北原千代の個人誌。20頁に詩2編、エッセイ1編、それに翻訳詩1編。
詩作品「聖母子」では、話者は午後の図書館で木星の第二衛星であるエウロパの写真を見ている。周りには、魚がいるよ!と喚くこどもらがいて、うすい夏服の妊婦もいる。
天体図鑑は 渇いたわたしの手から 青年の手へ
やわらかな幼い手へ ついに
夏服を着たあおじろい妊婦の下腹に睡る児へ と渡され
さらに傾く図書館
氷の衛星 エウロパの凍り水に魚は泳ぐか
妊婦と胎児は、ついにはタイトルの”聖母子”へと変容しているわけだ。話者を包み込んでいるはるか宇宙との交歓がおこなわれているような美しい作品。
エッセイ「須賀敦子さんへ xi -物語の誕生-」で書かれている須賀は、日本文学をイタリアへ紹介した翻訳者であり、エッセイストでもある。
ある人に言わせれば彼女のエッセイは「小説化されたエッセイ」であり、北原は「フィクションとの境界に立つ須賀さんの独自のペンを、わたしも受け入れねばならない」としている。また須賀自身は「言葉は一秒後には物語になる」と言っていたという。まだ読んだことのない須賀のエッセイを、なにか読んでみようと思わされた。
詩作品「聖母子」では、話者は午後の図書館で木星の第二衛星であるエウロパの写真を見ている。周りには、魚がいるよ!と喚くこどもらがいて、うすい夏服の妊婦もいる。
天体図鑑は 渇いたわたしの手から 青年の手へ
やわらかな幼い手へ ついに
夏服を着たあおじろい妊婦の下腹に睡る児へ と渡され
さらに傾く図書館
氷の衛星 エウロパの凍り水に魚は泳ぐか
妊婦と胎児は、ついにはタイトルの”聖母子”へと変容しているわけだ。話者を包み込んでいるはるか宇宙との交歓がおこなわれているような美しい作品。
エッセイ「須賀敦子さんへ xi -物語の誕生-」で書かれている須賀は、日本文学をイタリアへ紹介した翻訳者であり、エッセイストでもある。
ある人に言わせれば彼女のエッセイは「小説化されたエッセイ」であり、北原は「フィクションとの境界に立つ須賀さんの独自のペンを、わたしも受け入れねばならない」としている。また須賀自身は「言葉は一秒後には物語になる」と言っていたという。まだ読んだことのない須賀のエッセイを、なにか読んでみようと思わされた。