瀬崎祐の本棚

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詩集「行方しらず」 春木節子 (2024/09) 砂子屋書房

2024-09-20 16:51:34 | 詩集
第5詩集。112頁に24編を収める。

「おがみ愛玩動物雑貨店」。その店には小動物を入れたケージが重なっていて、背中のこどもをあやす割烹着姿のおかみさんがいる。おじさんは屋上で伝書鳩をたくさん飼っている。おばさんとおじさんは忙しそうに日々を送っているようなのだが、最終部分は、

   おじさんと
   おばさんが話しているところは
   見たことなく

   店の奥の住まいにつづく硝子戸のなかには
   何にんのこどもがいるのだろう

親しげによく知っていると思っているのは外から見える部分だけで、本当は、怖ろしい事柄が隠されているのかも知れない。日常生活で接する他人など、そんなものなのかも知れない。

「行方しらず」。どこかに向かっている人たちがいる。恐怖から逃げているようでもあり、理想を追い求めているようでもある。とにかくここではないどこかへ行こうとしているのだろう。すると潜水橋に出会う。水の流れに隠されていても、そこには辿ることのできる道があるわけだ。しかし、

   潜水橋は
   ゆだんならず
   深いようで あさくあり

りょうてをふり、なにかを叫びながらむこう岸に辿りついた人もいる。その人たちが渡ったものは何だったのだろうか。そんなところを渡ってしまったら、どこへ辿りつくのだろうか。

この作品の次に置かれた「行方しらず そして」では、潜水橋をわたりおえた人たちが次第にいなくなってしまうようだ。わたしたちはアセチレンランプを灯して歩いていくのだが、

   ひとつひとつ 離れて
   ランプの灯りが
   連なって
   はるかむこうの なだらかな稜線をうごいていくのが
   みえる

   わたしも
   あそこに行くのだろうか

最後に置かれた「行方しらず やがて」では、「やっと辿りついた砂の上」なのだが、「まだまだ さきだと/くぐもった声で」おとこがいうのだ。そして本当に行方しらずになっていくのだ。

「後記」には、「暢気者として過ごしているように見えているだろう自分」も「人の生の陰翳」や「逃れようのない困難」から「言葉に縋るように、書き続けて」きたとあった。たしかにそれだけの重みを感じさせる詩集だった。
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詩集「家の顛末」 石田諒 (2024/09) 思潮社

2024-09-16 20:27:44 | 詩集
第1詩集。92頁に18編を収める。

書かれた言葉はくっきりと輪郭をあらわしていて、迷いもなくそれぞれの事象を指し示している。それなのに示されたものたちは奇妙な位置関係で置かれている。全体を捉えようとすると歪んでいるのだ。その歪みが素晴らしく魅力的である。

「伝言」では、目的地ではない海で貝がらの亡霊たちが唸っているのだ。それは何も奇妙な光景ではなく、亡霊たちの静かな、けれど切実な感情なのだ。かすかな望みがあり、微かなあきらめがあるのだ。最終2連は、

   遠くで 待っています
   嫌いな服を着て
   みんなそろって
   蓋も閉めず 不機嫌な顔で
   巻いていることでしょう

   そう 聞いています

意図しないで(または意図的に)歪んだ(歪まされた?)風景は奥行きの感覚も狂わせる。ここは奥に続いているはずだと思ったところが行き止まりであったり、終わるかと思わされた先に曲がりくねった道が続いていたりしている。

目次で3つに分けられた最後の章には平仮名4文字タイトルの作品4編が並んでいる。どれも100~130行程度の比較的長い作品である。
「あまどい」。長い年月の間に雨は家を湿らせ、いろいろな陰の部分に何かを堆積させたような気配がするのだ。細かい具体的なことがていねいに積み上げられていき、ついには家が話者に倒れ込んでくるようだ。

   庭で水遊びをして濡れた あの日
   ぶら下がって、あまどいを壊したのは彼で
   (どうしようもねえ、どうしようもねえ)
   と、線香を立てつづける祖母の 色のない瞳
   の、娘役から提案があり それは
   濡れた服をまず 洗濯することだった
    落雷

短い作品では味わうことのできないうねりを楽しむことができる。荒れて、読む者を揺さぶり続ける時間がそこには流れる。この作品では血脈にまつわりつく苛立ちや怨念が流れている。「皮膚に残った血液が地図となるまで/往来しつづける物故者たち」がいるのだ。

詩集の帯文には杉本真維子の「詩のねばりづよい息継ぎが、生の足場を大きく広げる」という一文があった。新しい、鋭い感覚を持った書き手がここにあらわれた気がする。
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詩集「さまようひ」 橋場仁奈 (2024/09) 荊冠社

2024-09-10 18:09:38 | 詩集
第10詩集。88頁に21編を載せる。

以前に橋場の作品について「誰のせいによるのか判らない喧噪と、何のためなのか判らない混乱」があって作品世界を縺れさせている、と書いた。本詩集にもその喧噪と混乱は溢れている。
「有刺鉄線」では、崖っぷちのフェンスに白い花として「兄や姉たちが咲く 父も咲く母も咲く」のである。ニワトリはバタバタと走り回り、まるでたがが外れたお祭りさわぎのようなのだ。明るい生命感に溢れているようでいて、どことなく不穏な空気感をも漂わせている。

   声もなく崖っぷちのフェンスを這う季節はずれの朝顔
   どろどろと血まみれの昨日も今日ものみこんで
   姉や兄たち父や母に混じって咲く遠い銃声を耳の奥にしずめ
   有刺鉄線が足裏を突き刺し眼玉を食いやぶるぎりぎりとぎりりりり
   歯軋りして食いこんでくる夢の中でも突き刺さってくるから
   もう少し風にゆれていようよ 半日 また半日

最終部分は「ニワトリが/羽根をバタバタする夜明け前/もうすぐ母の命日」。狂乱の中に在る話者が母の命日を一つの軸として生活もしているようで、人間の感性の奥深さを思ってしまう。

「水色のサロペット」は冒頭の情景描写から気持ちをわしづかみにされる。崖っぷちの花畑には雪をのせたビニールのクマが立っているのだ。寒さがしみるなかを話者は「ねむい足 濡れた足 とろける足」で浅瀬をわたりかえってきたのだ。姉さんがいつまでも立っている玄関へ、

   山道を走った走った その姉も父も母も兄ももういない
   けれどいつだって声がする ときどき迷子になったりするが
   夜明けにはきっと帰ってくるよ

崖っぷちに立っているのは人なのか、それともビニールのクマなのか。水色のサロペットの胸元では星たちがひかったりかげったりしている。そしてたどりつこうとしている場所にはそれが「雪に埋もれ立っている」のだ。「足踏みして足元をかきわけ/朝も昼も夜も立っている立っている」のだ。たどり着こうとしている直向きさ、焦りが言葉を反復させている。言葉はこれほど必死に発せられるものなのだと思い知らされる。

作品「ヒヤシンス」は拙個人誌「風都市」に寄稿してもらった作品である。

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詩集「誰のでもない/レリギオ」 高野堯 (2024/07) 思潮社

2024-09-06 20:41:13 | 詩集
第3詩集。138頁に23編を収める。

表記には漢字の割合いが多く、視覚的にも紙面は硬く尖っている。また片仮名によるルビが一層刺々しい印象を与えている。いたるところで言葉は牙を剥いていて、安易に近づくと皮膚が切り裂かれてしまうような感覚がある。

「じいじの眦(マナジリ)」は11頁に及ぶ長い作品で、散文詩型の部分と行分け詩の部分が混在している。「このボク」がじいじについて語っているという体裁を取っているのだが、その視線は内省に満ちている。ボクはどうやらじいじに連れられた犬のようなのだ。犬なので人間界の約束事からは離れた地点で人間界を捉え直そうとしている。

   (避難所はまだだろうか、近づいているのか遠ざかっているのかわからないまま 
   じいじの視界(エイゾウ)が先(ミライ)を鼻で追った、すると辺りは冬になっている、鼻先に纏いつ
   く粉雪の清冽さにますますセカイ(ソウゾウ)へのめり奔らせるのか//燦燦(サンサン)と落ちてくる
   白い光の粒子に囲まれ・・・・・・

時折り話者は「ボク」からも遊離していき、ボクをも包括した掟を造り上げていく。

「レリギオ」では、外出禁止令が出され、木偶人形(デクニンギョウ)が死魂の不日(フジツ)を語っている。どこにつながりを求めればよいのか、

   朝焼けの跫音が消えいっていく//どうやら
   埠頭の暁闇(ギョウアン)をコツコツと響き渉り/どこかで
   蟲の死魂も目覚めたのか、この記憶だけかが
   地勢学に気遣われ、しらむまに領土を換える

高野の作品を読んで、作者と”共感する”読み手はおそらく少ないだろうと思う。詩としては当然なこととして作者も共感など求めてはいないだろうし、理解されることを期待もしていないだろう。まるで、自分勝手に書いたから、どうぞ読み手も勝手にこれらの作品を手がかりにして自分の作品を創り上げてほしい、と言っているようだ。そういった覚悟が伝わってくる作品である。
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詩集「囀る、光の粒」 岡田ユアン (2024/08) 思潮社

2024-09-03 17:29:47 | 詩集
第4詩集。92頁に23編を収める。
表紙カバーにはショッキング・ピンク色の細かい点が粒となって切り取られていて、帯も同じピンク色で彩られている。軽やかな高揚感が感じ取れる。

詩集にも、それこそ全体に光が満ちている。たとえば、「降りそそぐ」は「降りそそぐひかりはことばとなって、あらたなふるえをわたしに与える。」と始まる。

   (略)漣は、
   しらずしらずわたしたちを包む、歓びのように、絶えまなくゆらぐ。
   白砂は足裏で、やさしく聞き耳をたて、過ぎ去っていく面影は、
   名前を置いて旅立っていく。もう思い出すこともないのでしょうか。

あふれるような光に満ちている作品なのだが、あまりの明るさに世界はハレーションを起こしてしまいそうなほどだ。その中でまさぐる言葉は明るさのなかでの形を求めている。もしかすればこの明るさはひとときだけのことかも知れないのだが、そのことを感じながらの発語はそれだけに大事なものだ。そのひとときを愛おしんで呼吸をして、肺から拡がる歓びが色を薄める。あなたの名前が持っていた色も薄まっていき、最終行は、「泡沫のわたしたち。泡沫の所以。」

おそらくこのまばゆい光は幼い命から発せられているのではないだろうか。「あなたの両の手のひらが」では、「あなたの両の手のひらが/わたしを求めて 開かれているあいだ/あなたは何を聞くでしょう」「あなたは何を見るでしょう」と呟いている。そこにはあなたが齧った林檎があり、透明な朝の使者がいる。

   聞かせてあげなさい
   開かれた 手の方へ

   流転する星々の賛歌
   なつかしみと共に
   あなたの頬に触れる
   やわらかな手のひら

この驚きに満ちていて、しかも懐かしいものたちがあなたを包む宙、すなわち光となっている。やさしい慈愛に満ちている。
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「玲瓏」111号 (2024/04) 千葉

2024-08-30 18:16:43 | 「ら行」で始まる詩誌
故・塚本邦雄が興し主宰していた短歌結社の機関誌である。現在の発行人は塚本青史で137頁。

第27回の玲瓏賞受賞者である笹原玉子は「南海漁夫」と題した20首を発表している。

   あからひく朝の旅人が言ったのだ「えいゑんはえいゑんのむかふ」

   オフィーリアの皺だらけなる双手見よ(まだえいゑんの途中ですから)

短歌についてはどのように感想を言えばよいのかがよく判らないのでまったくの個人的な嗜好になるのだが、今のほとんどの詩は持つことを止めた韻律が支える想像力の羽ばたきのようなものを感じる。韻律があることによってかえって自由となる世界の作り方を見ることができる。

   月のすむ都しあらば南海漁夫われと遊べよ朝な夕なに

私(瀬崎)の感覚で言えば、「月のすむ都」という語から、もしそれがあれば、という思いが出てきたとしても、「南海漁夫」にまで跳ぶことは難しい。語弊を怖れずに言えば、詩が自由律になったためにその跳び方がぎごちないものになってしまう。しかし、韻律が支えてくれるとそれは可能になってしまうのだ。恐るべし、韻律。

また笹原は「文芸●川」10号(2024/07)(小中陽太郎・編集)には詩「ここは夢、夢は仮死」を発表している。2~5行の10の断章から成っており、たとえば、

   5
   琥珀のなかの蝶は生きもの。眠る生きもの。未熟からも爛熟からもはるか
   な生きもの。ロマノフ朝の最後を見てきた蝶たちもゐる。おまへたち、そ
   ろそろ起きて今日の無残を見てみませんか。そのかはり私が入ってあげま
   す琥珀のなかへ。

ここでは表面上の韻律はないものの、作者の内部ではしっかりとそれが言葉を動かしているのだろう。この詩を構成する10の断章も、そこで詩われている事象の跳び方や絡み具合からは10首を一組とした短歌のセットのような肌触りがあった。

なお笹原は2008年には詩集「この焼跡の、ユメの、県(あがた)」(ミッドナイトプレス)も出版している。
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詩誌「左庭」 56号 (2024/07) 京都 

2024-08-28 10:32:38 | 「さ行」で始まる詩誌
20年続く詩誌で、現在の同人は7人。36頁。

「六月」冨岡郁子。六月は一年のちょうど半分の時期で、砂時計も真ん中でくびれている。そのくびれを砂が流れており、その砂時計のガラスに煙草の火が映っているようなのだ。

   そんな
   煙草の先の灰が
   白くくずれてゆくのを
   じっと
   眺めている

これに続く最後の一行は「そういう「愛」の形もある」。半分に分かれる状態がもたらす執着、諦観、そんなものを感じさせて、軽い感じの比喩に支えられたなんとも洒落た作品になっている。

「潜熱七夜」岬多可子。月曜から日曜までの七夜がそれぞれ3行程度の詩句で詩われている。その詩句ははっきりした意味は取りにくいものの、鮮やかなイメージを差し出してくる。たとえば月曜では「五月のエーテルで/燻蒸されていた 海の肉」が詩われ、火曜には鍋底から沸くきみどり色の粘土がまぶたを封緘するようなのだ。

   金
   砂漠の底を移っていく ひそやかな水場のように
   あらわれては きえる ばら色の発疹図
   なまみでの こと

潜熱とは、状態を変化させるのに温度は変わらない熱のこと。秘やかな、それでいて莫大なエネルギーを孕んでいるような作品だった。

「わすれもの」山口賀代子。何かが心配で、つい追いかけてしまう。かといって、さがしものがあるわけでもない。何かをわすれているのか、何をわすれたのかをわすれてしまったのか。

   わすれものが わすれものを追いかける
   抜いたり 抜かれたりしながら
   どこまでいっても
   わすれものはわすれものなのだった

感覚的によく伝わってくるものがあった。”わすれもの”と名指された時点で(中身は不明であるにせよ)その存在は忘れられていないのだな。

5人が「さていのうと」として各1頁のエッセイを書いている。交遊、社会情勢、感慨など、各自の生身が感じられて楽しい頁である。
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詩集「アウラの棘」 颯木あやこ (2024/08) 思潮社

2024-08-23 22:52:12 | 詩集
第5詩集。126頁に40編を収める。

詩集前半の作品には、出口のないところへ入り込んでいるような話者がいた。光の射す方向を探し求めて、言葉を四方の壁へ投げかけているようなのだ。

「汝」は、そんな話者が対峙しているものが詩われている。それは死の影をまとったものなのだ。

   いることも いないことも知っている
   だから呼ぶのよ

   欅や雪の姿をまとって
   ふいに現れ
   わたしを安心させたり寂しがらせたりする あなた

おそらく”あなた”はわたしの中にいるのだろう。こうして書くことによって”あなた”を捉えなおそうとしているようだ。

そしてこの詩集の作品が優れているのは、話者の閉塞を自分だけのこととして捉えるのではなく、同じように閉塞している人への視線を持っていることだ。閉塞を個人が閉じこもったものにはしないで、普遍的なものとして捉えようとしている。これは第1詩集「やさしい窓口」のときから作者の根底に流れているもののように思える。

「贈り物」の話者は、「あなたの脇腹に触れるのは」「わたしたちを行き交う/貿易風です」と言う。おそらくその貿易風に乗るようにして、わたしはあなたに贈り物をするのだ。はじめに、私たちの町は寒いので緋色のマフラーを、そしておたがいが分からなくなったときのために心の万華鏡を。

   最後の包みは こねこ
    日々のわずかなすき間さえ充たす
    たやすく失くしてしまいそうな存在の軽さで
    わたしたちは揃ってそれを名づける
    もっとも透きとおった鉱物にちなんで

   ねこが寒がるので わたしたちの風は止む

貿易風はここからどこかへ向かうための風だったのだろう。そしてあなたとの贈り物でここが閉塞した場所ではなくなったのだろう。

辛い心情があり、そこから投げかけられる言葉によって引き上げられていくものもある詩集だった。
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詩集「一瞬の不安」 大家正志 (2024/09) 私家版

2024-08-20 22:00:02 | 詩集
71頁に17編を収める。表紙カバーには指田一の不思議な、大変に魅力的なオブジェがあしらわれている。

「不実」。むかしは「手続きだった」というおんなが登場してくる。何?と思ってしまうのだが、作品はそんな戸惑いを蹴散らすようにぐいぐいと進む。手続きなのでおんなは「丹念に読み込まれ」「薄っぺらな皮膚一枚になっ」てしまうのである。おんなは石の空洞にはまりこみ、その石はやがて(欺瞞によって)神の声が聞こえると崇められるようになってしまう。終連は、

   しかし石は
   ただの石は
   声なき無数の石の路傍の石に混ざりたいとだけ願ったのだが
   そのことを願うたびに
   石のなかのおんなはおんなであった記憶が際だちはじめるのだった

伝承なのか、法螺話なのか、とにかく痛快な独特の世界が展開されている。

他の作品でも「等高線」や「共同体」といった、本来は捉えどころのない概念のような事柄が取り上げられているのだが、語られる内容は大変に身近に感じられる。抽象概念が具体的な事物であるかのように、ときには擬人化されて語られる。手触りを感じさせながら、そこから遠いところにまで読む者を連れていってくれるのだ。

”輪郭の濃いおんな”や”投石兵”、”樽に閉じ込められた人”などもあらわれる。彼らはある意味で極端な状況におかれているのだが、それは不条理を露わにすることによって説明が困難な事柄に立ち向かおうとする方法であるのだろう。
そんな話者にはどさっとくずれてくるものがあり(「どさっ」)、なにごとかが降ってくるのだ。しかも降ってくるのは”もの”ではなく”こと”なのだからややこしい(「空から」)。

「おいっ」では、話者は冬の青空から不意に呼ばれる。「おもわず/こんにちわといってしまった」のだが、誰が、何故、ぼくを呼ぶのか?

   空のむこうでは
   かたちの不揃いな色彩がきらきらしていた
   そのなかに
   おいっ
   という文字が見えた
   それは卑怯だとおもったが
   ことばが卑怯でなかったためしはなかったからいまさらなんだともおもう

一歩間違えれば理屈っぽくなってしまうところを、巧みな話術で楽しく読ませてくれる詩集だった。
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詩集「白くぬれた庭に充てる手紙」 望月遊馬 (2024/07) 七月堂

2024-08-16 22:48:33 | 詩集
第5詩集か。帯文は川口晴美。129頁に18編を収める。
目次には載っていないが「光の声」と題した散文詩が栞のように挟み込まれている。この作品を序文のように読みながら詩集に踏み入っていく。

「島に伝わる七つの伝承をもとに」との附記がある「宮島奇譚」の章の作品は圧巻である。7編の作品の始めに「藝藩通志」という書からの引用がおかれ、そこから作者が紡いだ物語が展開されている。
「1.猿の口止め」は「盥に、水をいれて/しずまったもの くぐりゆくものを」「そっと迎え入れる大晦日」を詩っている。除夜の鐘のあとに子どものあしおとがして、みずおとが聞こえ、そして追いぬいてゆく光があるのだ。そびえる大鳥居を、

   くぐるたびに みあげれば
   朝焼けがある 数羽の鳥の群れがよぎる
   鳥は外部であり
   敬虔な羽ばたきをせなかに閉ざしている
   (おまえの上空にも、微笑のような月。)

縄跳びをする少女は婆と重なり、「おもさのなかへは/まだ見ぬ季節のものをそっと容れよう」とする。

   しかし 冬を呼んではいけない
   冬を呼んだら 猿たちが目ざめる
   (猿たちはいつも小数点のなかにある。)
   (ほんとうは にんげんの欲望を胸に焦がしている。けれどもそれは、貴族階級のしぐ
   さだから、猿はふわふわと踊る。そのことだけは確かだ。)
   (こぶしのなかには あなたもふくまれていて、)

作者は遠い昔に他の島から連れてこられた猿にこだわっている。「ひとつの素描による夕焼けの物語」の章の作品でもあらわれる猿たちは作者にはどのような存在なのだろうか。新しく与えられた場が伝承の地となり、その光景の中で言葉を発していく、その意味を探っているのだろうか。そうした猿の末裔たちが、今みだりに発せられる言葉を研ぎ澄ましている。

こうして7つの島の伝承が作者を絡め取って言葉を紡いでいる。そこにこれまでは見えなかった新しい伝承が産まれ、島を覆いはじめているのだ。

「かすかなひと」。漂着した白い舟からはこびとの船員があらわれ、わたしは彼らがいる庭を守ろうとしている。

   白い舟は 湾を周回し
   わたしは口をおさえて 港をあとにした
   どんなに苦しくても 消えいりたいと思ったとしても
   言葉をすてることはなかった そんなあなたに
   わたしは わたしのことばを相続します

言葉を発することは、そこに新しい光景を作り出すことにほかならない。この作品でも、たおやかだが、それでいて鮮やかな色彩で描かれた光景が現出している。

前詩集「燃える庭、こわばる川」に続いて、宮島や広島といった作者がこだわる風土から立ち上る”気”のようなものに突き動かされて作品が生まれている。そこには作者だけが見ることのできる風景があらわれ、その風景との交流がさらに言葉を産んでいる。前詩集以上にすさまじく濃密な世界を孕んだ詩集であった。
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