連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

福島原発事故;風評被害;ジェノサイド

2011-04-30 11:50:05 | 東日本大震災

工業製品の輸出制限にまで原発事故は拡大してきている。

医学分野では、

臨床現場では、患者がいて医者がいて診察し、治療をすれば仕事としては成立する。

  退避を命じられている場所で診察を続けた場合の、

                     保険請求は違法で、支払ってくれないのかしら?

研究者の立場からは、海外との競争はネットを介した投稿などで

後れをとることも制限もない。放射線被曝に切り込んだ投稿だってできる。

     しかし、原発事故周辺近辺で製造したという風評被害は、

       製品に問題がなくても、

       安全という保証を出す基準も定まっていない今

       エビデンスを確立しなければ安全基準を設けそうもない現実

 否定。その場所にいる限り否定されるということ。

  ジェノサイド、

  新しく科学が生み出した原因によるジェノサイドが始まったということだ。

            

 

       

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復興作業車による渋滞

2011-04-29 09:00:59 | 東日本大震災

朝6時をすぎると、海側に向かう南部道路の通行車両が多くなる。8時前後は、渋滞。

震災前には見られなかった。その後は、震災前よりは、車の数は少ない。

復興に向けて、海岸沿い:蒲生、閖上に向かっていく車両だなと眺めている。

がれきの撤去もすすんで、広々とした空き地となってきた場所も見られるようになってきた。

新しい街づくり、突然出現する美しい街は、長く住んで人が受け入れられる街として

設計してほしい。

震災によりたくさんの心の折れを積み重ねて、時を過ごした後に住む街は、

鎮守の森も備えてほしい。

ひろびろとした場所のモニュメントは、過ぎ去っていく被災の日を

記憶の一コマとしてとどめ置くだろう。

心を静めるところ、さめざめと涙を流すところは

さりげない、被災の痕跡か?

一新して、被害の一端もみとめられなくなった場所に再開した驚愕か?

筑波学園都市は、自殺者の多い街であった(知人2人が逝った後、最近の動向は疎遠)。

生きながら、虚しさを感じる街を与えることは避けてほしい。

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長い避難暮らしの影響

2011-04-27 22:44:52 | 東日本大震災

3月11日の地震発生。それに伴った津波。

リスクマネンジメントが甘かったせいで発生した原発事故。

発生から、もう7週間が過ぎようとしている。

避難民としての長期間の栄養不足から、高度の貧血が認められる人が入院してきた。

夜になると活性化する、認知症も伴っていた。

たくさんの人が、密集している避難所では、患者本人は地のままか、

不安からより活発化した活動を夜間に示すだろう。

家族、周囲の人は、眠れぬ夜を過ごしさらに疲弊してきただろうなという、

原発のために、自宅退避を強いられた人が

避難所、認知症の悪化で、避難先の近くの病院に入院し、貧血発生で転院してきた。

退避がなければ、自宅で農作業を営んでいただろうと推定される体力の人の入院である。

大震災後、貧血といっても極端に悪いレベルで入院してくる。

みんな、震災のためかなと思って静かにしているうちに悪化してしまうんだろう。

ヘモグロビン2.8g/dl !!

人間の対応能力はすごい!!! 

でも、こんなになるまで我慢しなければという状況が広がっているということだ

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生き延びた高揚感も過ぎ

2011-04-22 19:41:16 | 東日本大震災

東日本大震災発生後6週間が過ぎ、

3月11日以前の日常を営むことができる場所で生活しているが、

診療のかたわらに、”どうしている?”と尋ねると、

時間の経過に伴う、じわっとした疲れ,不安がひそんでいる。

家を失っても、まだ働くところが残っていたらね!という慨嘆は切実。

やらなくてはと理屈で、わかっていても、

家を失い、職場を失うと、行き先がない。動きたくなくなる。

大震災の恐怖の経験は、記憶に残り、

忘れようと思っても、体の隅々までこびりついて離れないだろ。

喪失を味わってしまった後は、

解決とは無縁の時空に突入させられてしまったのだから。

とりあえず、時間を楽しく過ごす術を、その時々につくりだす。

頭の中のお友達に、話しかけて聴いてもらう。

歌う。

走る、飛ぶ、踊る。

さめざめと涙をながす。 私が実行してきたことの一端。

切り抜けてきたからといって、その時の悲しみは、今でも体中からあふれてくる。

悲惨な経験は忘れようと思っても、出ていかない。

“死んだほうがよかった”という声の数が次第に増えてくる状況にある被災地。

悲しむことができるまで、生き抜いてほしい。自死は思いとどまってほしい。

五感を研ぎ澄まし、そのような人を感じた時は、ふわっと優しい空気で包んでやってほしい。

大丈夫、頑張りますと言っている言葉が、そのままの気持ちであっても、

他の気持ちも同時に抱いてしまう時期に入ってしまった被災地。

復興を期待するが、

復興の兆しのか弱さ、遠い遠い先の復興に打ちのめされそうな被災地。

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トリアージ

2011-04-16 14:52:09 | 東日本大震災

3月11日 午後2時26分以後

いろいろな場面で”トリアージ”を行うことがつきつけられた。

人命救助のために、わが身の危険を感じながら職務に専念し、

不帰の人

かろうじて生き残れた人 。

震災後の

劣悪環境

人材不足、

物資不足の中で

選別がつきつけられた。

命に優劣は無いといっても、

若い人には生き延びてほしかったという場面があった。

人を助けて自らは死んでも良いか?

己のみが生き抜く努力をするか?各自の努力による生の獲得が基本か?

職業とは関係なく、厳しい選択を自らにつきつけながら

寡黙に生き延び、地域を再生していかなければ。

九死に一生を得ながら、

虚しさに自死を選ぶことが無いような息の長い支援の手が必要

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3.11 大震災後のギャップ

2011-04-14 20:59:12 | 東日本大震災

臨床医の一人として、この度の未成年者からとりだされた臓器が、

新たな人の中で、生き生き働き続けられることを祈っている。

人の体から臓器を取り出し、他人に譲り渡すことに対しては

法的秩序の下で許されることになったが、

だからと言ってすっきりしない私だが、 

死ぬかもしれない人が今は死ななくても済むかもしれない運命を喜んでいる。

ドナーカードのない未成年者からの臓器移植のニュースに接してから、

ギャップを強く意識している。

今までも、ギャップによる差別、区画などを意識してきたが、

連帯を感じながらのギャップという不可思議な感覚。

東日本大震災の被災地に居住している私は、

被災地といえども

海からの距離の差による被害の差

福島第一原発からの距離の差

家族を失わず、家を失わず、職場も失わなかった私は、

臨床医として休みなく働いた。働く場があり、休むわけにはいかなかった。

今は疲弊しまくっているが、役目を果たせて良かったという安ど感がある。

震災を経て、研究者としての復活は、

深い思考が必要な厚い壁が出来た様な気がする。

教育者としては、頼もしい子どもたちだったんだと思えるといいなと

5月の新学期を待ち望んでいる。

今度の震災を

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意思表示のない、10歳~15歳未満の男性の臓器提供、移植へ

2011-04-12 22:21:20 | 日記・エッセイ・コラム

4月12日 東日本大震災、福島第1原発事故のニュースに関心が集まっているさなかに

ドナーカードでの意思表示のない未成年者の臓器が提供され、

臓器移植が行われるという発表があった。

レシピエントは、複数の成人。心臓は未成年者に(13日の報道で確認)。

賜った命という考えの私は、臓器職には賛成できる根拠を捜せない。

造血幹細胞は、職業の専門分野がら多数施行してきた。

”命そのもの”と、採取させていただいた血液を抱きかかえての

患者のもとへの歩みは緊張に張りつめていた。

健常者から分けていただいた命で、損なわれる命はない。

臓器移植の提供者は、健常な未来を期待された人の不慮の死から得られる。

今回の出来は、”最高の精密臓器部品を内臓をしているのは人間の体”

     という世界に大きく一歩を踏み出してしまった気がする。

東日本大震災での死者は、信じたくなくても確実な死以外の何物でもない死。

臓器を提供する人の死は、心臓を含む多くの臓器はまだ生の代謝を行っている。

脳は、判定する人によって死を宣告される。

死を宣告する人を信頼することによって存在する死。

そして、採りだされる生きの良い臓器。

生きたい、生きていいてほしい という気持ちには共感し、日々の診療に励んでいるが、

臓器移植を受け入れがたい気持が変わらないままである。

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4月7日 23時32分 余震発生

2011-04-08 10:45:47 | 東日本大震災

強い余震であった。

しっかりと歩ける程度に揺れが弱まってから、病棟のある2階に駆け上がった。

当直の看護師とともに病室ごとに患者を確認し、全員無事であった。

その後建物の警報音に耳を澄ませ、臭気を確認しと

急性期の活動中に、自宅から駆け付けた職員と合流。

被災地への医療支援は縮小し、通常の医療連携に戻ります、

と出身医局からの連絡を受け、

後方支援として3週間続いた日当直勤務終了という安心感後

肉体の虚弱を痛感していた矢先の余震は、

深く、深く、自らのありようを問いかけること私に求めた。

患者も、職員も、今日は、

あるがままに、静かに、運命をかみしめている姿が拡がっている。

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ホワイトデーに届くはずだった ながさき角煮まんじゅう 

2011-04-07 18:02:57 | 東日本大震災

東日本大震災からもう4週間も経過しているが、

近近の出来ごととしか思えないあわただしさである。

震災後の極度に食糧が欠乏し、

明日の給食をどう賄おうかと頭を悩ましていた3月14日。

ホワイトデーであることに気がついた私は、

かねてから予約してあった、角煮まんじゅうが届くかもしれない!と期待した。

電話は通じるようになったので、直ちに岩崎本舗0120650806に電話。

”角煮まんじゅうは店にはあるのです。生産はしているのです。でも、仙台には発送できないのです。差し止められているのです。” と言う。

やっと電気がついたばかりで、まず食糧確保のための行動をとったので、

情報過疎で、

自分たちが置かれている被災状況が把握できなかったのである。

患者、職員、職員家族(食糧確保の時間を勤務に回してもらうため)のために

食糧を求めて、栃木、秋田と縁戚に電話をしたが、

交通網の遮断で、送り届けてもらえないことも判明。

食糧確保は八方ふさがりだった日々を思い出した、角煮まんじゅうの配達。

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