連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

令和2年 2020年は変化の年

2020-01-23 11:08:37 | 日記・エッセイ・コラム

令和2年 子年

2004年4月に着任した、宮城学院女子大学を去ります。

仙台血液疾患センター廃院後の流れで、勤務している葵会仙台病院から、3月退職を告げられました。

生活環境の変化に対応すべく、準備、努力中。

 

年末、年始に寄稿した文の雑感 (投稿時は、葵会仙台病院からまだ、退職を告げられていない時期)

 

仙台市医師会子年の年賀状  人生航路の行く先は

 50数年前、受験担当の先生から、偏差値で医学部合格可能という勧めで、医学部を受験し、受験最中に麻疹になり、母は頑張ってきているほかの受験生に迷惑をかけるからということで断念。医学部受験に反対していた両親は、内心安堵していたのかもしれませんが、次年度の受験も親の意向を無視して医学部受験。縁のない仙台で初期研修の短期間を除いて、50年の期間を仙台で過ごしてきました。学生時代の半ばに発病し、治癒することなく今に至っていますが、病を得ても女性が自立した生活が送ってこられたのは、医師という資格があってこそと思っています。

 急性白血病を専門分野として、一時代を画した恩師宇塚善郎に治療してもらいたい患者は、全国から押し寄せ、昼夜を問わず多忙な日々が続き、数千人の患者は生き永らえさせることができました。しかし、約一千名の患者は、診断から見送る日まで、並走しながら、特に具合が悪いときは、四六時中心にあり落ち着かない時を過ごした末の死別は心に残っています。

 2019年11月下旬、薬師寺加加藤朝胤管主様とインド釈尊聖地を巡る旅に、逝去した患者名を携えて、同行させていただきました。仏跡では、勤行法要、そして移動。移動はバスでしたが、ほぼ、お釈迦様の歩まれた道に沿ってでした。イスラエルの荒涼とした乾いた大地とは異なり、緑豊かな、美しい花にあふれた大地にあって、この地で生まれた仏教を宗教と出来る幸せを感じられた旅でした。人混みの無い仏跡前の法要を行うため、早朝出発で、モーニングコールがあり、しばしの時間に、習い始めた篠笛を部屋でふくことを日課にしていました。最終日ペナレスの朝、お釈迦様が歩まれた道のりを思い返しながら吹いているうちに、蝶になりお釈迦様の近くを舞ったり、肩にとまったり、時には鳥になって追っかけたりしていました。

 研究の第一線を退き、入院患者も、ほぼ受け持たないようになり、これからは、幼き日、身近にあった文学、宗教を研鑽していきたいと思いながら新年を迎えます。

 

 

若林区 医師会報  引っ越し 整理、片付けは苦手 

 現在の場所に住まいするまで、9回の引っ越しを経験しています。大学入学で、神奈川の親元からの引っ越しに始まり、短期間の仮住まいと言う体で、本以外の家財、衣類は増えずにきました。現在の住居は、父が病を得た結果仙台での療養方針で、不本意ながら家を持つことに。両親と同居する前に父が亡くなり、居住面積60坪の家に、めぼしい家具がない空間に私一人と拾い猫達と住むことになりました。家全体が、収納スペースと考えてもよい独居生活は、捨てるのが嫌いな私には居心地の良い家となっております。 

 宮城学院女子大学の教授職を、今年度で辞することを決めて、研究室明け渡しのために、研究室内の片づけをしています。15年間宮学に在職していた痕跡もありますが、2004年東北大学退官時に同伴してきた物品もあり、当時の心境の感慨に浸りながらの作業となっています。当時は、東北大学医学部の講座改組後で、私が退官すると同時に、“東北大学医学部第3内科血液グループ”の消滅となるので、すべての処分を課せられていたので、選別もわずらわしくとりあえず帯同してきましたが、日の目を見させることもなく置き去りにされた物たちを引き出し、廃棄処分の決断を出せずにいる自分。先だつ、2017年12月には、廃院退去のために仙台血液疾患センター時代からの資料を断腸の思いで処分し、その後の不便、活動力の低下にもつながり。しかし、古希を過ぎ、社会からのinnovatorとしての仕事を期待されることもなくなり、現状維持、平穏無事であることが何より求められる日常の仕事レベル、そして日常生活。ものを増やさなければ、捨てることはしなくてよい、増えても片付ける必要のない家に住んでいるので、引っ越しで運びこんだまま、2017年12月の荷物を放置しておきました。さすがに、次の荷物の運び込み予定ができましたので、玄関先に積み上げていることもできず、移動、片付けにとりかからざるを得なくなり。でも、遅々として進まない作業、進ませない整理片付け作業。

 縁あって、また、気を惹かれて購入し、手元に来たものたちとは、終生近くに居られたらと捨てることをしないので、増えることになっています。なじみあるものたちは、壊れ、破れても捨て去るのは忍びなく、取り繕い、修繕しながら、手元に置き続けています。宮城学院研究室の退去は、徹頭徹尾空にすることが要求されているので、再利用価値を値踏みしたり、思い出の捨て去りがたい思いを抱いて、梱包作業の労力と、捨て去るときの虚しい心持を思い、記憶として残り続けることを選んで、自宅に運び込んだ後の、置きっぱなしを思い描き、廃棄、運び出そうの心のシーソーゲームが年度末まで続きそうです。

 究極の引っ越し、死も、身近なものとして次第に近づいてきている感があるので、今はやりの終活について考えます。縁、心惹かれで身の回りに集まってきたもの達に囲まれ続け、捨てないでいきたいと思っています。自宅は、全身の運動器の異常を伴う学生時代からの病気に対応した、バリアフリーとなっているので、AIロボットの介護力を借りて、在宅で死をむかえたいという強い希望があります。近親者は、すでに現世にはいませんので、死後は業者に処分してもらう選択をしています。かなり以前に、≪“バッタ屋”という商売があってね。丸ごと値踏みして家の中を空っぽにする≫という、患者の話を聞いてから、気になっていましたところ、最近は日常的表だった職業となり、業者も多いようで、意を強くして、ものを持ち続け、身近に置いていこうと思います。死の判定後は、現世での法的手続き、肉体は火葬により変化を遂げ小さくなり、先祖共々の地に帰ることを想定しています。死までの着地体制を決めたら、何かすっきりした気分になって、時間が余ると、長い間、連綿として伝わってきた経典に関心が湧き上がり、写経にはまっています。

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