瀬崎祐の本棚

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詩集「星々の冷却」  井上瑞貴  (2015/09)  書肆侃侃房

2016-02-10 22:21:35 | 詩集
 84頁に25編を収める。
 おもむろに作品が始まるのではなく、どの作品も、いつも風が吹き抜ける真ん中に始めから立っているようである。説明はないままに話者は与えられた状況に立っている。張り詰めた緊張感はゆるむことがない。
 また作品には透明感がある。それは、修飾するものと修飾されるものが余分な媒体なしに結びついているところからきているようだ。きりりとした美しさがある。
 いくつかの部分を引用してみる。

   フェンスに片足かけて風の始まりを待った夜明けが
   どんな斜面よりもわたしの背後を傘のように閉ざしている
   それがだれの一日の始まりだろうと
   斜面をくだるよりも先に
   そこが斜面である理由を流れ落ちる雨となって傘を閉ざしている
                         (「歴史の溝が掘られている」冒頭)

  流れ落ちる雨自身のなかにも雨は降り積もったが
   離れゆくふたりに言葉だけが残される夕暮れのつかのまに降る雨にも
   もう長いあいだうたれていない
                    (「どこかから振り返る遠景に見ていた」より)

 「幼年期」でも具体的なことは語られずに、幼年期の思い出が今の自分に与えてくる感情を伝えてくる。風景を語ろうとしたときに「言葉は風のみに与えられ/時の中で凍りついた記憶の壁をたたいている」のだ。言葉となる記憶は、音や匂いではなく、やはり風景なのだろう。

   まだあかりが灯っている窓辺に暴風雨が接近し
   世界を引き裂くひとことを投げて去っていく風がはしる
   どの夢も死に向かう流れをくだり
   だれのものでもない言葉を連れて
   ぼくたちは幼年期のまま橋をわたり終えている

 一人の話者の中でうずまく言葉は、話者を取り巻く外の世界の風景と呼応して、大きな物語を創り上げている。
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