はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

四国遍路23日目

2018-04-04 10:00:00 | 四国遍路
       
                      45番 岩屋寺

                  中札所(23日目) (2003/4/4)

 宿(6:05)→大宝寺(44)→岩屋寺(45)→宿(16:25)        35.4km

 今日もまた雨。合羽を着て更にザックカバーを慎重に装着して出発。
雨は昨日より小降りで空も明るく、なんとなく天気も恢復してきそうだ。

今日の予定は大平から山道に入る予定だったが、宿の人がその道は通行止めになっていると言う。
そうなると国道380号と33号を連続して歩くことになるが、380号の方は国道とは名ばかりで交通量が少ないので
雨の山道より楽かもしれない。

何は兎も角今日も雨の中の35kの行進の始まりだ

 道は昨日まではダラダラ登りだったが今日はしっかりと登りの所が多く、所々の脇道には遍路札があり近道を
教えてくれるのでそこを歩くのも楽しかった。
巾の狭い山道だがしっかりと踏まれて硬くなっているのを見ると常に使われているようです。
そのうち民家もでてきて、この道が生活道だったと納得する。
それにしても家に続く道はこの細い道しかないので車も入れない。一体どんな生活をしているのだろうか
想像も付かない。
更に山道を進むと国道にぶつかる。こんな事を繰り返すと大分近道をしたようで得をした感じがする。

国道33号に出合う頃には雨も止んできたが、寒くて合羽を脱ぐことが出来なかった。
この国道33号も交通量はたいした事なく、川を見ながらのんびりと歩く事ができる。今まで雨が降っていたのに
川の水は濁っていない。そこで気が付いた。
若しかするとこの川は四万十川の上流(支流)ではないかと。急に興味が湧いてきた。
ここで小便をすればあの四万十川を流れて太平洋に注がれる------

私には変な欲求があって、例えば岐阜県蛭ヶ野高原の分水嶺に行くと、右の水は日本海、左の水は太平洋に流れて
いくと書いてある。そうなるとその中心に小便をしてみたくなる。
自分の分身(?) が日本海と太平洋に同時に注がれていくなんて、なんと愉快な事だと感じるのだ。
もっともその高原は観光客が多く、とても小便など出来ないので唾液で我慢したのだが。

ここ四万十川では果たしてどうしたでしょうか------ それは秘密です。

 次の大宝寺は88ヶ所の真中の44番だ。札所の数は真中だが距離は半分以上来ているのではないだろうか。
すでに阿波と長距離を歩くのが修行の土佐も終わり伊予に入って今日で5日目にもなった。
歩き始めて23日目と言うことは後20日もあれば88番に着きそうな気がする。
当初の予定は40日から50日だったので予定通りの歩きと云う事になる。

 44番大宝寺に入るとき次の岩屋寺に行く遍路札を探したが見つからない。
いつも札所に着くと次の遍路道の出発点を確認して納経をしていたが、札所によっては境内から直接次の
遍路道へ続いている場合もあるので、お参りの後も探したが見つからなかった。
納経のとき聞けばいいと思いながら納経所に入った。

 「モー毎日毎日何回も何回も。全く嫌になっちゃうよ。 「遍路道はどこか」 とか 「岩屋寺にはどう行くのか」 とか
聞かれてばっかりで、テープに録音しておいて流しておきたいよ。全く」

納経所の女性が出入りの業者に捲くし立てている。

私が入っていっても気にする風でもない。しかし私も嫌だったが聞かざるを得ない。
 「申し訳ございませんが岩屋寺に行く道はどこでしょうか」
 「ほらね。まただよ。全く。門を出たら左に曲がりその先に案内板があるよ」

イライラした声で答える。私もぶっきらぼうに 「有難うございました」 と答えて納経所を出る。

来たときは山門の右側からを来たのだが、岩屋寺には左に行くらしい。
その分岐点には案内板は勿論、遍路札も無い。これでは歩きのお遍路は聞きたくなるのは当たり前だ。
聞かれるのがいやなら案内板を1本立てるか、遍路札を下げておけば済むことだ。無性に腹が立ってきた。

 大体札所では遍路をなんと思っているのか。
大切な信者などと思う必要は無いが、間違いなくお客ではないか。
人によっても違うが、少なくとも納経代が300円とお賽銭が幾らかは寺の収入になっているはずだ。
それも材料もかからず税金もかからない丸儲けのお金だ。
遍路が黙っていても来るのでいい気になっている。まるで接待でもしている積もりになっている。

 よその納経所でもいやな思いをした。寺の男女2人が世間話をしていた。そこへ私が 「お願いします」
納経帳を差し出すのだが、相変わらず喋り続けたまま手は納経帳を受け取りサラサラと梵字を書いている。
書き終わって納経帳を私に戻す時も話は続いていた。
私は何も納経所で 「有難う御座います」と言って欲しいのではないが、何か違うのではないかと感じてしまう。

 今日の宿は45番岩屋寺へ行く途中にある民宿を予約してある。
そこは明日行く予定の46番への通り道で、言うなれば片道6K程の小型の打戻しと言うことになる。
そのため荷物は民宿に預けて、さんや袋だけ首につり下げて岩屋寺に向かえばよい。

ザックを降ろして歩くと、始めはまるで背中を押されている様に自然に足が前に出て行く感じがする。
もっともそんな感触も最初だけで直に足は重くなってくるが。

 途中にあった尾根道と沢道の分岐点では、大変な事は先にやってしまおうと、尾根道を行くことにする。
尾根の急な下りを歩いていると前の方から鈴の音が聞こえてきた。リリンリリンと涼やかな音だ。
きっとお遍路さんの鈴の音だろうと道の横に避けて待つことにした。

 私は杖を購入するときワザワザ鈴の無い杖を選らんでいた。理由は歩いている間ズート鈴の鳴る音を
聞くのが嫌になるだろうと思ったからだ。
最初はいい音色と感じても疲れてイライラしてくると、その音色がきっと喧しく感じてくるだろう。
そう一年中出しっぱなしの隣の家の風鈴と同じ雰囲気になるのを恐れたのだった。

しかし山の中でこうして聞く寂しげな鈴のもいいものだと感慨に耽っていると 「キャー!」 と下から
登ってきたお遍路さんが悲鳴をあげた。
私が立っているのに気がつかず、そばに来て気がついて驚いたらしい。
 「ご免なさい。驚かすつもりではなかったのですが、済みませんでした。」
そうもっと早く 「今日は」 とか 「頑張って」 とか声を掛ければ良かったのに反省してしまった。

悲鳴をあげたお遍路さんは10代か20代かと思われるほど若くて細い女性のお遍路さんだった。
これでは驚くはずだ。深く深く反省。

 尾根の遍路道は岩屋寺の上にある奥の院から下にある本堂に下って行く経路になっていた。
寺に近づくと急な傾斜地に古いお墓等が散在していて中々いい雰囲気を醸し出している。
お寺も岩にへばりつく様に建っていて、いかにも岩山の中の修験道場と言った感じだ。

それにしてもこのお寺の山号が 「海岸山」 はどう言う謂われなのか気になった。
なんでも弘法大師がここの朝霧が海に似ていると歌ったところから海岸山と名がついたそうだ。

凡人の私には雲海が海と言うなら分かるのだが、朝霧が海と思う天才の気持ちは分からない。

 帰りの沢沿いの遍路道ものんびり歩ける気分のいい散歩道のようだった
この辺りは景勝地になっていて、国民宿舎を過ぎた辺りから地面が突如隆起したような円柱状の岩峯が幾つも
そそり立っている。その岩峯は河原の石と泥が堆積したのか、岩肌には無数の石が露出している。
さらにその石が抜けて落ちたのか至る所に穴があき、まるであばた顔のような肌で余り綺麗なものではない。
説明板に礫岩と書いてあったが正にその通りの感じの岩だった。

岩屋寺の所にあった岩峯の肌はこんなにブツブツしておらず、どちらかといえばザラザラした感じがしたのに、
少し離れるとこうも違くなるものなのか、
それとも岩屋寺の岩は人が触ってザラザラがブツブツになったのか それは知らない。

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