第4詩集。97頁に26編を収める。
かすかに響くものを言葉で捉えようとしている。それは自分の外側にあるものに呼応して内側で響きはじめたものだ。自分の内側に耳を澄ませていなければ気づかずにやり過ごしてしまいそうな、かすかな響きである。
「道のとおく」では、曲がりながら彼方へ続いていく線路を見ている。知らない町の光る小川があり、棚田の午後があり、農具小屋の壁があり、朝焼けの船着場へと繋がっているのだ。
回り道が好きだ。道草が好きだ。いつしかそれが
私の本道になっていた。けれども わたしも続
いていくよ。いまというここという遠くへ 帰って
いくよ。わたしは 木造の駅の 誰もいない冷え込
むベンチにいた。
あたためていくかなしみもある。
何ほどのこともないようなことなのだが、丁寧に掬いとればそれは小さな美しい華となる。
「きざはし」の冒頭連は、
こころは
少しずつ集まり
まとまると
すばやく移動していった
山の小径をゆく
山歩きをしている情景があるのだが、ふっと自分に訪れたものを大事にしていて、この表現は巧みだ。誰でも人は時代の中で生きているのだが、真剣に自分と対峙していればそれは個人の時代を突き抜けていくのだろう。
かすかに響くものを言葉で捉えようとしている。それは自分の外側にあるものに呼応して内側で響きはじめたものだ。自分の内側に耳を澄ませていなければ気づかずにやり過ごしてしまいそうな、かすかな響きである。
「道のとおく」では、曲がりながら彼方へ続いていく線路を見ている。知らない町の光る小川があり、棚田の午後があり、農具小屋の壁があり、朝焼けの船着場へと繋がっているのだ。
回り道が好きだ。道草が好きだ。いつしかそれが
私の本道になっていた。けれども わたしも続
いていくよ。いまというここという遠くへ 帰って
いくよ。わたしは 木造の駅の 誰もいない冷え込
むベンチにいた。
あたためていくかなしみもある。
何ほどのこともないようなことなのだが、丁寧に掬いとればそれは小さな美しい華となる。
「きざはし」の冒頭連は、
こころは
少しずつ集まり
まとまると
すばやく移動していった
山の小径をゆく
山歩きをしている情景があるのだが、ふっと自分に訪れたものを大事にしていて、この表現は巧みだ。誰でも人は時代の中で生きているのだが、真剣に自分と対峙していればそれは個人の時代を突き抜けていくのだろう。