棹見拓史が「現代詩の周縁」という連載で、金時鐘の言葉「あるがままの状態でありたくないと思う心」に触れて、現実をなんの違和感もなく肯定していては詩は生まれない、と述べている。他の人々が楽しんでいることを同じように楽しんでいては新しいものは生まれてこないわけだ。そして「詩人は多くの人たちと一つの価値を共有するものではない」と結論している。確かにその通り。
さらに、そのことをふまえた上での事だと考えられるが、「詩の言葉とは、難解や容易さを越えて私たちの内面に波を起こすことなのだ。」とも述べている。他の人々との共有する価値を否定するあまりに、見当違いな難解さに走る愚を戒めているわけで、これもおおいに共感できることである。私も、作品は可能な限り具体的な記述がよいと考えている。独りよがりの概念を指し示しても、それは読む人にはなにも伝わらないであろう。そうではなく、私が発見したいのはこの世界の構造の捻れであり、それを具体的なオブジェとして現出させたいのだ。
さらに、そのことをふまえた上での事だと考えられるが、「詩の言葉とは、難解や容易さを越えて私たちの内面に波を起こすことなのだ。」とも述べている。他の人々との共有する価値を否定するあまりに、見当違いな難解さに走る愚を戒めているわけで、これもおおいに共感できることである。私も、作品は可能な限り具体的な記述がよいと考えている。独りよがりの概念を指し示しても、それは読む人にはなにも伝わらないであろう。そうではなく、私が発見したいのはこの世界の構造の捻れであり、それを具体的なオブジェとして現出させたいのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます