそうにぶらぶらしている」とはじまる16行の短い作品。しかし、その短さの中に物語り世界がきちんと収まっている。
その耳は、触ればはずれてしまいそうで、はずしたらはずしたでまた元の状態に戻ってしまいそうなのだ。厄介である。鬱陶しい状態である。自分の身体の気になる箇所というのは、重病の場合はまったく別の話だが、日常生活の中にあらわれる場合はこんな風にちょっとだけ厄介なことが多い。
それは、自分の身体が自分に向かって噂話をしているようなもの。自分の身体が自分を守ろうとして炎症反応を起こすように、身体はそれなりに必死に頑張ってくれている理由があるのだろうけれども、それを判ってやれないと、やっぱりどことなく他人事で鬱陶しいのだ。
耳の奥には部屋があって、陽のあたらない出窓があって、長方形の花瓶が置いてあって、茎にかびの生えた花が生けてある。この具体的な描写が効果的であり、ちょっと癖のあるフランス絵画を思わせる。
この耳はそんな部屋をガーガー掃除機を引いて
休まない
耳鼻科では
赤い部屋をちょっとのぞいて
赤い部屋はだめですと言われた
(最終部分)
おそらくは中耳炎かなにかで耳の奥が発赤しているのだろうが、そこから出発してこれだけの作品にしてしまう身体感覚が好いなあ。
「この耳はいまにもはずれそうにぶらぶらしている」とはじまる16行の短い作品。しかし、その短さの中に物語り世界がきちんと収まっている。
その耳は、触ればはずれてしまいそうで、はずしたらはずしたでまた元の状態に戻ってしまいそうなのだ。厄介である。鬱陶しい状態である。自分の身体の気になる箇所というのは、重病の場合はまったく別の話だが、日常生活の中にあらわれる場合はこんな風にちょっとだけ厄介なことが多い。
それは、自分の身体が自分に向かって噂話をしているようなもの。自分の身体が自分を守ろうとして炎症反応を起こすように、身体はそれなりに必死に頑張ってくれている理由があるのだろうけれども、それを判ってやれないと、やっぱりどことなく他人事で鬱陶しいのだ。
耳の奥には部屋があって、陽のあたらない出窓があって、長方形の花瓶が置いてあって、茎にかびの生えた花が生けてある。この具体的な描写が効果的であり、ちょっと癖のあるフランス絵画を思わせる。
この耳はそんな部屋をガーガー掃除機を引いて
休まない
耳鼻科では
赤い部屋をちょっとのぞいて
赤い部屋はだめですと言われた
(最終部分)
おそらくは中耳炎かなにかで耳の奥が発赤しているのだろうが、そこから出発してこれだけの作品にしてしまう身体感覚が好いなあ。
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