連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

言葉は内面を表すためにつむぎだす

2007-01-31 10:15:42 | 日記・エッセイ・コラム

生活実感とは程遠い、政治家の少子化対策。

無策ぶりを人頼み他人に転嫁の極致ともいえる

柳沢厚生労働大臣の話題の発現

『産み機械、装置は限られている、一人頭でがんばってもらうしかない』

にたとえられてしまった女性。 『機械と言ってごめんなさい』といった釈明で済むと思う傲慢さ。

『少子化問題はわかりにくいので、モノの生産に例えて機械などという表現を使った。』この説明も、少子化の問題点を理解せず、生めば解決する、生まない側の問題へと転換。端的に問題点を表現しない相手の理解にまかせる、傲慢というか無責任というか、説明できないのをごまかしているのかもしれないが。

生めない現実、生みたくても生めない現実、生みたくても生まない現実  を精神、肉体、環境(空間、金銭を含めて) から分析してほしい。

安部晋三総理が、”美しい国日本”を目指すと声高に叫ばなければならない、薄汚くしてしまった日本に住んでいる日本人の心情

男尊女卑の問題に転換するな総理!

国民蔑視の象徴的発現ではないのか?!『生み機械:に人間をたとえられる柳沢厚生労働大臣』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康診断は有益?有害?

2007-01-27 13:54:55 | 健康・病気

学校、職場、自治体で健康診断が行われる。

異常通知を受けて受診される”患者さん”は、青天の霹靂でかなり深刻な精神状況であるようにみえる。しかし、多くの人は、基準値のずれが誤差の範囲内である例が多い。

血清鉄が、基準値より ”1”少なかっただけの例は、慨嘆仕切りであった。

当院に、健康診断で異常を指摘されて受診してくる内容で、大変なのは

正常範囲内をわずかに逸脱しているデータで、症状が皆無なときで、考えられる疾病を除外するために多くの検査を要することです。

軽度の赤血球増多は、骨髄増殖性疾患の診断基準を満たすか否かで診断確定手順は明確ですが、副腎腫瘍、呼吸器疾患、循環器疾患の除外はどこまでにするか?!

白血球増多もやっかいなものです。慢性骨髄性白血病を筆頭とした血液疾患を考え、

慢性感染症を考え、多くは禁煙1ヶ月後に再度検査をして軽快しているので、喫煙が原因と考えられる症例が圧倒的です。

健診は、有益?有害?甲乙つけがたいです。異常を指摘さレ、不安を抱えて受診されるので、除外診断に”乏しい”医療費を消費しているのは確かです。

仙台血液疾患のHPに掲載しましたが、遺伝性球状赤血球症で摘脾手術後の症例が、ヘモグロビンが17.4g/dl、赤血球数534万、白血球9400、血小板34万という症例が健診で異常ということで受診されました。まず、摘脾したことを話さず、胆石で手術したということから既往を聞き出して判明したのですが、摘脾術後、これで問題はなくなったといわれたから、話さなかったし健診でももちろん記載しなかったとうことです。記載したらば、基準内となり受診しない状況になったかどうかは、疑問が残るところです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れられない患者:

2007-01-27 08:32:08 | 血液専門医宇塚善郎

仙台血液疾患センターの朝礼で院長宇塚善郎先生が話されたのは、30年以上前の慢性骨髄性白血病(CML)の患者の話である。

30年以上前CMLは、数年で急性転化をきたして、必ず死ぬ時代であった。

一見は元気でありながら、数年後には死ぬという現実に立ち向かうために、働き盛りで妻子を養っていた件の患者は、死後妻が収入の道を得るために、専門学校で学ばせ確実な生活手段を獲得させ、キリスト教に救いを求め入信し、最期へ着々と計画を実現させていき、死の床に牧師を迎えた後に、息絶えるまで死にたくないと叫び続け、忘れられない人となったという。

バッハによるマタイ受難曲の1節

いつの日にか 死の訪れん時

主よ 我を離れたもうな

我 死に苦しまんとき みすがたを現したまえ

我 いたく憂えるとき なんじの苦悩をもって我を救い出したまえ

を引いて、死が目前に迫ったときの人の心の葛藤の強さ、生への渇望の根源はなんなのかと考えざるをえない。自分はどうするんだろうか、皆目見当がつかないが、それはそれが人生と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モラルの欠如

2007-01-25 12:00:03 | 日記・エッセイ・コラム

給食費の滞納が日本全国で22億円。

払えるけれど払わない。

子供の給食費も滞納、国民健康保険料も滞納。

私費で外来受診継続していたが、ちょっとした放蕩の末、入院必要な病状の悪化を来たした。生活保護の措置など、診療継続可能な経済環境を整えてと考えた医療側の考えは甘かった。

低収入ではなく、親は収入を得ると、ギャンブルなどを優先させて健康保険料も給食費も払わないだけ。

健康保険も未納で、保険証の交付が停止されていたのですが、外来診療費のほうが、保険料の納付金より安いのを計算し、私費で診療費を払っていたのです。

内服を継続しなければいけないのを、病状が良いので内服を中止し、病状が悪化してから受診し、健康保険が停止されているので払えないということになり、数年にわたる未納が続いているのが判明した。

管轄の自治体に健康保険証の交付を掛け合い毎月需給手続きをしながら、保険証の交付という解決作を提示してももらったが、病状改善し、退院したらば、自治体の事務手続きには行かなくなった。保険料を滞納していたほうが、安いという判断らしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮森昭郎先生の葬儀に参列して

2007-01-21 04:44:18 | 血液専門医宇塚善郎

東北大学名誉教授、元公立築館病院院長などの肩書きを得たが、弔辞、遺族挨拶から、同門の血液学の先輩という近さから、自身のあり方を考えるきっかけを得た。

弔辞を読んでもらえる人がいるか?思いつかない!……簡素な葬儀で、間違いなく一族の墓にいれていただき、そこから新紀元を祝福された戒名(宗教は仏教で会派は曹洞宗に属しています)をまとい永遠の世界への旅立ちが出来たら、最も幸せな臨終と思えた。

宮森先生と同級の恩師:宇塚善郎先生は、ライフワークとして鉄代謝とか看護教育に心血を注がれ…などという弔辞を聞いて、自分が仕事を続けてきている原動力はなんだろうと考え、ライフワークとして仕事を続けてきたわけではない。患者を治したいだけから続けている、とのことであった。

患者を治したい!先生の一言は、30年におよぶ身近で研究生活を続けてきた私としては、そのことだけで、毎日患者のデータを確認し、顕微鏡で標本を確認し、回診し、外来診療を続け、名声を得たいというのとは違う、心の底から患者を治したいためだけに臨床医としての研究生活を続けているのだということが実感できる。

名声を欲していたら、評価される事柄の発表を優先させていたら、論文沢山で違った展望であっただろう。でも、先生は患者と対面しながら、ひとりひとり治すために、不明なことを毎日調べ勉強し解決する道を選んだ。

再発して長期寛解を得た患者と、診察の雑談で、

「最近はすっかり柔和になったね。再発したときは、すねて直せない医者めとおっかない顔つきだったけど。」「うらんでいたのではなく、顔が引きつって表情がなくなっただけです。」種々談笑ををまじえながら「死んだとき、極楽に向かおうと思っていると先に行っている患者から、治してくれないでと突き落とされる夢を見る。」「先生それは、うらんでではなくて、もっと助けてあげなければいけない人がいるから早く来なくていいと押し戻しているだけです」「治せなくてとうらんでいる患者なんていません。一生懸命やってくれているのはわかるんですから。もっと助けて上げてからで遅くないので早く来なくていいと思っているからです。」

別の初回寛解から2年以上経過して、いままでぶすっと感謝らしい一言もなかった人が、生きていられることをありがたいと思っていますと。

診察の合間の会話で、人間の生死の極限を見つめざるを得なかった人の真相を学びます。

全員治してあげたい、現状では治せない病気も何とかしたいといつも真剣に考えているので、治せなかった落胆は大きいのだなと、わが恩師宇塚善郎先生の日常の言動を慮ったのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝統のお菓子

2007-01-18 19:49:39 | 日記・エッセイ・コラム

甘いお菓子は、幸せな気分を運んできます。

特に、いつもは手に入りがたい品はなおさらです。

さらに、伝統の一品で、手間をかけ、感触も独特とあれば、再びめぐり合えた喜びは格別です。

晒よし飴:300年以上前から、今は宮城県大河原市にある市場屋で、冬場のみ製造販売されています。原料は飴でも、さくっとかろやか、さらりと口に溶けて拡がる感触は、驚きです。

もう一点の好物は、鶏卵そうめん。

福岡は、博多の松屋本舗製造販売。

上質な卵と、砂糖を使って、薄く、切れない、卵。でもぱさつかない。

どっちも、類似品は出回らない。まねできない。経済効率は悪そうだし。

これから先も、ずっとつくり続けてほしいお菓子です。

晒よし飴は、地元宮城なので、やっと、配送もしてくれるようになったので、友人知人に贈る!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ものには限度がある!

2007-01-16 10:12:37 | 日記・エッセイ・コラム

頻発しているホームレス殺人事件の1件で、15日事件当時13歳であった少年の審判が開かれた。報道の見出しに、「殺すつもりはなかった」という文字が躍っていた。

「殺すつもりがなかったんだから、死んだほうが悪いのだ!」といっているように思えて不愉快極まりない。このことを前面に出して、刑罰逃れを冗長している張本人は、報酬をもらって仕事をしている集団=弁論で、殺人者を擁護する、人。

殺人者が自分に対して同じことをしても死ななくても、襲撃の対象者は殺人者と同じ体力を持っていないのだ。個人、個人の体力的個性があるのだ。

殺すつもりがなくても、人が死んだら、殺したのであって、死をまじかに迎えていたのとは違う。

こんな単純なことさえ、通らない世の中に誰がしているのだ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノロウィルス

2007-01-14 11:23:45 | 健康・病気

ノロウィルスによる集団食中毒が日本中を席巻している。

下痢をすると”ノロウィルスでは?”と頭をよぎり、否定しなければと思う。

しかし、医療保険では、ノロウィルスを同定する検査法は認められていない!

どうしても同定しようとすると、3~4万円もかかることが判明した。

マスコミでノロウィルスによるという報道は、影響の大きさから同定されているのだろう。

同定しているのは、保険所経由の公的機関か?

集団で、罹患者発生後に同定という作業手順にならざるを得ないだろう。

ノロウィルスに限定した治療法はないので、医療保険で同定する必要性を認められていないのだろう。下痢に対する一般対策のみでよいというのが、医療保険の考え方なのだろう。

病院に下痢で受診してきた患者

老人施設で、下痢が発生たとき、

   便培養検査のみで済ませるか、それとも……… 

一検体3~4万円、数人だと結構な額になる。利益のほとんど出ない、医療環境とか介護施設では大きな負担になる。保険所に申し込めば、無料で検査してくれるのかしら?

転ばぬ先の杖とはいうが、負担が大きければ、必要差し迫っていなくても

杖を買うか?という問題に、似ていないことも無いな!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

商品タグ

2007-01-11 10:19:43 | 健康・病気

大病院で、手首にバーコードバンドをつけさせられている。

東北大学病院勤務中の数年前に、導入が検討されたとき、

囚人の監視用で抵抗あり 

間違いが少なくなるなら と賛否両論であった。

続々と導入されている。 間違いがすくないという大規模追跡調査の結果を待ちたいが、

安全を護るためという、錦の御旗の基に急速な拡大普及が始まっている。導入に資金投入が必要で、経済活性効果もあるだろうが、患者=商品というイメージがさらに植えつけられるバーコード。

十把一絡げで、1人1人の区別、認識しようという注意力が急速に喪失してきている、証としてのバーコード認識方式の普及ではないか。

バーコード装着間違いだけはしてほしくないな!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犯罪報道:個人情報保護

2007-01-06 09:39:05 | 日記・エッセイ・コラム

正月3日から報道されている、歯科医師宅短大生死体切断事件に関する情報は、家族の履歴に関して次から次へと報道されている。

個人情報保護条例施行後の、過剰とも思える規制は、殺人者の家族になった途端に、逆切れのように露呈し放題のマスコミ。

同じ殺人を犯した、交通事故、ひき逃げ犯、強姦殺人者の近辺の情報露出とは程度が違う。

”歯科医師一家””被害者は芸能人”ひとのうらやむ特殊環境で、マスコミとしては商品価値が高いので、売りまくるためのプライバシー無視政策なのだろうか?

節度が無いマスコミ報道と、個人情報保護条例施行とは無縁で無い、表裏一体なのだろう。

プライバシー無視、人格は尊重しない、興味本位 がテレビの枠内だけでなく、一般社会に蔓延してしまったのが今の日本。

人間社会は微妙なニュアンスのバランスで成り立っている。やさしさが壊れてしまった日本。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご都合主義

2007-01-04 13:58:49 | 健康・病気

50台の息子からの電話。

患者の妻が、大腿骨骨折をして、入院した。そこの病院は、総合病院である。

家族の、患者を見る都合上、転院をお願いしたい::とうの患者の身の回りの世話のために、頻回に病院と自宅を行き来した事実はない。

治療は、そこの病院でもできると、当院の医師が言ってくれたし、転院先の先生も受け入れて治療してくれるといっています::当院の医師は、他院で治療可能といってないし、受け入れ予定の腫瘍科の先生は、造血器腫瘍の治療は専門外で無理と言っている事実があります。事実と異なったことで名前を出された人の迷惑は考えないのだろうか。傍迷惑。

大学病院で診断、治療を受けていたが、死んだほうがましだとまで患者が言った悪性腫瘍による疼痛がひどい状態で、友人の医師のつてで入院してきた。悪性腫瘍は、何で恐れられているかに思い至らないのだろうか?

貧血は、数年来指摘され、医師会の健診で、特に精査必要なしとコメントされていたから放置していたと患者は言うので、そんなことありますか?といったのですが、これも患者側のご都合主義のうそでしょうね。

悪性腫瘍の治療1コース終了、造血障害から回復したばかりの患者です。

壊れたものの修復を依頼され、少し見栄えが良く、外見はわからなくなった途端、もう終了してください。お願いは中止させていただきます。という感じです。すっきりしない、不快感を撒き散らかして去っていった一族。患者も、息子も医師。

精魂込めて、治療する側の気持ちを知っているのかね?

自分の貧血の原因を見出せなかったことで、自分か診察した患者で見逃しはなかったかと自戒することも、自分自身の力量の限界に思い至ることも無い、傲慢不遜さのみ、真実の意味での患者に対する親切のない、経済、御都合、手軽さのみを優先させる医師のようで、不快極まりない。

悪性腫瘍は、治療を任せる患者の信頼、信頼に応えようと日進月歩精進する医師

相互でつくりあげていくべきものであった、お手軽に次から次へと乗り換えていけばいいものではないだろう。医師ともあろうものが!と慨嘆しきりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欠礼

2007-01-03 17:04:59 | 日記・エッセイ・コラム

東北大学医学部勤務中は、1990年、恩師宇塚善郎先生が退官後は、第3内科の血液担当医は私一人でした。骨髄移植の主治医は、私一人で15年間、そのほかの患者も、何がしかの助けはあったものの、血液疾患の主治医は私一人でした(他大学ではどうなんだろう?)。時間は、細切れで、研究成果を公表するための論文作成の時間はとれませんでした。宮城学院女子大学赴任後、3年経過し、少し慣れたので、昨年は成果の好評に向けてデータ整理、文献書きを始めました。

昨年で終わらそうと努力したのですが、まだ道半ばで、昨年の続きが今年です。

来春には、年賀状が書けるよう、刻苦勉励する。

多くの賀状をいただきました。欠礼は、体調不良で弱ったからではありません。

研究に協力してくれた、私の患者への約束履行を優先させました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

基準

2007-01-03 16:53:18 | 日記・エッセイ・コラム

基準は、つくられ提示される。

この”つくる”行為の基を何とするか、規模はどのくらいにするかなどで信頼に足るかの判断がなされる。信頼できるか否かを、統計処理で決定するのが近年は流行となってきている。

統計も絶対視するのは危険で、統計手法も学問で人が作り上げているということを忘れてはいけない。

自然現象は、宇宙の基準での確立がなされるので、誤差の幅は人間の時間で考えると、一生の時間より長かったり、地球の直径より長かったりすることが多いような気がする。

行政では、大都市を念頭に置いたというか、遠く離れて実感が消失して、自分たちしか見えない人による政策立案の実行で、東京一極集中を加速するようなことばかりがマスコミから流されている。大都市の政策の基準、大企業の基準は、経済効率=マネーのみ。真実を化かすための小手先のキャッチフレーズは流しているけれど。

1970年まで、列島改造という景気の高揚期の大都会の人間疎外をいやというほど実感して、東京近郊で成長したので、人口が集中した結果、広がる空は、高層ビルの屋上にでも行かないと手に入らなくなっている今の首都圏に住むための犠牲の大きさを実感できる。

医療の治療について、標準治療を確立するのが流行している。多くの時間を避けないときは、準治療に準拠して治療を行えば、可もなく不可もなくで、結果に対しては無責任になれるような気がする。マスプロダクション医療行為と呼んだら語弊をまねくだろうか。

生物としての人間の生存のための共通項と個性。個性的な人間が個性的条件で発病する=患者となる。

個性的な人間が、医師という職業を選択し、日々切磋琢磨して獲得した知識は、普遍化した事実を知識を、個性的な条件で学習し、医師という意見普遍化してそうであっても、個性的な視点で診断する。治療は十把一絡げ的な推奨されている標準治療を行う。

これでいいのか?テーラーメイド医療などと時折もてはやされていることと同じ方向なのか?

真正面から向かい合って一対一医療を行っている医師と、研究成果の発表がステイタスとなる医師による、目新しさをねらったメイクでなければよいのだが。

医療は、国による罰則を伴った規制。権威を握った医師による学問的規制。個人個人の多様な変化を認識しない患者からの攻撃。

今年も、人間同士の協調を旨とした、会話豊かな医療を、教育を、身の丈にあわせて、地味に毎日行っていこう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病院の年末・年始

2007-01-02 13:17:40 | 健康・病気

東北大学第3内科時代から、年末年始は、病院に拘束が、当然のこととして定着している私。

義務としての日直、当直から、患者の状態からと理由は様々。医師の良心、義務=権利に従うのが身につき、長期に患者の側を離れる理由は、学会参加以外には考えられないほど、”患者の近くにいて、事あれば馳せ参じなければならない”を習慣化してしまった、ということかもしれません。

在院患者数は、減少

多忙さは変わらず(退院、外泊できない状態で残らざるをえない人:お正月は家族、家庭への郷愁がことさらに強くなる期間にもかかわらず在院しているのですから)

社会保険、国民健康保険の診療報酬請求日も通常通り、10日なので、休日分を取り返さなければならない医療事務

病気に休日は無い!医療に携わるもの心得よ!

医師以外の医療関係者は、労働時間の枠内の勤務ということも事実です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする