第3詩集。72頁に21編を収める。
どの作品も柔らかな感情にあふれている。昂ぶるものをなだめてくれるような、心地よい柔らかさなのだが、その陰には何かにとまどっている怖れもあるようだ。
タイトル詩の「ぐーらん ぐー」というのは、昼間の電車の中で乗客の皆が次第に眠りに誘われていく光景を詩っている。
車内は誰も起きていない
みんなの頭が
ならんでつながれ
同じ揺れ方で
ぐーらん ぐーらん
ぐーらん ぐー
どこか知らないところへ
連れていかれる日が
きたようでした
それは一見のどかで平和そうな、誰もがよく目にする光景ではあるのだが、実はどこかに不気味なものも感じさせている。
おそらくは古いであろう日本家屋の様を詩った「いきている家」。その家は雨が降るとちょろちょろと音がして、風はとおりぬけて部屋の隅にうずまきをつくる。自然が働けば、まるで生きているように家は反応する。そんな家は、
一日がおわり
布団を敷くと
押入れは
広くなり
また知らない誰かが起きてきて
ひもを引っぱる
明かりが消えると
月の光が
畳をこすり
家は
すこし
わらいます
サーブばかりが繰り返されている父娘のバドミントンの様を描いた「公園」や、一瞬動いてまた木に戻るカワセミを描いた「翡翠」など、細やかな感受性がなければただ通り過ぎてしまうようなことなのだが、作者はそこからつづく普遍的なもの、なにか畏敬するものの存在を感じているようだ。
どの作品も柔らかな感情にあふれている。昂ぶるものをなだめてくれるような、心地よい柔らかさなのだが、その陰には何かにとまどっている怖れもあるようだ。
タイトル詩の「ぐーらん ぐー」というのは、昼間の電車の中で乗客の皆が次第に眠りに誘われていく光景を詩っている。
車内は誰も起きていない
みんなの頭が
ならんでつながれ
同じ揺れ方で
ぐーらん ぐーらん
ぐーらん ぐー
どこか知らないところへ
連れていかれる日が
きたようでした
それは一見のどかで平和そうな、誰もがよく目にする光景ではあるのだが、実はどこかに不気味なものも感じさせている。
おそらくは古いであろう日本家屋の様を詩った「いきている家」。その家は雨が降るとちょろちょろと音がして、風はとおりぬけて部屋の隅にうずまきをつくる。自然が働けば、まるで生きているように家は反応する。そんな家は、
一日がおわり
布団を敷くと
押入れは
広くなり
また知らない誰かが起きてきて
ひもを引っぱる
明かりが消えると
月の光が
畳をこすり
家は
すこし
わらいます
サーブばかりが繰り返されている父娘のバドミントンの様を描いた「公園」や、一瞬動いてまた木に戻るカワセミを描いた「翡翠」など、細やかな感受性がなければただ通り過ぎてしまうようなことなのだが、作者はそこからつづく普遍的なもの、なにか畏敬するものの存在を感じているようだ。