連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

気が通る

2015-12-31 06:55:18 | 健康・病気
気が通る
実感できるようになったのは、太極拳を始めてから2年ほど経過してからのこと。
右手をまっすぐに伸ばすとイメージして、手がない!(出来ない動作が沢山あるのみで、五体満足です。)

今朝、重点的にストレッチをどこにしようと、気を感じながら全身の点検。
左右差はあるものの、両手はイメージできます。
右下腿の内側は、全く存在していない!
夏ごろから、やっと中底に体重を移動できるようになりましが、炎症後遺症の癒着で、ギシギシするので、連続動作で中底を保てることはできませんが。
太極拳を始めたころには、全く筋肉が無かった場所で、今は人並みになっています。
気を通してわかったことは
以前とは違う立ち位置ができるようになったは、なったのですが、
右ひざの負荷が並ではなく、屈曲に至るまでの、抵抗感、膝のい痛み。
正座してしまえば痛くないのですが、そこに至るまでに固い筋肉が伸びるときの痛みを伴い、
さび付いた回転ドアが、突然ばたんと閉まるような動きです。
2007年にも、気が通るで書き込んでいて、http://torasaru20031125.blog.shinobi.jp
”気が通る”への理解の度は進んでいないのを実感しました。

医療現場で、高齢者にに接していると、廃用萎縮、拘縮を見る機会が多く、
気を通そうという意欲が無くなったとき、
変形萎縮が並で、努力意識的結果として伸展可能だった筋肉はどうなっていくんだろうという自分自身に対する観察視点があります。
立位で体重を支える下肢の筋力の持続時間は、極めて短く、足がつる、足の指がつる現実に直面し、芍薬甘草湯が常備薬となってしまいました。
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相も変わらぬ、希少血液疾患患者への対応

2015-12-12 09:33:19 | 日記・エッセイ・コラム
立て続けに、○○大学医学部付属病院、○○大学附属病院に勤務中の、
不快な記憶の再来というべき、場面に遭遇した。


血液疾患に、感染症を合併し、高血圧などのかかりつけ医から紹介されて、某病院を受診。
40度に達する高熱で、入院となったが、
感染巣が確認出来ないということと、
基礎疾患に慢性骨髄増殖性疾患(白血病関連)があるということで、高熱にもかかわらず退院方向にするという電話を受け、現在の血液の状態では発熱が出る状態ではなく、感染症関連なのでという説明にもかかわらず、強硬に退院を主張された。貧血も合併していたが、血液製剤を供給機関に属する病院であるにかかわらず、輸血はできないと拒否
事務的諸事情のためか、受診、入院当日の退院は強行されず、
入院直後に投与された抗生物質が効果を示し、解熱したので、退院の方針は撤回され、解熱を確認後、それなりの全身精査を受けて退院。
基礎に血液疾患があると判明すると、診療拒否となり、嘆く患者が多かった。その背景を深く憂慮された宇塚先生が、大学退官後、仙台血液疾患センター設立を決意された原動力

受診、入院患者の血液異常に関するアドバイサー的役割で、某大病院で血液外来を担当していた。
従来は、重症血液疾患患者を受け入れる仙台血液疾患センターという、入院ベッドの後ろ盾があった。
平成12年10月末をもって、入院病棟閉鎖したので、入院が必要な高齢(60歳以上)などの血液疾患患者の入院ベッド探しは難渋していた。特に、研究優先の大学病院は、受診さえ拒否、という背景もあった。
ベッドを所有している後ろ盾がないので、非常勤医としての継続契約は打ち切り宣告を受けた。大学病院側の事情も垣間見えたという点で、巨大組織、力で押しつぶし、排除してくる、過去の記憶の想起となった。

もう一点、某病院に非常勤医を依頼されてから30年ほど、院長と面談することはまったくなかったので、内容には、予測をもって、院長の要請に応じて赴いたのだが、話を切り出すまでの過程が、狭い医師の世界なので、面識はあったのですが、単なる面識以上の接触があった過去を懐かしむためなどというこじつけ後という点が、人物に思いを馳せ……。
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ピカソってどんな人?

2015-12-05 23:07:21 | アート・文化
宮城県美術館で開催されている、ピカソ展で、

絵、焼き物などで描きだした女性を鑑賞後

ピカソってどんな精神構造の人?

ピカソの作品すべてを知らないけれど、知っている範囲と今回で。

初期の作品の人物は、豊満、穏やかといえない
その後の女性は、美しい。豊か。母性あふれていた。

パブロ ピカソは画家
エネルギッシュで、たくさんの作品を生み出した人
女性とむつみあい子をもうけ
別の女性にひかれ離別をくり返した人
別離に伴う感情は、過去も良し、今はなお良し の気持ちが強い人であったのか?

キュビズムの、左右の顔の間にある気持ちの変化は?流れた時間は?


オークションで取引される額は、理解を超えた額で、今後も評価され続け続け、取引が成立し続けるのだろうか?
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大根田 昭先生 逝去

2015-12-03 09:26:28 | 血液専門医宇塚善郎
大根田 昭先生 11月27日に逝去されました。
第3内科に入局の日、宇塚先生に挨拶のために講師室に入ったときに、SGT時代の成績簿を捜し出して、チェックシャワーを浴びました。

出身が栃木県ということで、
”無芸大食”
”抑揚のない、ぶっきらぼうな話っぷり”など、宇塚先生とは、
相通じる気質、誤解されやすいような面で意気投合していましたっけ。

糖尿病研究では、着実な成果をあげられていましたが、
大学での研究者としては種々困難に直面し、
大根田先生の研究者としての能力を高く評価していた宇塚先生は、
旧制四高の同級生の教授に応援を求めたりしたこともありました。

糖尿病の治療に精通する勉強することを、ある事情から潔しとせず毛嫌いしていた宇塚先生は、
仙台血液疾患センター患者の、糖尿病コントロールのための勉強会を度々お願いしておりました。

近年、大根田先生が病を得てからの電話口からの様子で、
”大根田も、かってのうるささが減った!”大丈夫かなと気遣っておられましたが、
宇塚先生が5月に先に逝き、今また大根田先生も冥界に旅立ち、
山形先生譲りの和歌の出来でも語り合っているのでしょうか。

心から、ご冥福をお祈りいたします。
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