瀬崎祐の本棚

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接吻 中本道代 (2018/07) 思潮社

2018-08-14 22:35:07 | 詩集
 第8詩集。選詩集である現代詩文庫を別にすれば10年ぶりの詩集で、125頁に41編が収められている。装幀・絵は直野宣子。

冒頭におかれた「帰郷者」。久しぶりに訪れると、山肌の傾斜地の田畑の境目は崩れており、どこからか猪が押し寄せてくるのが故郷だったのだ。そこに話者の原点はあるのだろう。「ぶどうの果汁を叔父と/風の吹く野原で飲んだ」のが故郷だったのだ。そして、

   遠い日
   谷川の石の下に埋めたノートから
   小さな秘密の文字の群れは流れ果てていったか

 抑制された感情発露があり、切り詰められた緊張感が漂っている。

この詩集では広島の地で育った作者についてくる記憶も詩われている。「空が裂けた土地の小学校」では「人の傷んだからだを/焼けたからだを」研究している建物のある山へ上ったりもしたのだ(「ハイキング」)。私(瀬崎)もよく上った比治山だと思われるが、たしかに8月の広島の空はどこまでも終わる高さがない様に思われる。作品「日付」ではあの日のことが詩われている。
夏があり、九月があり、そして冬がある。季節は否応なく過ぎて、その移ろいのなかで研ぎ済まされた感覚があらがうこともなくどこか深いところへ潜りこんでいく。それは、あの終わりのない夏の空へどこまでも上がっていくのと同じ意味だ。

 「雪の行方」。雪が降り、ベランダの花が萎れる、そしてその雪は溶けて水溜まりになっている。しかし、「そこには秘密の熱があり」「無限の遠さ」を孕んでいるのだ。

   除外されて見る空の色は他の誰にも見えない
   松の葉はまばらに伸長して空気を突き刺している
   もう立ち上がれないと埋(うず)もれた声が呻いている
   しがみついていた木椅子を離れどこに行ってしまうのか

 目にした何気ないような現象もこの世界を動かしている何ものかを担っている。話者もまた担われている存在であることを静かに受けいれている覚悟のようなものがここにはある。

 紹介したい作品、詩句はいくらでもある。「くちびるの端に血を流して/朝が昼へと入れ替わる」(「別の九月に」より)、「見つめ合った/瞳と瞳を貫いた稲妻がからだ深く入り込んだために/離れることのできないものが/形を失っていった」(「逝ける日」より)。なんて、うっとりとしてしまう。
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