連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

認知症患者への対応力;不安行動に対する寛容が必要、でも

2018-08-31 09:29:49 | 健康・病気

意思表示可能、行動力を保持している高齢者の新規入院患者を受け持つこととなり、

入院当日から数日間の間に、看護サイド側から、患者の徘徊などに対応するよう要請された。

看護日誌の記載を読み、高齢者の適応力の低下に対する不寛容。

看護サイドの”命令”に従順に従えない認知能力の低下患者に対する管理者意識がプンプン。

医師に対する、”面倒を起こす患者に対応しているのを、先生は知らないでしょう!”という、看護師サイドの不満のぶっつけ。

患者が思い通りにならない要求を訴え続けているのをしばし聞きながら、看護師に患者がどう変わってほしいのかを聴いているうちに、

双方とも納まる。カタルシスにより解決。

病棟により、患者の不穏行動に対する看護師の騒ぐ頻度の違いは、

看護師の年齢構成の差によるようで!

高齢者の転院時の不安に対する不穏行動に対して寛容を要求したいけれど、

看護、介護の経験不足は、看護サイドの不安増強となり、管理意識ぷんぷんの発現となるのでしょうね。

 

 

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認知症患者リハビリテーション病棟主治医になって思うこと

2018-08-21 14:15:14 | 日記・エッセイ・コラム

血液疾患を専門分野としていますが、

年齢を重ね、否応なく第一線からの排除感は否めません。

変わって、高齢者医療に携わらずを得なくなってきています。

認知症リハビリテーション料が、保健医療として算定されるようになっています。

もちろん、算定には算定基準があるようで、

認知症リハビリテーションに関して、十分な経験を有する医師の指導監督の下】という項目があり、

十分な経験に至ると認定される基準は?

ア認知症患者の診療の経験を5年以上有する者; 市井で認知症の診療経験がなく過ごせることはないのではないでしょうか!

      判定はどうするのか?

イ 認知症患者のリハビリテーションに関し、適切な研修を修了した者なお、適切な研修とは、次の事項に該当する研修である。

      内容については、6時間以上の講習を受ければよさそう。

認知症リハビリ患者検討会での、リハビリ後の患者の変化に対する内容が、高齢者の身体変化に対応した基準で判定したらよいのにと感じています。高齢、認知症者の、身体、心理、行動に対する理解、認知度が、医療側に不足しているからではないかと思い始めました。

論語の中に、孔子自身の人生を振り返った、人生観ともいえる有名な一説があります。 「吾、…… 四十にして惑わず。五十にして天命を知る。 六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」

新70、古希を迎えたのですが、身体反射は暦日に従っているようでも、論語のようではないと自覚しつつ、行動面では、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、にならい、分野外の学問、老年医学の専門家レベルを目指そうかな。

 

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お盆

2018-08-13 16:14:43 | 日記・エッセイ・コラム

お盆のお迎え前に墓参り。

墓は、自分の永遠の棲家となる所なのだ!と今年は強く実感しました。

どうしてなんでしょうか。

歳を重ねしなければならないことから解放され、期待もされなくなり、死ぬべき時が近づいたという、漠然とした実感というものかもしれません。

仏教、神道、キリスト教それぞれの聖職者が身近に存在していたので、宗教の選択を幼少期から意識しました。

神の存在を信じ、近づく道としての宗教として、

水豊か、気温は過酷ではない日本になじめる宗教、日々の生活に、先祖も、父母も共にいる所で抱かれたいと仏教を拠り所とくしましたが、家の墓を永遠の棲家と、心に沁み渡ったのは今回が初めて!

突然降って沸いたような心の変化で、明日から変わることがあるだろうか?

2回は、意識もなく死に限りなく近づくも、❰まだ早い。やることがある。❱と大きな手で戻された記憶がある。

今度は、大きな手を差しのべ手くださる時まで、出来ることをやりながら、死ぬ迄生きていこう。

 

 

 

 

仏教では、新紀元として戒名を授かる。

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東京医科大学が女子受験者の点数を一律減点

2018-08-12 09:05:55 | 日記・エッセイ・コラム


医師46.9%「あり得る」 と、某医療系サイトのアンケート結果です。

女医の一人として、

入試段階での差別は、許せない。

卒後の進路については、

体力、ライフスタイルを考えずして、好きだからというだけでは、専門を決定するほど、愚かではないはず。

今回の東京医科大学の女性差別という視点には、”愚かなやつら”という、人格否定意識に根差していると思う。

医師の特権意識と、差別は、表裏一体ではと思う。

 

50年前の私の大学受験でも、偏差値、学校優劣判定などがあり、

合格直後ぐらいですね、合格という1点のみで評価していただいたのは。

親に対する、【女子なのに、よく医学部を受験させましたね!】という避難交じりの感嘆に始まり………という具合でした。

在学中、卒後の進路決定段階までで、

医学部内の女性差別の事情を呑み込めるような,機会は多くはなかったですが、

自身を見つめて専門進路を決定していったかと思います。

臨床と研究を並行する大学病院勤務は、

世界との競争を視野に、研究者として日々過ごす、

男女の差を超えた競争社会です。

だからと言って、門前払いは、根底に潜む感情を考えると、許せない。

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そこまでやっているのか!東京医大、女子受験生を一律減点…合格者数抑制

2018-08-03 08:37:30 | 日記・エッセイ・コラム

東京医大の合格水増し入学に端を発して、東京医大、女子受験生を一律減点…合格者数抑制 までも、表面化してきた。

私立大学の、裏口入学は、寄付金額の要請などから、必要悪として知る人ぞ知る事実。

文部科学省職員、国家公務員が、権力と、公金を盾に、子息の入学便宜となると……。

派生して出てきた、東京医大、女子受験生を一律減点…合格者数抑制 の根底意識は、長らく大学病院に在籍していた身としては、さもありなんと納得してしまう現実を経験済みです。

個人的な体験として、卒業間近の身近な人からの恐怖と人格否定の体験は、50年近い年月が経てもPTSDとなっているのですが、その原因となっている人は、医学会の権威者として君臨しているという世界でもあります。

助手任用については、恩師が、学外に問題提起をすると、学部長に直訴し、当時の教授に認めさせて、やっと助手になれたいきさつも経験してきました。

その後も、パワハラを受けましたが、今は、女子大学でのびのびとしています。

男尊女卑の背景は、男女機会均等という錦の御旗が掲げられても、権威社会での一掃困難な日本。世界の比較での数値で、下から何番目というデーターが物語っている思います。

 

医師は、労働者としてではなく求められ、美辞麗句の果ての、都合の良い労働時間の規制がなく働くことが当然という風潮。

研究分野では、トップをきることに駆り立てられる。

女性医師は、自分にあった生活スタイルを数倍の努力で要求し続け、

その先に、将来の女性医師が、男性医師と同等の立場が望めるようになることを望みます

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