瀬崎祐の本棚

http://blog.goo.ne.jp/tak4088

詩集「すべての詩人は水夫である」  加藤思何理  (2014/02)  土曜美術社出版販売 

2014-02-18 18:54:59 | 詩集
 第2詩集。121頁に21編を収める。
 装幀は長嶋弘幸で、エッチングを思わせる緻密な挿画やポイントをおさえた配色が中世的な物語を思わせる雰囲気を作っている。
 散文詩でも行分け詩でも、寓意的な事象の執拗な描写と説明が展開される。たとえば「あるいはその眼で地平線を巻き取る者についての偶発的で自家中毒的な十の断章」という副題を持つ「少年」では、少年について次のように描写される。

   Ⅳ
   たとえば少年は北向きの天窓から溢れる石炭袋の光を逆夢で濾過し、思考と歩行の免疫を
   舌下と耳孔で培養する。

   Ⅴ
   たとえば少年の裸の声の精度と純度は、その充血したナイフの偏心と深部の虹の霊的均衡
   の破綻によって保証される。

 描写されることによって事象は成立し意味を持つわけだが、なにが選び取られてどのように描写されるか、は常に問われている。緊張した意識が事象と向き合っている様は、その持続する息苦しさも伝えてくる。
 作品「緑の蛇が孵化する音も」(惑星の反対側にいる住人へ)」の一部を紹介する。

   ぼくの眼下には一と月ぶりに黒い森が涌きだすように
   拡がっていて、その森は尖端が乳母の指先の形に伸びてきにも家
   をこっそりと指し示す。だからぼくは苔の靴
   を履いて古いクロモリの自転車に跨がり、道の導くままに
   ペダルを漕いで午後四時のきみの家に辿り着く。まさにその場所
   赤いヴァンデン・プラの前窓に置き去りにされたのは、羊歯の模様
   のある細長い封筒、すなわち正統で一通の手紙。(略)

 形づくられるものたちへの具体的な指図、定義。それ以外のものの侵入は許さないといった頑なな気持ちが、作品を硬質なものとしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする