瀬崎祐の本棚

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詩集「花眼」  北条裕子  (2014/02)  思潮社

2014-02-20 18:54:26 | 詩集
 37年ぶりの第3詩集。77頁に18編を収める。
ひたすらに自分の内側をのぞき込んでいる。そこに在るのは何なのか、何のためにいつから在るのか、それを確かめようとして言葉を発している。それを確かめることによって自分が今はどこにいるのかを探り当てようとしているのだろう。

   指で押さえた部分 血管のふくらんでいる箇所 そっとそのままに 奥まで押し込
   み 光の淵に手をかけて 覗き込んでいた時には 見ているこちら側が 夢のような
   気がしていたが 今やっとわかる 向こう側の痛んでいるところが まぎれもなくほ
   んとうだった
                             (「私たちの長い夜」より)

 ある場合には、言葉のすぐ裏側には死がある。それは死者の面影であったり、ある人の不在感であったりもする。
 「痣」では、自分の外側のものとの衝突による身体感覚が自分の居る場所を伝えてくる。ぶつけた足首は膨れ上がり、暗紫色の痣を作っているのだ。

   痛む場所を芯にして 身体を折りたたんでゆくと 暗
   がりのなかで痣が発光し そこが女の在処だとわかるの
   であった

 ほとんどの作品では行分け部分と散文部分が混在している。言葉が出てくる時に、詩うときと語る時があり、その両者が形式を求めているのだろう。それは感情と理性のような違いかもしれない。しかしどこまでが感情でどこからが理性かというようなことは、他者には判らない。あくまでも作者の言葉がどのような意識で発せられたのかによるのだろう。
 「渡月」については詩誌発表時に「現代詩手帖」詩誌評で感想を書いた。
コメント
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