第2詩集。91頁に17編を収める。表紙カバーには前詩集と同様に香月泰男の絵が用いられている。
「シマシマの虎」では黄色い縞のところだけの虎が現れる。満ち足りた獣は優しいいのだろう。しかし、空腹になった虎には黒い縞が現れ、獲物を飲み込んでいく。「私も 食べられてもいい気がした」
でも 黒いシマシマだけの虎は半分しか私を食べられなかった
半分だけ食べられるというのは 幸せなのか 不幸なのか
そんな形で空を見ると空も半分だけ見えるのだった
街も家も半分 人も半分だけ
そうした景色を眺めていると もともと人には
全体を見ることなど出来なかったことが分かってくる
虎の黄色と黒の縞模様のように、すべての事象にも光りと陰があるのだろう。そうした観念がくっきりとした形のものとして表現されている。半分になってしまった存在にとっては、自分と対峙する在るものもまた半分だけ、というのは新鮮な捉え方と思える。最終連は、
半分食べ残された私は 今はまた黄色の縞で現れた虎を
すこし慣れた手つきで撫でてみる すると私の中にも
二色の縞模様が次第にはっきりと見えてくるのだった
半分を食べられてしまいながらも、そのことを静かに受け入れている気持ちが、自分の存在も虎と同じであったことに気づかせてくれている。
Ⅱには、作者が幼い頃を過ごした旧満州のノモンハンや、そこから続くシベリアを舞台にした作品が、またⅢには寓話的な雰囲気の作品が収められている。
「シマシマの虎」では黄色い縞のところだけの虎が現れる。満ち足りた獣は優しいいのだろう。しかし、空腹になった虎には黒い縞が現れ、獲物を飲み込んでいく。「私も 食べられてもいい気がした」
でも 黒いシマシマだけの虎は半分しか私を食べられなかった
半分だけ食べられるというのは 幸せなのか 不幸なのか
そんな形で空を見ると空も半分だけ見えるのだった
街も家も半分 人も半分だけ
そうした景色を眺めていると もともと人には
全体を見ることなど出来なかったことが分かってくる
虎の黄色と黒の縞模様のように、すべての事象にも光りと陰があるのだろう。そうした観念がくっきりとした形のものとして表現されている。半分になってしまった存在にとっては、自分と対峙する在るものもまた半分だけ、というのは新鮮な捉え方と思える。最終連は、
半分食べ残された私は 今はまた黄色の縞で現れた虎を
すこし慣れた手つきで撫でてみる すると私の中にも
二色の縞模様が次第にはっきりと見えてくるのだった
半分を食べられてしまいながらも、そのことを静かに受け入れている気持ちが、自分の存在も虎と同じであったことに気づかせてくれている。
Ⅱには、作者が幼い頃を過ごした旧満州のノモンハンや、そこから続くシベリアを舞台にした作品が、またⅢには寓話的な雰囲気の作品が収められている。