A4用紙を二つ折りにした4頁の近藤久也の個人誌。
「葉書」高木譲は寄稿作品。
膝が痛くて「弁当の世話になってい」るとのこと。もちろん病院にもかよっているのだが、「病院がよいよりも/弁当にころがっているほうがましのよう」とのこと。はて、この葉書の差出し人は何者なのだ? 戦地でも歩けなくなっておんぶされていたようなのだが。最終部分は、
そのときもなさけなくて
死んだふりをしたりもしていました
死人あつかいもされました
なんとも奇妙な、それでいてどこか情けない哀愁のようなものも感じさせる作品。
「おんなと釦」近藤久也。
おんなの留守に釦つけをしている。昔、学校で習って以来なので、「釦の位置が微妙にずれて」「へんな糸の止め方が恥ずかしそう」なのだ。やった事があることややった事がないことが人生にはごちゃ混ぜにある。そこで話者の結論は、
生きてるみたいに
ひらひらと
言の葉あやつる奴は
たちの良くない
与太だ
釦つけというなんでもない行為から次第に深みに入り込んでしまっている想念が、本人を苦しくさせ、読む者を(人ごとではないので)つい苦笑させてしまう作品。
あとがきにレイモンド・カーヴァーの短編「ブラックバード・パイ」(村上春樹訳)の紹介が魅力的にされている。大変に読みたくなった。
「葉書」高木譲は寄稿作品。
膝が痛くて「弁当の世話になってい」るとのこと。もちろん病院にもかよっているのだが、「病院がよいよりも/弁当にころがっているほうがましのよう」とのこと。はて、この葉書の差出し人は何者なのだ? 戦地でも歩けなくなっておんぶされていたようなのだが。最終部分は、
そのときもなさけなくて
死んだふりをしたりもしていました
死人あつかいもされました
なんとも奇妙な、それでいてどこか情けない哀愁のようなものも感じさせる作品。
「おんなと釦」近藤久也。
おんなの留守に釦つけをしている。昔、学校で習って以来なので、「釦の位置が微妙にずれて」「へんな糸の止め方が恥ずかしそう」なのだ。やった事があることややった事がないことが人生にはごちゃ混ぜにある。そこで話者の結論は、
生きてるみたいに
ひらひらと
言の葉あやつる奴は
たちの良くない
与太だ
釦つけというなんでもない行為から次第に深みに入り込んでしまっている想念が、本人を苦しくさせ、読む者を(人ごとではないので)つい苦笑させてしまう作品。
あとがきにレイモンド・カーヴァーの短編「ブラックバード・パイ」(村上春樹訳)の紹介が魅力的にされている。大変に読みたくなった。