第8詩集。125頁に28編を収める。
どの作品にも厳しい内省の言葉が書き連ねられている。一人称の述懐なのだが、やや古風な言い回しとも相まって、正座の姿勢を崩さずにひたすら苦行に耐えようとしている雰囲気がある。
「きらめくのか出入り口が」では、ある高僧の入滅にまつわる神事を見ている。その高僧は五十六億七千万年後の弥勒菩薩とのめぐり合いを発願したとのこと。目の前の秋祭りでは、下帯姿の若者たちはつぎつぎと池に入り、
人々は 知っているのだろう やはり
(それを信じてはいなくても)
奥深く
沈む果に 明るむ水の面が (入口なのか)
(出口なのか) 次第に強くきらめくのを
(最終部分)
前詩集「流転/独一」でもそうだったのだが、仏教に関する深い洞察と親和性が感じられる。恃むべきものを持ちながら、いや、それゆえにか、さらに未だ足りないものを求めつづけている実直さが伝わってくる。
詩集タイトルの「樹木人」とは、あとがきによれば「漂泊人」あるいは「不案内人」の意味合いとのこと。これだけ自らを律するように作品を書き続ける意志に感服する。導かれることもない漂泊の果てに、作者はどこへたどりついたのだろうか。
どの作品にも厳しい内省の言葉が書き連ねられている。一人称の述懐なのだが、やや古風な言い回しとも相まって、正座の姿勢を崩さずにひたすら苦行に耐えようとしている雰囲気がある。
「きらめくのか出入り口が」では、ある高僧の入滅にまつわる神事を見ている。その高僧は五十六億七千万年後の弥勒菩薩とのめぐり合いを発願したとのこと。目の前の秋祭りでは、下帯姿の若者たちはつぎつぎと池に入り、
人々は 知っているのだろう やはり
(それを信じてはいなくても)
奥深く
沈む果に 明るむ水の面が (入口なのか)
(出口なのか) 次第に強くきらめくのを
(最終部分)
前詩集「流転/独一」でもそうだったのだが、仏教に関する深い洞察と親和性が感じられる。恃むべきものを持ちながら、いや、それゆえにか、さらに未だ足りないものを求めつづけている実直さが伝わってくる。
詩集タイトルの「樹木人」とは、あとがきによれば「漂泊人」あるいは「不案内人」の意味合いとのこと。これだけ自らを律するように作品を書き続ける意志に感服する。導かれることもない漂泊の果てに、作者はどこへたどりついたのだろうか。
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