連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

戸籍、死籍

2020-10-25 05:10:12 | 日記・エッセイ・コラム

今後かかわりを持つかもしれない研究所の事務長が死亡し、

その事務長は、両親が死亡し、一人っ子で、死後の連絡先も不明で、いかなるものかと研究所長が思案に暮れている、との話を友人から聞き、

雇用主の研究所長が、事務的に、死亡手続きをするしかないではないのと話した。

連絡先不明で死んだ場合、周囲は、あたふた、どうするかと悩むらしい。

臨床医として、死亡診断書を書く前、その後について、今回、考えるきっかけとなった。

戸籍は、出生証明書を届ければ、その後、生きていれば、区切りの年に、行政が施行する行事を連絡するシステムがある。

死亡証明書を、行政に届けた後は、戸籍消滅、そのほかの、若干の手続きが必要とさえている。

遺体、火葬後の骨の扱いについては、埋葬許可書が交付されるが、場所の明記はないはず。

 

わが身を振り返ると、独居である。両親は他界して、菩提寺に埋葬した。独身の兄が、遠方に独居している。兄が他界した場合などを踏まえ、死も含めて、私が、意思の疎通ができない状態に落ちいったとき、

菩提寺の連絡先を明記したのは、たぶん調べるだろう金銭関係の中に一緒にしているが、このことは、周囲に迷惑が掛からないようにという配慮のため。

死ぬまで生きる。

死に急ぎはしない。

生に執着はない。

遺体はどうされてもよい。

仏教徒なので、仏教界の六道のどこかにはいけるでしょう。極楽浄土でなくてもよいが、

地獄でも、どうやら、いずれは、仏様によって救い出してくださるらしいので。

 

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死にめに会えない。

2020-10-18 11:52:46 | 日記・エッセイ・コラム

終生、愛するものたちと一緒にいたい。

のに、息を引き取る傍らにいること、かなわなかったとき

死の悲しみに加え、一層の悲嘆が加わる。

今年は、コロナ禍で、大雨、天災で。

両親、恩師の最後の床で、死を宣告するために傍らにたたずんでいた。

初めて、拾ってきた猫で、誰にもなついた人気者のだったが、

私には、じゃれあい、かくれんぼをしたり、

空いている場所があるのを知っていながら、

お家に入れないと鳴いたり、

誰よりも一番となついていた。

持病の慢性感染症が徐々に悪化し、

元気がなくなり、回復を願って入院させた。

で、死に目に会えなかった。

仕事で、朝の、出かけられず、

電話で死んだことを知った。

最後を共にいられなかった。

亡骸は、胸に抱いたが、

十数年経っても、癒されない思いが続いている。

 

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