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連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

死ぬ

2025-05-16 06:55:53 | 日記・エッセイ・コラム
臨床医になってから五十年。専門分野は、急性白血病でした。成り立てのころ他の疾患、肝硬変なども、手を尽くしても亡くなられる方が多かった。
体の全ての部位が同時に、廃絶するわけでない。
病気を治してあげられず、どんどん進行し始めたとき、活発な代謝物を排出出来ず、体に溜まり始めると、具合が悪い症状が出て苦しむ。それが、病変部以外の臓器に出て、生きるための必須の臓器、肺、脳、心臓に一撃の死を与えてくれればよいが、元々無傷であれば、死ぬまで時間を要します。
高齢に成ると、一見元気そうに活動していても、余力なく動いていることが多いです。高齢で活動されているかた、少し何時もより活動強度を高めた後、ほっとしたりすると、眠るように永眠される方に出会ってきました。
死に向かい
意識を失っている間に全ての細胞が動かない、代謝を止めた、死は苦しまないのだろうとおもいます。これは、若いほど、突然の訪れでないと難しそう。残された者の戸惑い、悲しみは、深いでしょう。日々を大事に、お互いを思いあって、過ごす。これが、悔いのない、最期を迎える極意。
私は、大学生だった頃、病を得て、薬の副作用が強く、意識を失い、三途の川を越えそうになったことが二度ありました。声が聴こえ、内容は、覚えています。
ひとつは、両親の嘆き、泣き声。
生きる目的、親より長生きする。
目的は、達成。
もうひとつは、未だやることが残っていると、おしかえされた。
長い年月、知識、力をいただいたことで、社会にお返しする、これに励んでいます。八十に近くなってきたレベルでですが

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