連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

近所づきあい

2013-05-28 17:10:11 | 日記・エッセイ・コラム

院長宅は、山を切り開いて開発された”新興住宅地”にある。

ことある毎に、隣人は、注文をつけてくる。

最近、こんな事で、警察を同伴した調査をさせるか!と思った。

アメリカンレッドリバーを飼っていて、晴れの日は、自宅庭を駆け回れるようにしている。

庭で、土かけ行動をとるときがたまにあるらしい(時折散歩に連れて行くときにはこの行動をしない)。

天気が崩れそうとか、雨模様の日は、室内に入れている。

ことある毎に苦情を申し入れてくる、隣家は室外機が汚れているのに気づき、

観察を続けたのでしょう。犬の土かけで汚れたと結論づけて、警察を呼び、押しかけてきた。

その後、日々、老夫婦の世話のために、日々通ってくる、長女の携帯に、しつこく電話をかけてきている。

その前には、落ち葉を落とすな!木を切れ!と言ってきている。

芝生の庭、生け垣なし。

迎えの車の駐車位置にたいしては、理不尽名言いがかりをつけてきていた。

隣家前には駐車はしないし、境界越えの一時停止もしていないが、

車が出て行くときに、院長宅の前まで進行してから曲がらないといけない事情があるらしく、

停車位置にクレームを度々つけてくるエゴイストぶり丸出しの元教師夫婦宅である。

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新機種に慣れるのは大変!

2013-05-19 12:38:05 | デジタル・インターネット

携帯電話のポイント消滅が5月という通知を受け取り、ポイント?

使用方法を、調べようとしたところ、インターネットのパスワードを問われ、

そんなの知らない!手続きしたことあったの?

記憶をたどり、携帯機種の変更時にポイントを使用したのを思いだした。

17年間で、3回の機種変更。

スマートフォン、使用中の友人から、対応力のある今のうちに使い始めたら!

という誘われたこともあり、モバイル代わりにと思って、

ゴールデンウィーク突入初日に、ドコモショップにでかけた。

携帯電話は、解約。スマートフォンに加入。

月末加入は、2日間のために、1カ月分の契約料金を支払わなければならなかった(係の人からは説明を受けたが、そのためには、最初からの手順を踏まなければならず、出直し、待ち、また説明を受けての時間を考えて、お金で済むならばと考えてそんな料金仕組みを受け入れた。

それからが大変!

電話の受信ができない!どうするの?説明書では、理解できず、受信が長引いて切断。

受信先にかけ直しを数回。

ドコモショップに、使い方がわからないと、ゴールデンウィークのさなかに2度出向いた。

フォトパネルとかいうものも購入、契約した

(テレビも無い当直時の退屈しのぎに、映画をダウンロードして見ようという心積もりだったが、見事に裏切られた。そのための使用は出来ないということが、ドコモショップで説明され納得。何のための購入、契約だったのか!)

購入した映画は、いまだにダウンロード出来ず。

無知を悟るための、教育投資であったと思おうと、

スマートフォン購入から3週間の悪戦苦闘の末、動画レンタル料を教育投資と意義づけた。

HPを手直ししなければいけないと気持ちは追い立てられているが、遅遅として進まず、

慣れた手順のはずだったのに、PC関連ソフトへの、しばらくのいとまは、未知の世界に踏み込んだのと同じ。

唯一なれている、病院の野良猫、でぶたまちゃん(皆からはタマとよばれています)。4枚のスナップを一遍に見せたいと加工したのですが、………。

Cimg0172_3_1280x960

20130517tama

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臨終の枕辺

2013-05-18 15:58:36 | 健康・病気

打って変わった、入院病棟の気色。

歩いている患者をみかけない。

骨髄移植に準備した部屋と、前室は、

新病院;富田病院では機械浴室と、待機室へと変貌。

ストレチャーに横たわって運び込まれる患者の往来が目立つ。

自己排尿、排便はしていない患者ばかりのようで、

毎日大量の吸水性のある使い捨て下着の、使用後の廃棄と新品の到着が、

SBDC時代の何十倍にもなっている。

いまだに驚き戸惑っているのが、

臨終の床にたたずむ家族に遭遇したことが無いということ。

主治医の不在日時は、多いので、

居合わせた医師として、私が臨死に”死”を型どおり確認するために呼び出される。

モニターの心電図のレート(脈拍)が、50以下に急速に低下してきました、とか、呼吸が止まりました、との連絡を受けて、2階病棟の病床に向かうのですが、

静かに横たわっている患者と、看護師のみで、

3月1日から2ヶ月以上の期間に、多くの死の場面で、付き添った家族はいないのです。

家族の有り様の変化もあるとは思いますが、私が知っている臨終の場の感情の煮詰まった瞬間は出現しないのです。

死を宣告できる職業人が、生の終焉を宣告し、

死んだ患者は横たわり、死後処置が始まり、

家族の到着を待つという場があるのみです。

このさばさばした手順は、

人の感情に、時間が経っても、穏やかな忘却を与えられるのだろうか?

避けようのない仕事のために、たかが猫と言われる愛猫の死に

立ち会えなかった悲しみが今も続いている私と同じ感情が胸に渦巻いて気はしないか?

主治医の方針の影響で、無機的な環境で死を迎えられるのは、

拘束が長期化しないので、家族の肉体にとっては安易であろう。

精神的有り様は、時間の経過と共にある心の動きは別と思いたいが…・…。

東北大学病院の病理解剖後に移送される霊安室は、遺体は祭壇に安置され、

ガラス越しでの対面。

以前は、遺体の棺を取り囲むことが出来たしつらえであったが、新しくなってからは、

ガラス戸越しでの対面となり、驚きを持って受け入れた記憶が蘇る。

ホスピスではないが、高度障害者を受け入れ、紹介元の病院の方針そのままに、

日頃の検査はほとんどせず、”ナチュラルコース”で迎えた最期の刻も、

あるおだやかさがただようなかでの息の引き取り。

高齢化社会まっしぐらの日本にとって理想的な死にかた、病院の方向性なのかしら!?

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尊厳の芸術展

2013-05-16 23:15:49 | 日記・エッセイ・コラム

クローズアップ現代でも、日曜美術館でもテレビを通して目にしていたが、

実際の作品の数々は、

制限、窮乏渦中の強制収容所内の、不用品から生み出された樋ウニは、すごすぎる作品。

人は、困難でも、限られていても、豊かさを追求する強さと、工夫する知恵を備えているのだという実証が眼前に広がっている品々であった。

手作りの金属から創り出した道具、

石を彫り込んでレリーフ模様を備えた硯、

小さな貝殻の花弁のブローチ、際限のない時間を過ごすために根気よく続けて続けて創り上げていたのを偲ばせる。Cimg0146_35cmぐらいのブローチ。

花びらは、地中深くに埋まっていた小さな桜貝かしら?

強制収容所で制作した品々は、製作者が生存中はひっそりとしまいこまれ、

死後、家族が整理の最中にたまたま見つけ出されたという。

つらさを、奥に秘めて、過酷な運命におとしめ、さらした米国で、生きる子孫へ恨みを伝えないという思いやりから、しまわれていたのかしら。つらい記憶の紀念となるから封印していたのかしら。

必要とあれば、なんでも作り出した手仕事の日本人の作品。

仙台メディアテークで、”The Art ofGaman;尊厳の芸術展” 青葉祭り中の18日が最終日。

帰りは、目にやさしい欅の青葉の通りを歩いて、

勾当台公園の人工滝の堀の八重桜の花筏をみて、バスに乗車。
Cimg0142

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在院期間

2013-05-14 10:45:48 | 健康・病気

仙台富田病院が、外来診療の無い病院で

(仙台血液疾患から引き続き診療している血液疾患患者は除いて)

短期間で満床となったのは、各診療機関で、退院させられる状態では無いが、

入院が長期化すると経営を圧迫する事態になる現行の診療報酬体系にある。

治療を施し、安定状態にありので、転院を迫られ、承諾し、安住の病院と思って転院後、

転院時の輸送負担に耐えられず、数日以内に死を迎える。

数日以内の入院で、死を迎えた患者が続出した事態で、

死亡診断書を家族に手渡し、病院から退出する患者を無機的に送り出している。

救命医療を施した先の病院で入院継続の日々を送っていたならば、

かくも急激な人生の最期を迎えなかっただろうなと、

心の中での思いを抱きながらの見送り。

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高齢者医療

2013-05-12 14:07:50 | 健康・病気

仙台血液疾患センター(SBDC)は、2月28日閉院

(HPの変更UPが不首尾、不成功で情報更新かなわず)。

同施設は、葵会による購入で、仙台富田病院として新規開院。

宇塚善郎、齋藤淑子による血液外来は継続中であるが、それ以外の外来診療は無い。

45床の病棟は、

高度障害者も受け入れ可能と各病院、介護施設への病院紹介の案内に応じて、

3月中旬には満床となる。

搬送に耐えかねた結果か、転院後体調悪化で数日で他界する人が後を立たない様子。

1階外来、事務棟と、2階病棟は別世界の様相を呈している。

長い、長い3月を経て、4月は、駆け足で過ぎていった。

病棟主治医の、”ナチュラルコース”の対応が飲み込めない戸惑いの中で、

主治医不在時には、非常勤日当直医として対応している。

SBDC時代は、体調の変化時には、臨床症状で初期対応し、各種検査を指示し、

結果判明後は、データーに応じた処置を矢継ぎ早に指示した診療を行ってきた。

現在の2階病棟は、主治医のスタイルとして、採血検査は入院時のみ。

転院時の、栄養補充方法に変化を来たした場合は、

経口、経管栄養の場合は絶食として見守り。

最近は、維持補液1000ml程度は行うように変化。

中心静脈を確保されている場合は、従来の方針を踏襲。

寝たきり、排泄介助の患者が、様態変化を来たし、従来とほとんど変化の無い対応で、

絶食、維持輸液であれば、予後は自ずから定まる。

高齢化の進行が急速との報道に接するにつれ、

死を迎える結末は判然としている患者に対して、

残された時間を左右する 病院診療内での”ナチュラルコース”のあり方を深く考えよと詰め寄られている。

排尿、排便が狭い特定の空間で行えなくなる(尿、便失禁という)と、和やかであった病室が一変し、排他的、いじめは必発であった。それほど、体内代謝産物の排泄物は、耐えがたい悪臭と認識する人間。

現在の富田病院病室は、全員が、介助による排泄者であり、また、情報伝達がままならない認知症と言われる状態にあるために、医療者、介護者のいのままに身をゆだねるしかないので、耐えがたい悪臭を訴えることも無く、互いの交流も無いためにトラブルは起きない。

先に、在院期間ゆえに、退院を迫られた患者のたっての希望で入院を受け入れたが、

その顛末は、極めてエゴに富んだ行動をとり、

”こんなところには1日たりとも入院させられない”という独断の退院を実行し、

以後の血液疾患患者の受け入れは出来ない状態にさせられてしまった。

3月1日以後の、病院の内部状況の変化を受け入れず、思い込みで、かってのSBDCのレベルを期待された末の自己決定退院であった。

入院前のこちらの情報は、まったく受け入れてはいなかった。

強い生存を望む家族の気持ちだけでは、疾病運命は変えられない医療の限界がある。

自己願望で、医療者を振り回してくれたまだ初老のUSさん一家のおかげで、

血液疾患の入院加療を完全に断念させられた。

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