はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

城ロマン:藤枝3城廻り(朝日山城址)

2018-04-12 16:00:00 | ウォーキング
font color="red">歩行記録                                                       H30-3-25(日)
歩行時間:5時間50分   休憩時間:1時間20分   延時間:7時間10分
出発時刻:6時30分     到着時刻:13時40分
歩  数: 29、058歩(推定距離20.05km)    GPS距離km
行程表
 西焼津駅 0:20> 田中城下屋敷 0:20> 田中城本丸跡 0:50> 青山八幡宮 0:30> 潮山登山口 0:25> 潮山 0:40>
 朝日山城趾 0:30> 新東名岡部IC 1:20> 龍勢発射場 0:05> 玉露の里 0:20> 朝比奈城趾 0:30> 玉露の里BS

 
               新東名藤枝IC                            朝比奈川遊歩道

  朝日山城址を下れば後は朝比奈城址の入口までは車道歩きになる。道は後半部分は知っているが、ここから途中までは
初めての道なので昨夜下調べをしてきてある。
その時は一応分かった積りになるが、所詮は後期高齢者目前の私のことで、現地に来ればあやふやになる。
でも道を尋ねる事は地元の人と話すきっかけになるの苦ではない。いや好きな方です。
しかしそれも人と出会わなければどうしょうもないのだが、このような道では歩いている人はまずいない。畑で作業をしていれば
ラッキーだが今日はそんな人もいなかった。仕方なく勘に勘を働かせて何とか交通量の多い道に出たが、そこが何処かは分らない。
だが玉露の里は北の方角だし、右手にある筈の朝比奈川もまだ出てこない。ならここは右に行くしかない。

  アッ! ありました見覚えのある新東名藤枝ICの入口が、なら右側にはグランドがある筈だと右を見れば、間違いなく
グランドがあった。ここから先はよく知っているので後は余裕を持って歩ける。

  グランドの先の公園の所からは朝比奈川堤防が遊歩道になっていてのんびり歩ける。
桜はもう大分ほころんでいて七分咲き程度だろうか。今年の桜は異常に早く、桜トンネルを歩く仲間ウォークの4月1日まで
もってくれるか心配になってしまう。

 
               ヤマブキ                                谷川峠の入口か

  ロンショウからダイラボウへの道の途中にある谷川峠に続く道の入口だと思う。
この奥にある 谷川山梅林院 は今川時代に制定された 「駿河一国33観音霊場」 の札所で、当然今川時代にあった筈だ。
それから私の妄想が始まり、ここが今川方の丸子城の脱出路ではなかったと思い出した。
丸子城は義元の父親氏親が相続争いの最中に住んだこともある城で、今川にとっては重要な城だった。
その城が攻撃された時の脱出路として、丸子城の後ろの尾根を登り、稜線に出たら何処かを下り谷川峠に出る。
その峠からここの出れば後は今川の駿河の拠点となった花倉城は近い。当然通路にある梅林院は今川の砦の役もしていたと思う。
そんな妄想を抱いたのだが、的外れでしょうか?

    
                  お地蔵さん                                龍勢発射場

  遊歩道が終った後もなるべく現役の車道を離れ朝比奈川沿いの旧道を歩いた。
鉄骨造りの立派な龍勢発射台の案内には
 「朝比奈城、朝日山城又駿府城の位置関係から山城間の戦略の一手段として使われた 『狼煙』 であるという説が有力である。」
今日は朝日山城址や潮山から朝比奈城址方面が見えるか確認する予定だったが、どちらからも木が邪魔で確認できなかった。
それにしても駿府城とここで狼煙が連絡手段とは中々納得できないが、龍勢は300mの高さまで上がるので朝比奈城の標高170mを
加えれば見えないと決めつける事もできないのかもしれない。
何れにしても一回は見てみたと思っています。

 
               玉露の里道の駅                           ハイキングコース入口

  フ~余り見どころのない車道歩きがようやく終わった。何故ここが道の駅は判断に苦しむが、昼飯を食べるには丁度良い。
石垣の隅に座って昼飯を食べていると観光バスが入り観光客がゾロゾロ降りてきた。喋っている言葉が日本語ではなく中国語の
ようだ。エッ! こんな所に外国人が観光に来るの? わざわざお金を出して日本に来て、こんな場所で一体見て何をやるのだろうか。
当の中国人観光客は満足をしているのだろうか。こんな事をしていては中国人に 「静岡は面白くない」 と云われかねない。
と云って中部地方で外国の観光客が満足するような場所は日本平か焼津さかなセンターくらいの物か。
これで外国人を静岡中部地方に泊まらせようとしても中々大変だろう。

 
               標識の多い道                               朝比奈城趾

  朝比奈城趾は藤枝市のハイキングコースに指定されているので、入口さえ分かれば後は標識に従えばよい。
その入口も道の駅を少し戻った萬年寺の入口で標識もあるのですぐ分かります。

  城跡と云っても曲輪や堀の案内も無いので、城跡の標識建つ場所には入口から20分程で着いてしまった。
 「朝比奈城跡 戦国時代岡部氏と並ぶ武将朝比奈氏は今川、武田氏に仕え特に信置という人物は武功を挙げ 「止駄郡殿村に
あり今川家の功臣朝比奈某の築く所にして永禄年中まで朝比奈家代々の居城なり」 とある山頂に土塁や空堀を作り居館を麓に
作ったことからいわゆる 「根小屋」 の城塞といえる 教育委員会」


余り興味も湧かない内容だが、朝比奈氏と云えば今川を支えた重臣でもあり、掛川城を築き代々城代をつとめ武田の駿河侵攻で
今川の当主氏真が掛川城に逃げ込んできた時は氏真を保護した事でも知られている。
また、持舟城は今川➡武田➡徳川➡武田➡徳川・廃城と変遷しているが、案内板にある朝比奈信置が武田方の城代として
持舟城にいたのは最後の時で、そのとき徳川に責められ降参し久能城に逃げこんだされている。
一方そのころ朝比奈信置は武田方の蒲原城主も務めていて、徳川家康が蒲原城を攻撃したおりに矢張り朝比奈信置は降伏した
という説もある。
どちらが正しいか分からないが、持舟城の落城は天正10(1582)年2月23日で、蒲原城の開城は天正10年3月4日だとか。
随分忙しい日程になるが可能性はある事はある。だが何れにしても信置は降伏後に子供と共に切腹をさせられてしまう。

  そうそう桶狭間の戦いで鳴海城の城代は同郷朝日山城の岡部氏で、近郷の鷲津砦を落城させたのが朝比奈氏でした。
この二人が手を結ば義元の首を取って油断していた信長を討ち取る事ができたかもしれなかったと思うと残念な気がします。
色々朝比奈氏が出てきましたが掛川城や鷲津砦の朝比奈氏は同族ですが遠州朝比奈氏で、蒲原城や持舟城は駿河朝比奈氏
だそうです。

 
                四 阿                                もう麓の集落が見えた

  朝比奈城址の標識の所は木が伐採され広くなっているが、その北側も林だが平らな地形だ。多分ここにも曲輪はあったのだろう。
四阿がある辺りから下りになり堀切のような地形もあったが正確な事は分かりません。
城跡表示から10分も歩けばもう麓の集落が見えてきました。

 
                ビク石?                           墓地の先に県道が見える

  正面の山はビク石でしょうか、多分違うでしょうね。
アラアラもう県道が見えている。何とも歩き甲斐のないハイキングコースだ。
ここを歩くためだけではとても来る気にはならず、今まで来てなかったが矢張り想像していたように張合いの無い道だった。
それでも藤枝市のハイキングコースを紹介しているので、一度は歩かなければならないがこれで責任を果たせた。
これからコースの紹介記事を書かなければならないが、城跡も見るべきものも無かったので苦労しそうです。

 
               新舟バス停                               玉露の里道の駅

  ハイキングコース終点の新舟バス停です。入口からここまで40分程度でした。これじゃぁ老人の仲間ウォークでも軽すぎます。
道の駅でバスの時間を調べると2分もすればバスが来る。もうこうなるとここから先を歩く気はなくなり慌てて準備をする私です。

四国遍路31日目

2018-04-12 10:00:00 | 四国遍路
          
                         75番 善通寺

                     善通寺(31日目) (2003/4/12)

宿(5:50)→曼荼羅寺(72)→出釈迦寺(73)→甲山寺(74)→善通寺(75)→
                 金蔵寺(76)→道隆寺(77)→郷照寺(78)→宿(15:55)
  30.7km

 正面の山の中腹には寺のような建物が見える。
あれはきっと73番出釈迦寺の奥の院で、弘法大師が身を投げたと伝わる山だろう。

今日の予定は善通寺を打ったあと金比羅さんにお参りするかどうかでまだ悩んでいる。
行きたい気持ちは非常に強いのだが、観光客の中を一人遍路装束で歩くのに気後れがしてならない。

道後温泉でもそうだったが、ジロジロ眺められたり写真を撮られたりして落ち着かない。
かといってそのまま札所を直行すると今日中に78番まで終わってしまい、残りが10ヶ寺となってしまう。
それも寂しい。仕方ない善通寺まで悩みながら歩く事にしよう。

 73番出釈迦寺に着く。途中見えた山腹の建物はやはり奥の院の捨身ヶ嶽禅定だった。
麓の納経所にザックを置かせてもらい奥の院に向かい歩き出した。
境内には何人かのお遍路さんが居たが、誰も奥の院には登らないらしい。ザックも無くのんびりと簡易舗装の道を行く。

奥の院でお参りをしていると中から僧が出てきて 「どうぞ中でお参りして下さい」 と招き入れてくれた。
お茶の接待を受けながら雑談をしていると 「今日は他に誰も居ないから裏の岩を登っても良いですよ」 と言ってくれた。

外に出て寺の裏に廻ると、突然と言った感じで岩場が現れ、踏跡のついた道には“通行禁止”の立札が。
本来なら登っては駄目だが、私が一人だった事と、通し打ちをしていて体力があると判断して登る事を許してくれたのだろう。

しかし迷った。これが通行禁止の立札がなければ登ってしまうのだが、通行禁止を特別に僧侶が許可してくれたとなると、
若し仮に私が滑落して怪我でもしたら僧侶の責任になってしまう。それは困る。
それに疲れた足はいざと言う時に踏ん張りが利かないかもしれない。自分に似合わず登ることを諦めた。

 奥の院からの眺めは中々良かった。讃岐らしいく溜池もやお結びのような格好の山も眺められる。
あんなに低い山では保水量が少なく、少し雨が降らないと、すぐ水不足になってしまうのだろうと納得もした。

そうだ閃いた。石鎚山に降る雨は吉野川に流れ込む。
その吉野川は時々氾濫するので、古い堰を壊して河口堰を作ろうとしているが反対運動が起きている。
それならトンネルを掘り、吉野川の水を讃岐側に引き込めばどうだろうか。
こんな発想が浮かぶようではまだまだ心身ともに大丈夫だろう。??

 善通寺はさすがに広大で、何処をどう行けば良いのか迷ってしまった。
また日曜日のせいなのか参詣客が多く、まるで縁日のような賑わいだ。

おかしな遍路も居た。長靴を履いて上だけ白衣で菅笠を被って托鉢をしている。付近にはザックも杖も無い。
ウーンこれは偽遍路だと感じた。
次はザックも杖も持った遍路が托鉢をしている。この遍路は本物そうだが何故托鉢しているのか理解が出来ない。
貰ったお金はどうするのだろうか? お賽銭にするのか自分が使ってしまうのか? それとも何処かへ寄付するのか。
それにしても托鉢に応じてくれる参詣客がいるのだろうか。
遍路の前を通るときは自分まで恥ずかしく感じて足早に通り過ぎた。

 金比羅参詣に結論がでた。中止だ。
今日は日曜日、金比羅さんは善通寺より観光客が多そうだし、恥ずかしい気分を味合うのは嫌だ。

 今晩の宿の第一候補の国民宿舎へ予約の電話を入れると、簡単に予約が取れた。ラッキー!
今日は大きなお風呂に入れるゾ。

いつでも入れる大きい風呂は非常に魅力だが、ひとつ困ることがある。それは下着の洗濯だ。
風呂場では洗濯しないのが常識とは知ってはいるが、遍路の旅では中々これが困る。
パンツ、シャツ、靴下の三点セットは、何が何でも毎日洗濯をしなければならないので、風呂場で洗うのが一番簡単で楽だ。
洗面台でも洗えるが洗面台が小さく床を濡らしてしまう。

そこで風呂場で洗う事になるのだが、風呂場に入って誰も居なければ先ず洗濯をする。
誰か居れば様子を見ていて一人になった時に慌ててする。
中々一人になれない時は、仕方なく一番隅の洗い場で小さくなって洗濯をしている。
他人さえいなければ大風呂は大歓迎だ。

 77番道隆寺でヤクルトとお菓子の小袋の接待を受けるが、お寺さんからのお接待は気楽で嬉しい。
 「有難うございます」 と一言って納経所を出ればすぐ食べられる。
ヤクルトなど飲んだこととはないが濃厚な液体がすぐ体力に変身する感じだった。有難うございました。

 今日は天気が良く、太陽光線がギラギラ降りかかってくるような熱い一日だった。
ヤクルトを飲んだ後は、宿での楽しみを倍化しようと水分を取らず我慢して歩く。
楽しみとは、言わずと知れた生ビールを飲むことだ。

私は焼酎と日本酒が好きでビールは乾杯の時一口飲む程度だ。
理由はビールを飲むと何故か喉がノツノツしてきてビールがスムーズに喉を通ってくれない。
それが不思議な事に樽の生ビールだとゴクゴクと幾らでも飲めてしまうのだから不思議なものだ。
友人は “お前は我儘だ” と言うが飲めないものは仕方ない。

 ホテルに着く頃は喉が渇いてゼーゼーする感じでフロントの前に立った。
 「今日予約しました〇〇ですが」 と言おうとするのだがゼーゼー言うだけで声が出ない。
咳払いを何度もするのだが出てこない。
仕方なくゼスチャーで喉を指差した後、飲むまねして水を貰い、やっと声が出た。

酒飲みは意地が汚いと言うが本当だ。
それにしてもこんな度が外れたことをすると熱中症に罹ってしまうと反省。

 今日はもう一つ反省することがあった。
納経のときに “お姿” と言う、お寺のご本尊を印刷した小さなお札を毎回貰っている。
無くさないようにビニール袋に入れていたが、徐々に数が多くなってたので “御本尊御影保存帳” なる物を購入した。
そして宿でその日の受取ったお姿をその保存帳に入れているのだが・・・・・
無い! 76番金蔵寺のお姿が無い! こんな事は初めてだ。
今日は9カ寺と札所の数は多かったが、受取るとすぐビニール袋に入れていたのに無い。
残りが後10カ寺になり気分が弛んできたのか、それとも疲れが溜まり虚ろになっているのか、
いずれにしても気をつけよう。
(お姿は帰郷後返信用封筒を入れて金蔵寺に依頼して送ってもらいました)

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