連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

久しぶりの源氏物語

2014-07-11 06:30:35 | 本と歴史

牛に曳かれて善光寺詣で よろしく

友のエッセイにたびたび登場する源氏物語。

超有名である物語ということで、

中学から高校にかけて古文、現代語訳谷崎純一郎をよたよたしながら読破したが、

今回は、現代語訳、与謝野晶子、田辺聖子、瀬戸内寂聴と 同じ巻を、どれほどに違いがあるかとかと読み比べてみた。

長編を読みだすと、読破するまでは寸暇を惜しんで読書に没頭する悪癖を自覚していたので、夏休み以外は久しく避けていたのが、魔が差したとしか言いようがありませんでした。

読破するまで乗り越したびたび。仕事に支障はなかったのが幸い。

さてさて、若き日にあこがれた姫君は?男君は?

平安貴人は、恋はかけひきで、心を燃え上がらせる奇妙さに、驚き嘆息したことを思い出しなどしたが、

蹴落とされ、死別を味わい 年を経て 

たくましくもなり、あきらめ、忍び、

父の心情、わが身の上を重ね合わせられるからか など考えながら

今回、心ひかれたのは”椎本

特に、俗聖といわれている父 八宮が、姫君達に、出家を決意して語る場面。

”世の事として、ついの別れを、のがれぬ………

去りなむうしろの事しるべきにはあらねど、わが身ひとつにあらず、……

過ぎ給ひにし御面伏に、軽々しき心どもつかひ給うな。おぼろげのよすがならで、人の事にうちなびき、この山里をあくがれ給うな。……”

与謝野源氏では、

”人生は誰もいっしょにいつまでも生きていられれものではない。一度は皆別れるのだけれど………。

私一人のためではなく、死んだ母様の名のためにも軽々しいことは出来ないだろう。真心からではない男の表面だけの情けに欺かれてこの家を出てしまったりするようにはしないでおくがいい。………”

の訳となる。

今を生きる私にとっては、現代語訳はわかりやすく、読み進むのも早いが、

多くの作家、漫画家のこころを捉え、挑戦を決意させる、偉大なる長編小説などと思う。

読破した集中力を、完成させたい仕事に発揮できないわが身、心の有り様を嘆きながら、

黙々と一人でよくデーターをまとめていると自画自賛しながらも、完成遠い仕事を、

天上の人との約束を今年中には果たせますように と

決意を新たにさせてくれた、源氏物語は、心のひだの奥行豊かな物語でした。

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ルネッサンスの光と闇 高階 秀爾書

2012-08-22 12:46:32 | 本と歴史

2011年 大震災後にゆがんだ本箱のなかから、手に取り読み出して、

読み応えが有り、引き込まれているのが、

ルネッサンスの光と闇  芸術と精神風土 。

昭和46年発刊の本です。

序文 「天使の存在を信じないーー信じることの出来ないーーわれわれ現代人は、クールベやテーヌの直接の子孫なのである」

「現実世界への目覚め」

クールベの生きた19世紀の現実の目覚めと、15世紀後半ルネサンス期の現実の目覚めの違い、表現の奥に潜むものを明らかにしてくれる、推理小説のようなぐいぐい引きつけてくれる魅了にとりつかれながら、それでもやっと、

第1部 サヴォナローラ

第2部 メランコリア  まで読み進んだところです。

忽然とではなく、時代の必然性で発生する熱狂と退縮

修道僧 ジロラモ サヴォナローラに、熱狂呼応した人々=ピアニョーネによる”虚飾の焼却”

(取り返しのつかない焼却による永遠に喪失した物は、数知れず、

何度となく繰り返される愚行。当時は意図を持って、人々を邁進させる。)

同時代に生きたボッテチェルリ。 ヴィーナスの誕生、プリマベーラ(春)の作者であって、それだけの人が、時代を生きた人物として動き始めました。

ほおづえをつく”考える人” がメランコリア→非行動的な瞑想の人

ドラクロア作アトリエのミケランジェロ

ラファエロ画 アテネの学園 に後から書き足されたらしいヘラクレス

ここにもミケランジェロの影が。

なつかしい思い出に満ちたイタリア、なかでもフィレンツェ。

ヴィラ サン ミケーレ のテラスからフィレンツェの町を眺め、

観光客にあふれる市街に出かけ、

栄華盛衰の中の憂鬱の影と、遺産の継承した現代の町の再訪をはたしたいなと。

事実の読み解きに基づく、力強い筆力。見習いたい!!

第3部 愛と美 第4部 二人のヴィーナス 第5部 神々の祝祭

読み進むのが楽しみです。

以前は、イタリア訪問前の慌ただしさの中での、読書だったのだろうか?

読後感が異なっている。

 

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大河ドラマ平清盛にはまっています。

2012-07-17 06:57:40 | 本と歴史

古今東西、歴史小説は、躍動感あふれていて、一気に読み進んでしまう。

史実に則っているので結末はわかっているのにである。

平治の乱が終わり、賊群の処罰も決定。

次の武家の世への幕開けが始まるところまできた。

毎週見続けていると、さりげない画面が心理描写の伏線となっている緻密さにも驚く。

武家の社会が続いたのは、源頼朝を、処刑せず流罪とした清盛の決断。

ドラマでは、公家の処刑はあっても、武士は処刑していない。

もし、義朝の子を処刑していたら、次の武家の社会はあったか?

断絶して、公家の社会が復活したかもしれない?

頼朝は、何故執ように義経を攻めたか?

命の恩人、平氏の滅亡に貢献、公家社会の復活に貢献したからではないか?

藤本有紀作平清盛は、時代を切り開いた、エポックメーキングな清盛の蘇り。

同じ藤本有紀作の”咲くやこの花”の こい を演じた成海璃子さんが、

またまた思いのままに情ある女性を演じるために出てきますね。

平清盛は、平家物語の"勝者必衰、奢れるもの久しからず" でしか

知らなかったと言うことに気がつかされています。

これは、史実に生きた吉良上野介は、領民に慕われた人間像と

全く異なって語られる忠臣蔵の吉良上野介の切り口と似ている。

一般庶民は、毎日の生活が大事、そのときそのときの体制に従うと言うことかな?

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