連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

老後

2018-11-29 09:45:48 | 日記・エッセイ・コラム

区の医師会で、互いに診療している高齢夫婦患者の話題から、

“認知症になる前に、やるべきことをやっておかないと!”、私より10歳も若!”いのに。

さらにもっと若いどうもの医師が、さらに若い同門医師が、悪性腫瘍で治療中との話も出てから、、老後の話にもりあがっていきました。

それぞれ、老後資金の計算、借金が無くて、自宅所有なら、年金に(大学病院で無給期間が長いと、年金が安いので)月20万円、あれば、十分では?10年だったら2千400万、20年だったら、30年だったらと。

人生の盛りで年数を重ねるのではなく、体力、知力を喪失しながらなので、………。

高齢になったら、適応力落ちるるので、慣れたことを続けるのが、認知症レベル低下に良いので、続けられる限り医師の仕事をしているつもりと私。

若手も、医師の仕事以外の時間の過ごし方、やりたくてやりたくてというほどのこともないし、などなど、よもやまばなし。

矛先が、私に向けられたので、老後について、

やっておこうと思うのは、死後直後の葬式関連で、戸惑いを生じさせてはいけないので、仏門帰依生前戒名のみで、一括して後始末してくれる業者がいるので、心向くままに生活し、整理整頓、掃除は日常レベルのみでと思っていますが、

縁戚関連には、価値ある大事にしていたリストぐらいは、わかるようにしておこうかなとは思っています。

家族による介護困難との判断から、突然見知らない老人ホーム入居となることに、違和感のある私は、

独身、独居あり長年住み慣れた自宅に、どちらかというと、生身の人間のお手伝いさんよりは、AIがいいな。

など、加齢に伴うよもやま話に盛り上がるうちに、

90歳を超えた先輩(老健施設の施設長現役バリバリ)から、お茶の稽古、お家元の名前の由来などについての蘊蓄を聴いているうちに、残り二人となり場の雰囲気を感じ退場。

 

12月2日大阪城ホールでの第9合唱に向けて、27日の事前レッスンの、マエストロ佐渡さんの言葉のイメージを反芻しながらそこそこ練習中。年末には、今年もTBSで放送するとのことで。

 

 

 

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慌ただしくもない年末を向かえるにあたり

2018-11-27 09:28:47 | 日記・エッセイ・コラム

思いもかけず、長生きをした。しかし、

平均寿命まで、誕生から高校卒業までの年月があるのか!

現実の暦日に、思いを馳せると、体力は日々喪失という現実を念頭に、

意志を実現できる体力、意思を伝達できる知力を維持し、

現世から消滅出来たら。

父も、恩師も最期を看取ることになると思いながら、

不安な心身(外見は静穏そのものでしたよ)に接してくれていたが、

両親より、恩師より先に死ななくてよかった。

しばらくは、薬師如来さまのご加護の下で、仕事に励み、

これから先、釈迦如来さまの下で共に過ごしたいのはと自問自答して、

両親と恩師。

ときどきは、心ならずも先に逝かしてしまった患者と。

曼荼羅には、動物も描かれているが、共にはダメなのかな?

tora

 

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学生時代は楽しかったか?

2018-11-24 10:54:39 | 日記・エッセイ・コラム

還暦を過ぎ、古希を迎える年になると、同級生だった人の訃報もあり、

同級会を開こうという声も出ますが、なつかしい?会いたい?と自問自答。

大学時代の記憶、婚約時代以後共に過ごした時間(父の反対で学生結婚にはいたらなかったのですが、感謝両親の心配は杞憂ではなかったことに感謝)の記憶が飛んでしまった日の恐怖の映像が残像として浮かび上がり………。

当人以外にも、恐怖を呼び覚まされる心理状況分析を繰り返しつつ、

婚約破棄、結納返却を申し出た、私の事情を理解せず、勝手なやつと思ってただろうし。

40年以上の時間が過ぎ、PTSDに伴う恐怖を引きずるのもと思い、年齢による忘却に身をゆだねることとして、

”友達って良いものだ”、””同級生は、懐かしみの中で愛おしく”思えるようになりたいもの。

仕事を始めてからは、多忙ではありましたが、楽しい思い出に満ち溢れ、

患者とは、恩師の思い出話に事欠かず、

子供時代も楽しく、

ほんのわずかな数年の学生時代のある一時に、引きずられない過去の出来事にしたいものです。

独身で過ごしてきた今のほうが、

自分を押し殺すことなく、自分の尺度の倫理観で生き抜いて来れたなと。

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”共生する” 言うは易く、現実は厳しいかな?

2018-11-13 09:22:04 | 日記・エッセイ・コラム

7日のNHK番組ヘウレーカ―で、人インフルエンザ、鳥インフルエンザに感染するブタが、パンデミックにはなりにくい、インフルエンザと共存共栄関係にあると理解記憶してしまった(間違っていたらご容赦を!)。

本日、CareNetの記事、”本庶 佑氏が語るがんと共生する未来

 

国際社会では、自国第一主義を超え高に叫ぶ米国大統領が人気を博し、

ヨーロッパでは、難民入国拒否へと潮流は変わってきて、

社会での、入る者拒まず、共に栄える社会は壊れつつある。

人体では、外的勢力の侵入、棲息による利害はどうか?

長い歴史的時間の中で、微生物は、皮膚、消化管などに棲みついて、

人体を守ってくれている感さえある。

しかし、バランスが崩れる事態が発生すると、微生物個々の能力を発揮して襲撃、戦中は、発熱などの症状を人間は経験し、微生物は増殖中どうなっているかわからないが、微生物処理をしなければいけない人間には負担となりつつも、宿主(人間)は、対抗策を弄して、時に生を維持、時には死にまで至る。

無限の平穏な共生時間を維持は、双方の均衡維持があってこそでしょう。

外来異生物と、

人間細胞の分裂過程での変異から生じる悪性腫瘍とに対しては、

効率化、省エネ対策で、同じシステムで共生を図るのでしょうか?

自分は生きていない時代の、今ある知識での想像ですが、

胎盤の出現は、ウィルス感染をきっかけに突然生じたということもあり、何が起きるのでしょうか?

 

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