連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

役のイメージを変えてくれた日下武史氏の演技をなつかしむ

2017-05-27 12:30:59 | 舞台、芸術
劇団四季創立メンバーだった、日下武史氏が、
5月15日に静養先のスペインで誤嚥性肺炎で逝去されたとテレビで聞いて、あー、
もう一度と願っていた日下”シャイロック”に出会えないことを噛みしめた。

シェイクスピアのベニスの商人は、以前から文章でも、舞台も観劇していたが、
ポーシャに拍手喝采しこそすれ、シャイロックの心情に心つかまれることは、日下シャイロックの舞台までは無かった。

 劇団四季の、ミュージカルもストレイトプレイもそれなりにリピート観劇している私ですが、
日下武史の演技は、”何故そう行動しなければならなかったのか”という本質の心情が、表面の行動以外ににじみ出る演技で、舞台の醍醐味を味合わせていただきました。
劇団四季の創立40周年記念で1992年の初演した”思い出を売る男”、そして2014年上演の「思い出を売る男」の乞食が最後の舞台。浅利慶太氏が演劇に込める気持ちを込めて建立した自由劇場で、劇団四季にとって記念碑的な恩師加藤道夫氏の演目が最後の舞台だったんだと感傷的に。

声優として吹き込んだCDを、脳内変換して、鹿鳴館の影山悠敏伯爵などの演技に思い馳せることと、
演技指導をした後輩たちが、ダメ出しに応えて、舞台は楽しいなと思わせてレくれる俳優に育つことを期待して。
合掌
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役のイメージを変えてくれた日下武史氏の演技をなつかしむ

2017-05-27 12:30:59 | 舞台、芸術
劇団四季創立メンバーだった、日下武史氏が、
5月15日に静養先のスペインで誤嚥性肺炎で逝去されたとテレビで聞いて、あー、
もう一度と願っていた日下”シャイロック”に出会えないことを噛みしめた。

シェイクスピアのベニスの商人は、以前から文章でも、舞台も観劇していたが、
ポーシャに拍手喝采しこそすれ、シャイロックの心情に心つかまれることは、日下シャイロックの舞台までは無かった。

 劇団四季の、ミュージカルもストレイトプレイもそれなりにリピート観劇している私ですが、
日下武史の演技は、”何故そう行動しなければならなかったのか”という本質の心情が、表面の行動以外ににじみ出る演技で、舞台の醍醐味を味合わせていただきました。
劇団四季の創立40周年記念で1992年の初演した”思い出を売る男”、そして2014年上演の「思い出を売る男」の乞食が最後の舞台。浅利慶太氏が演劇に込める気持ちを込めて建立した自由劇場で、劇団四季にとって記念碑的な恩師加藤道夫氏の演目が最後の舞台だったんだと感傷的に。

声優として吹き込んだCDを、脳内変換して、鹿鳴館の影山悠敏伯爵などの演技に思い馳せることと、
演技指導をした後輩たちが、ダメ出しに応えて、舞台は楽しいなと思わせてレくれる俳優に育つことを期待して。
合掌
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通学路暴走動画

2017-05-27 08:40:09 | 社会・経済
通学路を乗用車が暴走で、人身事故は無くて良かったと思うと同時に、
動画が投稿されていて、しかも乗用車側からの撮影ではないですか!
動画投稿の意図は?

本日の報道で、「小中学生が邪魔なので思い知らせようと思った」と供述し、殺意については否認しているということです。

思春期からしばらくは、成長ホルモン、性ホルモンなどの分泌が盛んで、生命に、肉体筋力増強力に満ち溢れている。
 産業革命以前の人間の生活は、食料を得るため、衣類のために、住居のためにと生活の基礎的部分にほぼすべてのエネルギーを費やし、若者はせれでも活気にあふれ、異性を求める活力に満ちていました。
 肉体、筋力を要する労働は、都会ではほぼ無用で生きていける現代は、若者のエネルギー発露は同の方面に向かうのか?多くの場合は、知識に基づき理性でコントロールして生活しているのでしょう。
 今回の、暴走動画は、一時のエネルギー発露的出来心で済み、人身事故に至らなかったから投稿したのでしょうか?
それとも、人身事故を起こしても投稿したのでしょうか?彼らの車の走行に邪魔だったと思ったから、クラクションも鳴らし警告しながら走行したので、逃げ切れなかった小中学生が悪いと、殺意はなかったからと平然と投稿したのでしょうか?
衝動的行動を起こした人は、再発率は高い。衝動的行動の結果が、厳しく罰せたれても、当人が反省しても再発率は高い。
衝動的行動を制御できるような人格に育て上げていくことが、社会全体に求められている。

人間の進化の過程は、凄惨な場面の連続を切り抜けて生き残ってきたという背景が遺伝子に組み込まれているようで、本能的には、自分だけ、他人は傷つけ殺しても生きるという遺伝子と、コミュニティの一員でなければ、日々連続した安定は得られないという感情を組みこんだ遺伝子も組み込まれているという。
 コミュニティの規則の破壊による、コミュニティから離脱という悲しみを味わわないで生涯を生き抜くにはどうするか?
 軽度な失敗が出来、その失敗に対する社会からのパッシングは経験し、パッシングが主外のものではなく、ステップアップの手段と出来ればよいですね。
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100分de名著にひかれて 人生論ノートから 死について

2017-05-16 14:08:13 | 本と雑誌
100分de名著にひかれて 三木清著 人生論ノートをじっくり、再読し始めた。
書き出し、”死について”
≪死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった。≫
≪身近な死を経験したから、死の瞬間には平和が来ることを目撃した。≫と続く。身近に感じる死を体験したことによる記述。
患者の死、恩師の死、両親の死、若かりし頃の自らの死に近接した経験から、
死は、受けいらざるを得ないもの。
特に自分の経験は、突然に、意識が無くなる状態に落ち入り、しばしの後に気が付く。
その後、心地よく直ぐに眠りにつく状態がかなりの期間続き、うつらうつらできた幸せな感じが懐かしい。
死と平安は紙一重かな。

≪自分の親しかったものとの死別………… もし私が彼らと再会することができる――これは私の最大の希望である―――私の死においてのほか不可能であろう。≫再開の希望のために、死に賭けると書いている。
死者と再会したい人はいるが、死に賭けて、死んでも、冥界での再開はどのような状況になるだろう。
こどものころの両親と暮らした懐かしい時間に存在した、”笛””お茶””習字”、父が希望した武術の心得を、身に着けて死の時を迎えたいと思っている。

健康の感じ方に対する言及も興味深かった。≪コンヴァレサンス(病気の快復)としてしか健康を感じることができないのではなかろうか。≫
近頃は、テレビで、健康であるための関連番組が放映されない日はない。
ということは、それだけ不調を感じながら生きている人が多いことの反映なのだと、改めて考えさせられた。

三木清氏は、終戦のわずかまえに、共産党の友人を保護したということで、獄につながれ、終戦後も釈放されず(進駐軍支配下で、赤狩りが始まる)、獄中で感染したダニによる、全身臓器の侵略で見守る人もなく、息絶えているところを発見された最期ということを、100分de名著で知った。
41歳での死。
会いたい人に会えるという希望をもって息絶えたのかな。
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モーツアルト オペラ

2017-05-07 15:56:21 | 舞台、芸術
モーツアルト晩年の三大オペラ、フィガロの結婚、ドンジョバンニ、コシ・ファン・トゥッテそ、魔笛、そしてイドメネオを、1年の間に、劇場で、またはライブビューイングで、演目により複数回観劇。
モーツアルトのオペラは、前向き、進取の気風に富み、理不尽は理不尽と感じ、変革を示唆し、愛はすべてに打ち勝つ、めでたしめでたしに終わることが多く、ほのぼのとして帰宅の途につけます。

舞台演出、演技をしながらの歌、オーケストラとの調和を楽しむだけの私ですが、
モーツアルトが生きた18世紀末に、思いを馳せると、
庶民感覚の、訴えを散りばめながら、
倫理観、神に対する恐れも変革期だったんだなと思いました。

マシュー・ポレンザーニ、マリウシュ・クヴィエチェンと共演していた演目の、愛の勝利者を演じた時よりも、今回の息子をいけにえに捧げなければいけない、父親としてのイドメネオ王を演じた今回の演技、歌が私的には、ブラボーでした。
ことしは、ミリウシュ・クヴィエチェンに日本にいては出会えないのが心寂しい。
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宇塚善郎先生3回忌:絆

2017-05-06 09:02:00 | 血液専門医宇塚善郎
薫風香る5月4日、栃木深程の無量壽院にて、3回忌が行われました。
まず、個人の3回忌に対する読経、引き続き経典の読経、参列者も加わっての般若心経を唱和。
最期は、住職様の講和。2世安楽。現世でも、来世でも安んじて楽しく。
深程の地の、現代まで続く氏族の流れ。宇塚家は、その時代から治めてきた氏族というお話。

直来では、
初ひ孫を抱いた孫がまず挨拶。宇塚先生は、種々の観点から、結婚式は盛大にがせ持論だったので、足腰が弱ってきた先生の結婚式参列手順を話し合っているうちの体調不良となり、生前に京指揮できなかったのが残念、生成の死後間もなくの妊娠がわかり、何となく生まれ変わりなどと思われている初ひ孫。現在は1歳。生後間もない写真です。
引き続いて、次女の子供3人が、現在の様子、祖父(宇塚先生)とのかかわりを報告。
論文作成半ばだった仕事が残っているので、死してもなお生を保ち、

直来を始めるにあたって、施主が、記憶から無くなる2度目の死をだして、法事による記憶を新たにとしての意味合いを放していたので
一番弟子の私は、3回忌に間に合った、2編の論文
"Noninvasive early detection of anthracycline-induced cardiotoxicity in patients with hematologic malignancies using the phased tracking method"
"Response-Based Intensive Induction Chemotherapy of Curative Approach in Elderly Acute Myelogenous Leukemia Patients in Single Institution”
を墓前に捧げ、執筆半ばの論文はまだ医療界が凌駕出来ていない内容なので、引き継いだ齋藤が完成するまでは、死してもなお生を保ち、記録として残り、2度目の死は望んでも望めないと報告。
そして、先生がおんぶして、自転車で散歩させていた、まだ歩けなかった、初孫のターー君が、2009年、8月15日深程の家に一族郎党が参集して催された”家郷会”で、披露した”絆”を熱唱。現在は、exViv(2月解散したVivで、ボーカル、作曲もてがけています。はじめ、茶髪に度肝を抜けれた先生も、個人の自由を尊重する立場から、受け入れ)
街道から、家に向かう径で、まず目につく長屋門と、さるすべりの木。
咲き誇るさるすべりの季節に集った一族の人々と、お盆で一時帰参したご先祖様に向かっての歌詞でしょうか?

サルスベリの花の咲く季節に
変わらぬ笑顔が またやってきた
あげは蝶追いかけた あなたにみせてあげる
鮮やかに光る羽根 そっと捕まえた
目を閉じて ほら見えてくる情景
あの日と同じように 僕らここにいるんだ
冷たい世の中に 理不尽な温度感じても
忘れないで 見えない絆を
 ……………

幼少時好んで食べたという、”かっぱまんじゅう”を先生に倣い知り合いに配るべき購入。
名前の由来が、音無川にいたずら河童が出、こらしめた小倉氏。小倉氏にゆかりで今は小倉川に名前が変わり、そのゆかりで、おぐら餡の饅頭がかっぱまんじゅう。





 
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