瀬崎祐の本棚

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詩集「果無」  近藤洋太  (2013/10)  思潮社

2013-12-10 20:05:59 | 詩集
第4詩集か。89頁に10編を収める。
 「覚書」には、「今は亡き人たちへの鎮魂でつもりで書いた」とある。たしかにどの作品でも言葉の裏側に死が寄り添っているようだ。
 霊場である玉置山を訪ねて、般若心経とともに亡き母に語りかける「玉置山にて」は200行近い作品。母の半生のその内容の物語性もさりながら、わたしの母への思いがふつふつと伝わってくる。それは肯定とか否定とか、容認とか反発とかいったものを超越した無二のものへの愛情以外の何ものでもない。
 他の作品では、突然にこの世を去っていった若い友人に捧げた「おい岩間」、父を詩った「五十回忌」、宗左近の七回忌に書かれた「カミサマの馬鹿野郎」など。
 「果無」は「故眞鍋呉夫先生に」との副題が付いている。果無山は紀伊にある「実在する山」とのこと。東京の集落斎場で先生は荼毘に付されたのだが、その日、遠く離れた果無峠に向かう石段の登山口でわたしはもう一度最後に先生に会うのだ。

   もう言葉は通じなくて
   軽く帽子を持ち上げて挨拶されてゆっくりと果無峠に向かって上って行かれました
   その姿が草藪に隠れるまでわたしは見送っていました
   今生のお決れを何度も練習してきたのに
   先生が果無の道を行かれるのを一日延ばしにしたくて
   だから果無の話をそのつど避けたのだと今思います

 果無峠は向こうの世界へ通じる道だったわけだ。哀惜の念が静かに広がっている。
 「白雪姫」は詩誌「スタンザ」で読みとても印象的だった作品(「現代詩手帖」詩誌評で感想を書いた)。

   白雪姫は聞こえる方向をふりかえり
   いっそう悲しい目つきになった
   --さらんば さらんば
   そうして私たちはわかれた
   嘘ではない
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