連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

人工呼吸器取り外しで考えたこと(1)

2006-03-31 17:01:33 | 健康・病気

3月26日の富山市射水病院の人工呼吸器取り外し報道に接して、医師としての人格はどのように教育、形成されてきただろうと自問しました。

1:人体、疾病に対する知識を正確に、豊富にし、時宜に応じて速やかに活用できるよう、常に努力する。

2:患者との関わり方は、医学は科学であるので”客観的に”かつ親和的に。

3:医療経済も、考慮すべき

に要約できるでしょう。

治癒を目指して、共に歩んできた患者が、治癒への努力も空しく、日々悪化し、展望が閉ざされてきたときの苦痛は、患者、家族に限ったものではなく、生への道を切り開く期待を感じ、背負ってきたのに期待に添えないという打ちひしがれた、締め付けられるような苦痛に医師はいるということは理解していただけるでしょうか?「こんなに苦しんでいるのに」とか、「死なせてくれ」とかいう一言に傷つき、戸惑う医師の内面に思いをいたしていただけるでしょうか?

”死”は大いなる力によってもたらされ、すべての生を与えられたものに等しく与えられる唯一のことで、大いなる力に身をゆだねるので、死sに向かう行為を”決定”してよいものなのでしょうか?

”尊厳死”は昔からあったのでしょうか?

”尊厳死”という概念が生まれざるをえない、死めぐる環境の変化が生み出したのでしょうか?

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情熱を維持する思索:31日の朝礼

2006-03-31 10:19:45 | 血液専門医宇塚善郎

職員1人、Dr鈴木宗三、私齋藤淑子、そして院長宇塚の順で、話をします。今日は、始めに職員の1人が「寒暖激しい雪舞う春での健康維持に気をつけたい。」と、次いで、「寒いと、超音波のゼリーが、思いもかけず冷たいのにおどろいた。患者の肌に接するものの温度に注意したい。」とDr鈴木。私は、「季節の変動を受けて、五感を大事にした対応を心がけたい。歌人の大岡信さんのエッセイでーぶつかる子供から、動物同士の距離を保つ感覚を失ってきているのではないか?-というのを引用して、厨房職員に懇談会の要望のエッセンスとして美味しそうなにおい、味、食材の変化を感じながら調理してほしい。」と、時候の変化ー感覚ー調理に結びつけました。

朝礼の執りを努める院長は、18日訪問された大野竜三先生との対話から、「ダウノマイシンが開発された1950年代に遡る、急性白血病治療の確立に喧々諤々討議し、同志として活躍した初の白血病班の各地の先生方は、その後教授になられたが、唯一の例外は自分で、さらに超例外的存在であった全員を率いて今もなほ慕われている故木村禧代二先生である。その先生方で、存命である先生方は、治癒的治療法という仕事への情熱は今も続いていられるだろうか?自分は、血液疾患の治療の確立への情熱を維持する思索を今も続け、情熱を持っていると思っているが、職員は感じているかな?」と語りかけられ、さらにいかにも宇塚先生らしい話の落ちが、少し間を置いて、「女性に対する情熱は冷めたな。カフカの小説のいもむしになったかな!」でした。

仙台血液疾患センターの31日朝礼の15分間の紹介でした。

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大野竜三先生の表敬訪問(2)

2006-03-29 11:52:37 | 血液専門医宇塚善郎

白血病の治療が、1960年代、1970年代、1980年代と異なり、地方の病院でもある一定の水準の治療が行われるようになったのは、大野竜三先生の功績で、偉大なことですねと宇塚先生が賛辞を呈され、さらに「その功績に対して表彰されたことはありますか?」の問いに、大野竜三先生は、「特にありませんが、MD Anderson Hospital(先生の留学先で、知る日とぞ知る癌治療のメッカ)から、世界で活躍されている同窓者ということで表彰されたのはJALSGの仕事を評価されたからだと思っています。」と述べられ、さらに「宇塚先生の治療方法、理念の寄与によりますよ。」と、現在の成人急性白血病治療の確立に対するそれぞれの役割について、称えられていました。

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大野竜三先生の表敬訪問

2006-03-28 18:23:24 | 血液専門医宇塚善郎

大野先生は、2005年度癌治療学会の会長を努められ、JALSGの発足、運営に中心的役割をされてきた方です。白血病治療における、宇塚先生の功績に敬意を表し、多忙な時間を割いて学会参加の帰途、センターに立ち寄られました。1978年パリで開催された国際血液学会での発表がセンセーショナルであったこと、日本の白血病治療の礎を築いた、今は故人となられた木村禧代二先生、太田和雄先生、山田一正先生のこと、そして若き日に研修の日をすごした名古屋大学第1内科教授であった日比野先生の話。特に木村禧代二先生は、度々仙台血液疾患センターを訪れては、励ましていただいたことなどの話から、収集されていた”かに”をテーマにした遺品の展示場所を探していることを大野先生が話されていました。現在の治療、特に国外で標準とされている治療法が日本でも行われるような共同研究を行うべきであるなども。時代を一歩一歩気づいてこられたお二方は、時、場所を超えた同志的雰囲気が漂っていました。

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白血病治療:初回は大事

2006-03-24 14:17:57 | 健康・病気

1977年に、血液学に貢献したいとの抱負で恩師宇塚の元で、診療研究を開始してから、臨床データーを分析してきました。

急性白血病が対象疾患のメインでしたから症例も多数経験しました。。腫瘍細胞の性質は、決定されてしまっているので回避できない条件です。その前提から治療を選択し、実行するしかないわけです。

最善の治癒という結果を導き出すのは、初回寛解導入療法の深さで、第1コースで、宇塚が提唱した"target point"に到達させ、出血、感染などの合併症を克服させて、完全寛解に導く。という、データでした。

治癒のための最低条件は、初回寛解導入で”質のよい”完全寛解に導くこと。

質のよいというのは、医師にとっては、ストレスが大きい患者の状態(白血球減少が高度、血小板が減少して出血傾向が出るなど)を経ないとなかなか得られません。健康時には共存している細菌叢が、個々の細菌として、感染源となってきたりするからです。

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お彼岸

2006-03-21 04:34:41 | 日記・エッセイ・コラム

母は彼岸にありしゆえ、仏壇、墓を預かる身分となり、多忙に任せて果たさぬお勤めを果たさねばと、祝日21日は、慣れぬ”ぼたもち””精進料理”にいそしむなり。

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天網恢恢疎にして洩らさず

2006-03-17 23:42:14 | スポーツ

17日のWBCの結果(メキシコvsUSA 2-1)を知っての感想です。

どちらも同じ審判が、常識破りの判定をしていた。人を悲しませたり、喜ばせたり、神様はいたずら好きだ!

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セカンドオピニオン

2006-03-14 23:39:00 | 健康・病気

仙台血液疾患センター3月14日の院長宇塚善郎先生の話を紹介します。

セカンドオピニオンに関する2人の患者を昨日経験しました。

1例は、症状も無く、理学的診察も無く、画像(CT)診断だけで手術を勧められた患者をライフワークとしている親しい医師に紹介され、手術は無用で、放置しても数年先に麻痺で動けなることはないという典型的なセカンドオピニオン。

2例目は、余命を規定され、希望を失い、しかし活路を見出したいと、セカンドオピニオンのために多くの施設を受診している例です。いわゆる検証のために行われるセカンドオピニオンとは異なり、数年間の闘病の末、一縷の望みをもって受診されたようでした。現在の悪性腫瘍治療の常識からすれば、患者さんが医師から得た説明の通りで、見解の誤りは無いわけで、当院としても訂正する要件は無いと説明しましたが、”一縷の望みをかけて”てという点については、紹介もとの主治医と連絡をとり、患者の希望に沿うことにしたのは、大変困難な患者を受け入れたと思うだろうが、”窮鳥懐に入れば猟師も殺さず”の例えもあるように、無碍にすることは出来なかった。

セカンドオピニオンを求める患者の背景はさまざまで、それに応えるとは、いったいどういうことなのか、4月の保健請求に盛り込まれたことでは解決されない、人が人に求める医療は、治療の標準化、マニュアル整備では解決されない。 といいう趣旨と理解しました。

昨日は、ほかに80歳近い高齢者、3名の患者さんが新患で、複数の医療機関を経て、直接の紹介元は、当日に紹介されてきました。非常に重篤であったということです。症状の出始めは、いわゆる高齢特有の疾患と判断され、血液検査なども受けずに診断をされたようで、先の診断から”解放”されるために、繰り返し症状をしつこく訊いてしまいました。

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はじめまして

2006-03-13 23:46:50 | 日記・エッセイ・コラム

日ごろ周囲に対して思ったことの意見交換の場としてつくりました。

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