連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

パラリンピック

2016-09-10 13:58:18 | 日記・エッセイ・コラム
時間が出来たのか?2020年オリンピックを控えて放送時間が増えたからか、
パラリンピック関連の番組にが増えたという気がしている。
それと同時に、そういう競技があったの知らなかったの!という、健常者と異なる競技を知っている自分に気づいた。自分自身も、全身運動器の障害が進行する疾患に20代から罹患しているために興味があったのかなと自覚したりしている。

パラリンピックと健常者のオリンピックの違いは、
肉体を支える、器具の装着が許されていることでしょうか。
器具のみが、優れていても、
使用者=身体障害者の肉体との調和がなければならないということ。
この点については、競技以外の番組によって実感できた。

1964年 東京オリンピックが、身体的、知的障害者を座敷牢から一般社会への門戸を開かなければならない日本に変わり始めたのだというのが、1964年に競技者として参加した人の認識を変えたという、記録映像がNHKで放送されのをたまたま目にして。

相模原障害者施設の殺傷事件は、氷山の一角に過ぎないだろうと思わざるをえない、
まだまだ、障害者への偏見は強い。
パラリンピックの感動を沢山報道してほしい。

開会式で、パラリンピック旗の入場は、障害の子供の靴と親の靴が一体になった靴を履いて、入場行進。
サッカーをしたいと願った子の望みをかなえるために、考案した、親と子が一体になって動ける装具を作り出した親の愛情。

人への愛情は、創意工夫を生み出す。
制限を受けている肉体を、能力発揮できるような装具を開発できる能力を秘めた人が目につくように、パラリンピックの報道時間を増やしてほしい。
すべての障害者の能力を拡大させる可能性を秘めた大会だな!と改めて実感している。

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制限因子:生きる力、死ねない要因

2016-09-10 08:47:36 | 日記・エッセイ・コラム
命の継代を託した両親は、ほぼ寿命という年齢で世を去り、臨床医、研究者として教育してくれた恩師宇塚善郎先生も88歳で亡くなり、
命、仕事を託してくれた人より、先に死んではならないという制約はなくなった。
死に急ぐこともないが、家族のない無縁の身としては生き続ける意味は?と自らに問いかけることが増えた。

急性白血病の完治を目指して、臨床医として、研究者として、患者を凝視する視点は、
生存を妨げている要因は?
元気を取り戻せない要因は?
原因を追究し、除去し、患者の望む健康を取り戻す!ことが、
東北大学第3内科に所属した1977年から、仙台血液疾患センターが閉院した2013年2月までは、
自身の行動規範のすべてでした。
患者の状態により、夜の時間、睡眠はしばしば奪い去られ、
研究成果の執筆はままならずに過ごしてきました。
病室が無くなってから、恩師の死後の、近々の目標は、
まだ世に問う価値のある研究成果を報告し続けることが、
患者の命に携わってきた臨床研究者の義務と、自らに制約を課している。

”成人急性骨髄性白血病の治療”
”多発性骨髄腫の治療”:ここ数年急速に治療機運が盛り上がっているので、私たちの重利の化学療法の成績を凌駕する成績を上げてほしいという指針として報告しようとしているので、もたもたしていると喜ばしくも不要になるかもしれない。
”本態性血小板血症の診断法”

投稿受理までには、2~3年を要する。でも、そのぐらいの年月。

一人の患者は、≪死ぬまで生きたい≫と明言で生き抜いたが、
はてさて私は、死に急ぎはしないが、生きたいと思う気持ちは?と問うと、この世につなぎとめるものは?希薄。

昨日、帰路を同乗した友人が、北朝鮮の核実験関連の次世代への懸念、心配の
大きさに驚く。
遺伝子操作の時代に突入し、
突然変異の結果命を得た生物も、突き詰めれば、生き延びたい必死の中での遺伝子変異を手に入れた結果で、
今の世代の、食=命を支えるための遺伝子操作を悪とばかり言えるか?
など堂々巡りの思考に突入。



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事務職員のカルテ記入内容への介入、どこまで許容する?

2016-09-04 12:07:46 | 健康・病気
臨床医として外来診療をしている病院は、レセプト返戻、医療査定を避けるために、事務が積極的に介入しています。
カルテの記入内容まで介入してきます。
介入してくる医療事務職員は、医療に関する固有名詞は日々の入力作業で知っている。しかし、疾患変化を確認するためのデーター判断レベルに対しては素人と言わざるを得ない。
患者に対応が主となり、カルテ記入は、数値、矢印、+、-などで、変化を認識できるような簡略化した記号的記載となっている。
事務職員は、理解できないようで、
一般的日常語の掲載を求めてくる。

資格条項が必須の医療行為以外への、
非資格者の介入程度の許容範囲、熟慮中。
コメント (1)
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