歩行記録 H30-4-10(火)
歩行時間:4時間40分 休憩時間:0時間50分 延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分 到着時刻:14時20分
歩 数: 21、028歩(推定距離14.51km) GPS距離km
行程表
静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺
静居寺からドウダン原周回概略図
高草山のキスミレと千葉山ドウダン原のドウダンツツジが最盛期を迎えていると云う。
さてどちらに行こうと悩んだが、高草山は黄色だけ、島田なら紅白の花が見れるかもしれない、ならば島田だ。
それに来年の初詣ウォークには、島田3山と千葉山智満寺を含めた 「島田三山3山」 もいいなと思ってもいる。
ただコースの設定が難しく、寺の三山は智満寺、静居寺、天徳寺か東光寺にしたいが、静居寺周辺の道が分からない。
以前車で静居寺の牡丹を見に行き、花壇を手入れをしている人に、静居寺から尾根へは道があると聞いたことがあるので、
それなら今回は丁度良い機会だ。今日は静居寺からの道を探しながらドウダン原へ抜けてみよう。
静居寺惣門 牡丹の花壇
「青原山静居寺」 寺の山号寺号は難しい字が多いが、ここは字は易しいが読み難いですよね。
寺号は来る途中の標識に “静居寺(じょうこじ)” と書いてあったので読めたが、山号の青原山は “あおはらざん” なのか
“しょうげんざん” あるいは他の読みなのかも分かりません。
更に静居寺の建つ地名は、島田市 「旗指」 です。さてこれも “はたゆび” なのか “はたさし” なのか分かりません。
何とも謎の多い静居寺です。
この辺りの曹洞宗の古刹であれば、榛原の石雲院と関係がありそうだが案内板には何も書いてない。
ましてや石雲院の弟子が開いた焼津の林叟院の事など書いてある訳はないのだが
処が林叟院のHPにはこんな事が書いてあります。
「名僧崇芝性岱(そうししょうたい)禅師が開いた坂部の石雲院には、三千人を超える修行僧がおりました。その中に石雲七哲と
いわれる七名の名僧の内の一人、賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)禅師が修行に励んでいました。
賢仲禅師は38年間を林叟院にて過ごしましたが、70歳を過ぎて禅師は島田の伊太の愚鶏寺に閑居しましたた。その後弟子の
大樹宗光(だいじゅそうこう)師が静居寺を建立することとなり陰に陽に助力を与えました。その建立後は静居寺で老を養う身と
なり永正9年静かにその生涯を閉じました。齢七十五歳でありました。」 とあります。
だが静居寺の案内板には 「16世紀頭に賢仲繁哲を開山として建立されました。」 とあるだけです。
ここに “林叟院の住職だった賢仲繁哲が開山し・・・・・” とあればもっと地域的興味も増すと感じるのは私だけでしょうね。
ここの惣門が京都から移築した建物で県の有形文化財に指定されています。
この門の特徴は 「向唐門(むかいからもん)」 で、正面および背面に唐門がある事です。
確かに正面から見ても裏面から見ても唐門様の屋根が見えます。
牡丹は惣門から山門に続く参道の両側にあるのですが、残念ながら咲いていたのは3株だけ。後は蕾の状態でした。
今日の “紅白の花を求めて” の “紅” は空振りでした。
牡 丹 牡 丹
わずかに咲いていた牡丹です。
池と山門 山 門
案内板には山門とあるが無碍門、惣門と続いているから三門とも云えそうだし、形は楼門、鐘門でもあります。
経 蔵 輪 蔵
本堂の裏には八角堂の経蔵があり、経蔵の中にはグルグル回る輪象がありますが、これも静岡県では珍しいものです。
童地蔵 無事カエル
境内にあった蛙の置物です。今日も無事歩いて戻ってこなければ。
静居寺からバラの丘公園上の稜線のハイキングコースまでの道は、地理院の地図を見ると林道、山道、農道と線は
繋がっているので大丈夫だろうと考えていました。
別荘? サワガニの里
静居寺横からの沢横の道は、意外に太い道でびっくりしたが、途中にあった大きな建物の先からは普通の林道でした。
途中には 「杉の小径 さわがにの里 二ノ橋」 の表示があるのは、ここは遊歩道なのだろうか。
林 道 放置自動車
放置されたままの自動車には “佐の幸” と店の名前らしきものが見えるが、度胸いや図々しい人だ。
よく看板を付けたまま放置できるものだ。なんて思ったが、ここが佐の幸さんの私有地なら私の方が無断進入になってしまう。
桑原、桑原、余計なことは言わないでおこう。
うぐいすの滝 落ちそうな木橋
「うぐいすの滝」 は滝のような段差は無いが、岩が木の根のように見える変わった感じだった。
滝を過ぎると林道は細い道になった。オット! 木製の壊れそうな橋だ。木が腐っているのでソット歩かなければ。
石橋と木道 遂に橋が落ちていた
一度は細くなった道だが、壊れた橋はコンクリの橋でそれなりに幅は広かった。だが出て来る橋、出て来る橋、全て落ちていて
沢に下りなければ渡れなかった。
橋が無くなっている 堰堤が見える
元は林道だったのかどうか分からないが幅広のコンクリ橋がある以上林道は続いていると思うべきだろう。
それに右側を見てきたが分岐していた道は無かった。それなら沢沿いの道を遡るしかない。
遂に太めの道は終り踏み跡状の道になると前方に堰堤があったが、踏み跡を辿って乗り越す事ができた。
まだ踏み跡は続く ここを行こう
堰堤の先には保安林の標識があり踏み跡は続いていたが、その先で踏み跡は見えなくなり沢になってしまった。
丁度沢の合流部で主流は直進し、右は細い支流の沢だった。確か地図では途中で右に曲がって尾根に向かったと細い沢を遡る事に。
赤い杭があった やっと尾根に出た
沢に入っても水も無く少しゴロゴロするだけで歩くには支障はなかった。だがそんな部分が終ると川の出口にある三角州と
反対に、沢の入口に向かって三角になった地形になった。傾斜はかなり急だが何とかなりそうな感じはする。だが何処を登ろう。
まるで岩登りのルートハンティングのように登れそうな所を探す。
余り右に行き過ぎてもいけないし、中央部分は草木が無くズルズルした土のようだ。あれでは掴まる所も無いし滑ってしまう。
そうなうと右を行くしかないが、マー上りなら何とかなりそうです。
落ちて死ぬような場所ではないが、この辺りは人は通りそうもない。落ちても自分で下山しなければならない。
どうか足元が滑りませんように。手にした草が抜けませんようにと祈りながらの歩き、いや攀りになってしまった。
途中に赤い杭があったが、その上もまだ急斜面は続く。
やっと尾根に辿りつきホッとしたが細い尾根で当然農道は無く。その先はまた谷になっていて目的の尾根はその先のようだ。
(後で地図を確かめてもそんな地形の場所はないので、谷と云っても10mもなかったのかもしれません。)
後で写真を見ると沢から尾根までの写真は1枚も無い。今になれば余裕のあるような恰好をしているが、その時は
必死だったのでしょう。
子尾根を登る フ~農道に出た
もう谷を下り気にはならず、出合った子尾根を左に曲がり上る事にした。
途中にも赤い杭があり目的は分らないが人は入っている。
前方に崩れた崖のような物が見えるが、まさかあそこを登るの? イヤダナーと恐る恐る下を覗き込むと、そこには落葉の間から
舗装された農道が見えていました。フ~!
谷から子尾根まで20分弱、そして子尾根から農道まで10分弱の冒険でした。
もうここは登る事も下る事もしません。特に下りに使えばまず私では滑り落ちる事でしょう。
千葉山が見えた 矢倉山入口の三辻
出た場所が何処か分からなかったが丁度農道は右も左も下りだったので高台のようです。
農道を少し下るとまた上りとなったその先に、見慣れた景色が現れた。
千葉山から矢倉山に登りバラの丘に向かう途中で唯一千葉山やペンションが見える場所です。
ここまで来れば矢倉山入口の三叉路は近い。
農道に出てたった5分で矢倉山入口の三叉路に出てしまった。どうやら沢横の道の落た橋を幾つか渡ってしまったが、
途中から右へ分岐していた道を見落としたようだ。そんな事はないと思うがなぁ。
歩行時間:4時間40分 休憩時間:0時間50分 延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分 到着時刻:14時20分
歩 数: 21、028歩(推定距離14.51km) GPS距離km
行程表
静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺
静居寺からドウダン原周回概略図
高草山のキスミレと千葉山ドウダン原のドウダンツツジが最盛期を迎えていると云う。
さてどちらに行こうと悩んだが、高草山は黄色だけ、島田なら紅白の花が見れるかもしれない、ならば島田だ。
それに来年の初詣ウォークには、島田3山と千葉山智満寺を含めた 「島田三山3山」 もいいなと思ってもいる。
ただコースの設定が難しく、寺の三山は智満寺、静居寺、天徳寺か東光寺にしたいが、静居寺周辺の道が分からない。
以前車で静居寺の牡丹を見に行き、花壇を手入れをしている人に、静居寺から尾根へは道があると聞いたことがあるので、
それなら今回は丁度良い機会だ。今日は静居寺からの道を探しながらドウダン原へ抜けてみよう。
静居寺惣門 牡丹の花壇
「青原山静居寺」 寺の山号寺号は難しい字が多いが、ここは字は易しいが読み難いですよね。
寺号は来る途中の標識に “静居寺(じょうこじ)” と書いてあったので読めたが、山号の青原山は “あおはらざん” なのか
“しょうげんざん” あるいは他の読みなのかも分かりません。
更に静居寺の建つ地名は、島田市 「旗指」 です。さてこれも “はたゆび” なのか “はたさし” なのか分かりません。
何とも謎の多い静居寺です。
この辺りの曹洞宗の古刹であれば、榛原の石雲院と関係がありそうだが案内板には何も書いてない。
ましてや石雲院の弟子が開いた焼津の林叟院の事など書いてある訳はないのだが
処が林叟院のHPにはこんな事が書いてあります。
「名僧崇芝性岱(そうししょうたい)禅師が開いた坂部の石雲院には、三千人を超える修行僧がおりました。その中に石雲七哲と
いわれる七名の名僧の内の一人、賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)禅師が修行に励んでいました。
賢仲禅師は38年間を林叟院にて過ごしましたが、70歳を過ぎて禅師は島田の伊太の愚鶏寺に閑居しましたた。その後弟子の
大樹宗光(だいじゅそうこう)師が静居寺を建立することとなり陰に陽に助力を与えました。その建立後は静居寺で老を養う身と
なり永正9年静かにその生涯を閉じました。齢七十五歳でありました。」 とあります。
だが静居寺の案内板には 「16世紀頭に賢仲繁哲を開山として建立されました。」 とあるだけです。
ここに “林叟院の住職だった賢仲繁哲が開山し・・・・・” とあればもっと地域的興味も増すと感じるのは私だけでしょうね。
ここの惣門が京都から移築した建物で県の有形文化財に指定されています。
この門の特徴は 「向唐門(むかいからもん)」 で、正面および背面に唐門がある事です。
確かに正面から見ても裏面から見ても唐門様の屋根が見えます。
牡丹は惣門から山門に続く参道の両側にあるのですが、残念ながら咲いていたのは3株だけ。後は蕾の状態でした。
今日の “紅白の花を求めて” の “紅” は空振りでした。
牡 丹 牡 丹
わずかに咲いていた牡丹です。
池と山門 山 門
案内板には山門とあるが無碍門、惣門と続いているから三門とも云えそうだし、形は楼門、鐘門でもあります。
経 蔵 輪 蔵
本堂の裏には八角堂の経蔵があり、経蔵の中にはグルグル回る輪象がありますが、これも静岡県では珍しいものです。
童地蔵 無事カエル
境内にあった蛙の置物です。今日も無事歩いて戻ってこなければ。
静居寺からバラの丘公園上の稜線のハイキングコースまでの道は、地理院の地図を見ると林道、山道、農道と線は
繋がっているので大丈夫だろうと考えていました。
別荘? サワガニの里
静居寺横からの沢横の道は、意外に太い道でびっくりしたが、途中にあった大きな建物の先からは普通の林道でした。
途中には 「杉の小径 さわがにの里 二ノ橋」 の表示があるのは、ここは遊歩道なのだろうか。
林 道 放置自動車
放置されたままの自動車には “佐の幸” と店の名前らしきものが見えるが、度胸いや図々しい人だ。
よく看板を付けたまま放置できるものだ。なんて思ったが、ここが佐の幸さんの私有地なら私の方が無断進入になってしまう。
桑原、桑原、余計なことは言わないでおこう。
うぐいすの滝 落ちそうな木橋
「うぐいすの滝」 は滝のような段差は無いが、岩が木の根のように見える変わった感じだった。
滝を過ぎると林道は細い道になった。オット! 木製の壊れそうな橋だ。木が腐っているのでソット歩かなければ。
石橋と木道 遂に橋が落ちていた
一度は細くなった道だが、壊れた橋はコンクリの橋でそれなりに幅は広かった。だが出て来る橋、出て来る橋、全て落ちていて
沢に下りなければ渡れなかった。
橋が無くなっている 堰堤が見える
元は林道だったのかどうか分からないが幅広のコンクリ橋がある以上林道は続いていると思うべきだろう。
それに右側を見てきたが分岐していた道は無かった。それなら沢沿いの道を遡るしかない。
遂に太めの道は終り踏み跡状の道になると前方に堰堤があったが、踏み跡を辿って乗り越す事ができた。
まだ踏み跡は続く ここを行こう
堰堤の先には保安林の標識があり踏み跡は続いていたが、その先で踏み跡は見えなくなり沢になってしまった。
丁度沢の合流部で主流は直進し、右は細い支流の沢だった。確か地図では途中で右に曲がって尾根に向かったと細い沢を遡る事に。
赤い杭があった やっと尾根に出た
沢に入っても水も無く少しゴロゴロするだけで歩くには支障はなかった。だがそんな部分が終ると川の出口にある三角州と
反対に、沢の入口に向かって三角になった地形になった。傾斜はかなり急だが何とかなりそうな感じはする。だが何処を登ろう。
まるで岩登りのルートハンティングのように登れそうな所を探す。
余り右に行き過ぎてもいけないし、中央部分は草木が無くズルズルした土のようだ。あれでは掴まる所も無いし滑ってしまう。
そうなうと右を行くしかないが、マー上りなら何とかなりそうです。
落ちて死ぬような場所ではないが、この辺りは人は通りそうもない。落ちても自分で下山しなければならない。
どうか足元が滑りませんように。手にした草が抜けませんようにと祈りながらの歩き、いや攀りになってしまった。
途中に赤い杭があったが、その上もまだ急斜面は続く。
やっと尾根に辿りつきホッとしたが細い尾根で当然農道は無く。その先はまた谷になっていて目的の尾根はその先のようだ。
(後で地図を確かめてもそんな地形の場所はないので、谷と云っても10mもなかったのかもしれません。)
後で写真を見ると沢から尾根までの写真は1枚も無い。今になれば余裕のあるような恰好をしているが、その時は
必死だったのでしょう。
子尾根を登る フ~農道に出た
もう谷を下り気にはならず、出合った子尾根を左に曲がり上る事にした。
途中にも赤い杭があり目的は分らないが人は入っている。
前方に崩れた崖のような物が見えるが、まさかあそこを登るの? イヤダナーと恐る恐る下を覗き込むと、そこには落葉の間から
舗装された農道が見えていました。フ~!
谷から子尾根まで20分弱、そして子尾根から農道まで10分弱の冒険でした。
もうここは登る事も下る事もしません。特に下りに使えばまず私では滑り落ちる事でしょう。
千葉山が見えた 矢倉山入口の三辻
出た場所が何処か分からなかったが丁度農道は右も左も下りだったので高台のようです。
農道を少し下るとまた上りとなったその先に、見慣れた景色が現れた。
千葉山から矢倉山に登りバラの丘に向かう途中で唯一千葉山やペンションが見える場所です。
ここまで来れば矢倉山入口の三叉路は近い。
農道に出てたった5分で矢倉山入口の三叉路に出てしまった。どうやら沢横の道の落た橋を幾つか渡ってしまったが、
途中から右へ分岐していた道を見落としたようだ。そんな事はないと思うがなぁ。