連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

意思表示のない、10歳~15歳未満の男性の臓器提供、移植へ

2011-04-12 22:21:20 | 日記・エッセイ・コラム

4月12日 東日本大震災、福島第1原発事故のニュースに関心が集まっているさなかに

ドナーカードでの意思表示のない未成年者の臓器が提供され、

臓器移植が行われるという発表があった。

レシピエントは、複数の成人。心臓は未成年者に(13日の報道で確認)。

賜った命という考えの私は、臓器職には賛成できる根拠を捜せない。

造血幹細胞は、職業の専門分野がら多数施行してきた。

”命そのもの”と、採取させていただいた血液を抱きかかえての

患者のもとへの歩みは緊張に張りつめていた。

健常者から分けていただいた命で、損なわれる命はない。

臓器移植の提供者は、健常な未来を期待された人の不慮の死から得られる。

今回の出来は、”最高の精密臓器部品を内臓をしているのは人間の体”

     という世界に大きく一歩を踏み出してしまった気がする。

東日本大震災での死者は、信じたくなくても確実な死以外の何物でもない死。

臓器を提供する人の死は、心臓を含む多くの臓器はまだ生の代謝を行っている。

脳は、判定する人によって死を宣告される。

死を宣告する人を信頼することによって存在する死。

そして、採りだされる生きの良い臓器。

生きたい、生きていいてほしい という気持ちには共感し、日々の診療に励んでいるが、

臓器移植を受け入れがたい気持が変わらないままである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする