はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

紅白の花を求めて島田奥へ(静居寺)

2018-04-15 16:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-10(火)
歩行時間:4時間40分   休憩時間:0時間50分   延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分     到着時刻:14時20分
歩  数: 21、028歩(推定距離14.51km)    GPS距離km
行程表
 静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
 柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺 

     
                           静居寺からドウダン原周回概略図

  高草山のキスミレと千葉山ドウダン原のドウダンツツジが最盛期を迎えていると云う。
さてどちらに行こうと悩んだが、高草山は黄色だけ、島田なら紅白の花が見れるかもしれない、ならば島田だ。
それに来年の初詣ウォークには、島田3山と千葉山智満寺を含めた 「島田三山3山」 もいいなと思ってもいる。
ただコースの設定が難しく、寺の三山は智満寺、静居寺、天徳寺か東光寺にしたいが、静居寺周辺の道が分からない。
以前車で静居寺の牡丹を見に行き、花壇を手入れをしている人に、静居寺から尾根へは道があると聞いたことがあるので、
それなら今回は丁度良い機会だ。今日は静居寺からの道を探しながらドウダン原へ抜けてみよう。

 
                静居寺惣門                                牡丹の花壇

  「青原山静居寺」 寺の山号寺号は難しい字が多いが、ここは字は易しいが読み難いですよね。
寺号は来る途中の標識に “静居寺(じょうこじ)” と書いてあったので読めたが、山号の青原山は “あおはらざん” なのか
 “しょうげんざん” あるいは他の読みなのかも分かりません。
更に静居寺の建つ地名は、島田市 「旗指」 です。さてこれも “はたゆび” なのか “はたさし” なのか分かりません。
何とも謎の多い静居寺です。

  この辺りの曹洞宗の古刹であれば、榛原の石雲院と関係がありそうだが案内板には何も書いてない。
ましてや石雲院の弟子が開いた焼津の林叟院の事など書いてある訳はないのだが
処が林叟院のHPにはこんな事が書いてあります。
 「名僧崇芝性岱(そうししょうたい)禅師が開いた坂部の石雲院には、三千人を超える修行僧がおりました。その中に石雲七哲と
いわれる七名の名僧の内の一人、賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)禅師が修行に励んでいました。
賢仲禅師は38年間を林叟院にて過ごしましたが、70歳を過ぎて禅師は島田の伊太の愚鶏寺に閑居しましたた。その後弟子の
大樹宗光(だいじゅそうこう)師が静居寺を建立することとなり陰に陽に助力を与えました。その建立後は静居寺で老を養う身と
なり永正9年静かにその生涯を閉じました。齢七十五歳でありました。」
 とあります。

 だが静居寺の案内板には 「16世紀頭に賢仲繁哲を開山として建立されました。」 とあるだけです。
ここに “林叟院の住職だった賢仲繁哲が開山し・・・・・” とあればもっと地域的興味も増すと感じるのは私だけでしょうね。

  ここの惣門が京都から移築した建物で県の有形文化財に指定されています。
この門の特徴は 「向唐門(むかいからもん)」 で、正面および背面に唐門がある事です。
確かに正面から見ても裏面から見ても唐門様の屋根が見えます。

  牡丹は惣門から山門に続く参道の両側にあるのですが、残念ながら咲いていたのは3株だけ。後は蕾の状態でした。
今日の “紅白の花を求めて” の “紅” は空振りでした。

    
               牡 丹                                   牡 丹

  わずかに咲いていた牡丹です。

 
               池と山門                                      山 門

  案内板には山門とあるが無碍門、惣門と続いているから三門とも云えそうだし、形は楼門、鐘門でもあります。

    
                経 蔵                                    輪 蔵

  本堂の裏には八角堂の経蔵があり、経蔵の中にはグルグル回る輪象がありますが、これも静岡県では珍しいものです。

    
               童地蔵                                  無事カエル

  境内にあった蛙の置物です。今日も無事歩いて戻ってこなければ。

     

  静居寺からバラの丘公園上の稜線のハイキングコースまでの道は、地理院の地図を見ると林道、山道、農道と線は
繋がっているので大丈夫だろうと考えていました。

 
                  別荘?                                  サワガニの里

  静居寺横からの沢横の道は、意外に太い道でびっくりしたが、途中にあった大きな建物の先からは普通の林道でした。
途中には 「杉の小径 さわがにの里 二ノ橋」 の表示があるのは、ここは遊歩道なのだろうか。

 
                  林 道                                   放置自動車

  放置されたままの自動車には “佐の幸” と店の名前らしきものが見えるが、度胸いや図々しい人だ。
よく看板を付けたまま放置できるものだ。なんて思ったが、ここが佐の幸さんの私有地なら私の方が無断進入になってしまう。
桑原、桑原、余計なことは言わないでおこう。

    
               うぐいすの滝                            落ちそうな木橋

 「うぐいすの滝」 は滝のような段差は無いが、岩が木の根のように見える変わった感じだった。
滝を過ぎると林道は細い道になった。オット! 木製の壊れそうな橋だ。木が腐っているのでソット歩かなければ。

    
                石橋と木道                           遂に橋が落ちていた

  一度は細くなった道だが、壊れた橋はコンクリの橋でそれなりに幅は広かった。だが出て来る橋、出て来る橋、全て落ちていて
沢に下りなければ渡れなかった。

 
                橋が無くなっている                           堰堤が見える

  元は林道だったのかどうか分からないが幅広のコンクリ橋がある以上林道は続いていると思うべきだろう。
それに右側を見てきたが分岐していた道は無かった。それなら沢沿いの道を遡るしかない。
 
  遂に太めの道は終り踏み跡状の道になると前方に堰堤があったが、踏み跡を辿って乗り越す事ができた。

    
               まだ踏み跡は続く                         ここを行こう

  堰堤の先には保安林の標識があり踏み跡は続いていたが、その先で踏み跡は見えなくなり沢になってしまった。
丁度沢の合流部で主流は直進し、右は細い支流の沢だった。確か地図では途中で右に曲がって尾根に向かったと細い沢を遡る事に。

 
              赤い杭があった                             やっと尾根に出た

  沢に入っても水も無く少しゴロゴロするだけで歩くには支障はなかった。だがそんな部分が終ると川の出口にある三角州と
反対に、沢の入口に向かって三角になった地形になった。傾斜はかなり急だが何とかなりそうな感じはする。だが何処を登ろう。
まるで岩登りのルートハンティングのように登れそうな所を探す。
余り右に行き過ぎてもいけないし、中央部分は草木が無くズルズルした土のようだ。あれでは掴まる所も無いし滑ってしまう。
そうなうと右を行くしかないが、マー上りなら何とかなりそうです。

  落ちて死ぬような場所ではないが、この辺りは人は通りそうもない。落ちても自分で下山しなければならない。
どうか足元が滑りませんように。手にした草が抜けませんようにと祈りながらの歩き、いや攀りになってしまった。
途中に赤い杭があったが、その上もまだ急斜面は続く。
やっと尾根に辿りつきホッとしたが細い尾根で当然農道は無く。その先はまた谷になっていて目的の尾根はその先のようだ。
(後で地図を確かめてもそんな地形の場所はないので、谷と云っても10mもなかったのかもしれません。)

  後で写真を見ると沢から尾根までの写真は1枚も無い。今になれば余裕のあるような恰好をしているが、その時は
必死だったのでしょう。

 
              子尾根を登る                               フ~農道に出た

  もう谷を下り気にはならず、出合った子尾根を左に曲がり上る事にした。
途中にも赤い杭があり目的は分らないが人は入っている。
前方に崩れた崖のような物が見えるが、まさかあそこを登るの? イヤダナーと恐る恐る下を覗き込むと、そこには落葉の間から
舗装された農道が見えていました。フ~!

  谷から子尾根まで20分弱、そして子尾根から農道まで10分弱の冒険でした。
もうここは登る事も下る事もしません。特に下りに使えばまず私では滑り落ちる事でしょう。

 
              千葉山が見えた                               矢倉山入口の三辻

  出た場所が何処か分からなかったが丁度農道は右も左も下りだったので高台のようです。
農道を少し下るとまた上りとなったその先に、見慣れた景色が現れた。
千葉山から矢倉山に登りバラの丘に向かう途中で唯一千葉山やペンションが見える場所です。
ここまで来れば矢倉山入口の三叉路は近い。

  農道に出てたった5分で矢倉山入口の三叉路に出てしまった。どうやら沢横の道の落た橋を幾つか渡ってしまったが、
途中から右へ分岐していた道を見落としたようだ。そんな事はないと思うがなぁ。

四国遍路34日目

2018-04-15 10:00:00 | 四国遍路
          
                         88番 大窪寺

                     結 願(34日目) (2003/4/15)

 宿(7:20)→長尾寺(87)→大窪寺(88)→宿(16:00)    32.8km

 気を引き締めなおして結願の日の旅立ち。
これからのコースは女体山経由で88番に行き、88番からは四国88ヶ所総奥の院といわれる與田寺を参拝してから
1番霊山寺に戻るコースとした。

一般的な88番から10番の切幡寺に抜け、行きと同じ道を1番に戻るコースは上り少なく歩きやすいらしい。
一方與田寺廻りは大坂山越と卯辰越といった難所を越すコースらしい。
まだまだ歩く体力は十分残っているが、いざ88番近くなり気が変わって、楽な切幡寺廻りにならないとも限らないので、
今日の宿は切幡寺分岐を大分過ぎた所にある白鳥温泉に宿を予約してある。ここなら與田寺に行かざるを得ない。

 87番長尾寺も過ぎ静かな車道を歩いていると “遍路館” の案内があり、そこには接待所も併設されているらしい。
是非寄ってみたいと思うのだが、場所が女体山コースにあるかどうか分からない。
女体山コースは今歩いている車道と別れ、ダム湖の対岸を歩くようになっているが、遍路館はどちらにあるのだろうか。
不安を感じながら歩いていたら、対岸への分岐点に気がつかないまま、ダムまで来てしまった。
だがそこには女体山コースはダムの上を通って行けるとあったが、そうなると遍路館は諦めるしかないらしい。
と、思ったら、一つの看板にマジックで小さく 「遍路館経由でも女体山へいけます」 と書いてあった。
悪戯書き? とも思えるような感じもしたが、その言葉を信じて遍路館にお向かう事にした。

 程なくすると新しい立派な建物の遍路館が見えてきた。
遍路館では展示物を見たり、お菓子やお茶の接待を受け思いもかけず長居をしてしまった。

 ダム湖が終わる辺りで女体山コースに向かう対岸から来た遍路道と合流した。
そこからの道は車も殆ど通らない細い道になり、やがて山道となってのんびり歩けた。
途中蕨も生えていて何本か採ったが、今晩の宿は白鳥温泉とあるだけでホテルなのか旅館なのか分からない。
民宿のように家庭的でないことは確かだと、採った蕨は捨ててしまった。

 蕨以外にもイタドリ(虎杖)もあった。こちらのイタドリは静岡の山にある細いイタドリでなく、大人の親指より
太く、折るとポッキと音がして筋も引かずに折れる。皮を剥いて食べると酸味があるが苦味は少ない。
これが静岡の細いイタドリだと、筋っぽいし苦くて吐き出さずにはいられない。
子供の頃は食べたのに不思議に思っていたが、昔は静岡でもこんなイタドリだったのだろう。

 女体山の山頂近くの岩場からの眺めは良かった。
今日は遠くに見えるあの海からここまで歩いたのだと思うと我ながら感心をしてしまう。
言い古されているが、一歩一歩は小さいが、それが積み重なれば偉大なものになることを実感できる眺めだ。

 歩き始めて最初に見た海は23番薬王寺からの紀伊水道の海で、土佐では常に太平洋がついてまわり、
伊予では霧の中の豊後水道だった。58番仙遊寺では瀬戸内海としまなみ海道が一望できた。
そしてここ讃岐の女体山では播磨灘を望んでいる。何事も挑戦すればできるのだとしみじみ思った。
長年のサラリーマン生活で、すっかり衰えたと思っていた体力に改めて自信を持った。

山頂から奥の院経由で行く大窪寺には、急な下り坂を下るとアッと言う間に着いてしまった。

 いよいよ夢にまで見た結願(けちがん)だ。
車遍路の時は感激して目も潤み鼻声で家に電話をしたが今回は--------

そんな馬鹿な! 今までお参りしてきた87ヶ所の札所と同じ感激でしかない。
涙も出なければ鼻声にもならない。そんな馬鹿な! 
何故だろう? まだ歩き足りないと言うのか? 感激しない自分に腹がたった。

 ここ大窪寺では88ヶ所を打ち終わった遍路が金剛杖を奉納する慣わしがあると言う。しかし私は奉納しない。
明日も歩かなければならないが、次回の遍路の時もこの杖と白衣、菅笠は使いたい。
また自分が死んだ時はお棺の中に入れてもらいたいと考えている。

 歩き遍路の多くは88番の前にある民宿八十窪に泊ると言う。
今も何人かのお遍路八十窪の前で話しているが、今晩この八十窪は満員だと話しているようだ。
歩いていると殆ど会わない歩き遍路なのに、打戻しとか、このような場所になると増えてくる。
今日も歩き遍路らしき人とは長尾寺で一人、遍路館で一人、そして山頂の岩場で二人と計4人会っただけだ。
線路が平行で永久に交じ合わないように、遍路も同じような早さだと、いかに会う事が少ないという事だろう。

それにしても早まったと感じた。
この宿へ泊るお遍路さん達はきっと夕食の時など遍路の苦労話に花を咲かせるだろう。
そんな色々な人の話を聞きたかった。私ならきっとトンネルの恐怖を喋ったに違いない。

それが今日の宿の白鳥温泉はまだこの先10kも歩かなければならない。トホホ------

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