連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

小骨がとれた感じ

2013-08-31 07:04:03 | 日記・エッセイ・コラム

スマートフォンに変更してから、カメラ撮影映像が送信できない状況が5月から続いていた。

友人のバラ栽培に同調し、我が家のバラをみてもらおうと添付メールを送信したが

ことごとく送信できません!とのメッセージを繰り返し見つめさせられた。

友人に相談。

「スマートフォンは、画素数が大きくいからよ!」

スマホ初心者である私は、撮影済みの画像をトリミングの御教授を依頼。

ところが、何回かの挑戦後、「この型番加工できない!」

それから、ドコモショップに相談に行き

第1回目は、相談員から”この型番は、撮影済みの画像は加工できるようにはなっておりません”????

”サムソンから加工のアプリが提供されているかと思います。ドコモでは関与しておりませんので、よくわかりません。”!!!!

”写真はギャラリーに保存されております。フォトエディターで加工できるかと思います。”

やれやれ。しかしそれからが大変で、時間消費も甚だしかった。

フォトエディターを使用するためには、samusang(サムソン)のアカウントを獲得しなければいけないと指令がでた。

手続き開始。アカウント獲得手続きの返信メール到着。

ところが、ところが、微少、微少なる文字画面。スマホの得意技である字拡大操作を行ったが反応無し!

あちらこちらいじくり回し、偶然画面がかわり、”選択開始”と出てきたのでタッチすると

字は、認識できる大きさになった。

ところが、どっこらしょと先に進んではくれなかった!

登録するためには、”アカウント番号をコピーして、プラウザから登録せよ”という指令が出ていた。

コピーできない! 実行不可!

やっとのことで、それなりの時間が確保できた8月下旬に再びドコモショップに何度目かの相談訪問。

またされること1時間。ところが、相談員も手こずりましたよ!

画面拡大がまずできない!ひょんなこと、偶然に拡大出来た。

コピーするのも大変時間を費やしたが粘り勝ち。

プラウザに貼り付け、認証確認。

フォトエディターを起動させ始めたのですが、それからも一苦労でありました。

40%進行すると停滞。再試行を押すこと何回だったでしょう!

ついに、中央の相談窓口に電話をしました。

電話中に、なぜか突然ダウンロードが進行し、完了成功。

ふたりで顔を見合わせにっこり(雰囲気の良い女性の相談員でよかった!)

それから、さくさくと送信。

ですが、ここでWiHiを接続していない方が送信しやすいことも判明!

もやもやした不快な感じが約3ヶ月。やっとすっきり。

すっきりついでに、兄の新ブログ作成のお手伝い。

http://kisakataraamenn.at.webry.info/ タイトルは、”ラーメンと猫” 

私は、え!ええー!え ええ ええええー (ジェジェジェーをまねして)

ストレートすぎるじゃないか。哲学科特有のひねくりまわした議論でうんざりさせられているのとは趣が違うぞ。まあ、そのほうがよいか。でも笑っちゃう。

必死なんだろうな!今までは、人の上に乗っかって安全域でお手伝いという雰囲気を無意識のうちに醸し出していて、まじめに真剣にやれ!とハッパをかけたくなっていた兄(弟と間違われることしばしでありましたが兄です。兄だと思っているからハッパをかけたくなったのも事実)

やっとこさ、アップさせてあげたのです。これも小骨が取れた感じ。

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食事をつくる!

2013-08-24 01:08:39 | 日記・エッセイ・コラム

食事はつくって待っていてくれるからと、そそくさと帰ろうとするとうらやましがられていた。

まともに調理して食べ続けるのは、何十年ぶりになるだろう。

食べる事は、生きることの基本で、と学生に教えている以上は、

雑にしてはいけない!と日々実践している。

しかし、毎日毎日続けても、成果にはならない。

食事を作り続ける原動力となっているのは

仏様への日々のお供え。

自分の空腹を満たすためだけだったとしたら、

食事を作り続けるか?あやうい。

人が生き続ける行為は、大変なことである!

と実感させられている食事作りの毎日。

台所は仕事場であると再認識中。

備品を把握し、動線を確立するのに1ヶ月以上を要し、

在庫管理、調整はまだまだ道半ば。

片隅を拝借して、エビデンス的な調理が

すべての場所を使えて出来る快感も味わっている。

秋の実りを実感できる植物はないので

来春に思いを馳せている。

ふきのとう、ふきの煮物。

夏の庭のうっそうとした景観をすっきりさせるためにも、こごみを天ぷらにして

ギボシはうるいとおなじなので、若芽をおひたしに

カラスノエンドウも、てんぷらに。

四六時中、病院に拘束されていた奴隷状態からの解放感も味わいながら

身近な植物を利用した生活を実践出来そう。

夏は、蚊に刺されながらも、お裾分け出来る程の茗荷を収穫。

招福楼で出された美しい紅色をした茗荷料理にも挑戦。

食事を作るというのは、

季節の変化にも対応して、材料を調達、保存しなければいけない。

廃棄を出さない工夫も、大事な経営感覚。

同じと言うことはない変化への対応能力が要求される知的で、

また、美意識も要求される高度な仕事を再認識中。

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まま

2013-08-18 11:41:34 | 日記・エッセイ・コラム

まま

高齢者と連れ添う機会が多い中で、”ママ”とことある毎に呼びかける老人がいる。

妻を呼んでいるのだが、妻でなければならないことはないらしい。

四六時中、食べたい食べ物を頭に思い描いては、声に出して、

食べさせて頂戴!コールが”まま”。

家庭は、バラエティに富んだ食料庫。

”ママ”は、食調達、在庫管理などありとあらゆる差配をするスーパーレディ。

かなわないな! と思いながら

”まま”は古今から 家の主役、母、そして妻の代名詞となったのは

食べる事すなわち生きる糧を、

守ってあげる事も含めて常時提供してきたから と 納得させられた。

まま、ママ、

地方によっては、 ”まま食うか?” のままはご飯であり、食事しなさいとの呼びかけ。

少しなまって、まんま、

世界共通、赤ん坊でも発せられる まま

ミュージカルにも、マンマ・ミーア

高齢者、認知症対応で考えさせられた”まま”

来し方も反映させた対応が必要な認知症高齢者には、

変幻自在柔軟な処し方で気分良くすごさせたいな!

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お盆の過ごし方

2013-08-16 10:42:47 | 日記・エッセイ・コラム

お盆は、先祖と共に過ごす感覚が定着して、行動の規制をしていますかしら?

学生時代は、夏休み期間中dなので強く意識しないままにお盆行事の中にいたきがし、ます。

医師となってから、特に血液を専門分野と定めてから、

親の老いを感じるよになってからは、帰省しよう!の決意をかため、

わずかなチャンスを見いだして、不意に帰省を決行(このような言い方しか出来内過ごし方をしてきました。

父が冥府に旅立ってから、家を守ってきた母があの世に去ってから10年。

冠婚葬祭に列席するのがお勤めと、

特に仏教行事にレジャー的時間の過ごし方を取り入れている東京の知人が同道していたので、

13日夕方に、お墓にお迎えに行き、

その後、空き家となっている家に戻り、

乏しい材料から必死の思いでお迎えの精霊膳をしつらえ

迎え火を焚き(13日中に迎えられ、安堵し、

私らしく、夜空を見上げペルセウス座流星群を待つうちに、疲れ切って寝付き、

14日の日の出と共に目を覚まし、朝の精霊膳をしつらえ、

東京に夕方前に戻ることを希望する知人に合わせ、

昼前には、位牌と共に、汽車に乗る慌ただしい過ごし方をしてきました。

東日本大震災後の慌ただしい激変の中にあった病院のやりとりで帰省出来ず、

2012年も、まだまだ尾を引いていて帰省するどころでは無い時間の流れの中にいました。

3年ぶりとなる今年は、

14日の昼間での勤務終了後、14時38分発の”こまち”に乗車。

8月9日の豪雨でそぎ削られた区間も走るので、遅れること1時間。

運行しているだけで有り難い光景が広がっていました。

秋田駅下車、食材調達はあきらめ、ひたすら道川の家にむかいました。

なんとかかんとか、夜中前に精霊膳をしつらえました。

母が亡くなってから始めて、一人での帰宅で、しかも夕方まで滞在出来る余裕の休日。

母の陣地であった台所の整理では、

沢山の道具を駆使して繰り出した料理の数々を思い出させる調理具、

使い残しの沢山の乾物、調味料。

私の食い初めの茶碗、箸も。

母に敬意をを表し、今しばらくは名残をとどめることに。

そして、母の部屋では、時間が止まったままの2003年12月のカレンダー。

今までとは違う体の衰えを感じて、

冬の間だけの、仙台移住とは思っていなかった母の決意で、

自ら整理をして、縁の方々に引き受けて頂いたおかげで、

今も、母を偲んでいてくれます(母の24時間を知らない遺族による遺品分配よりずっといい形と思います)。

カラになったタンスに囲まれて

どっしりと残っている日常の庭作業の道具。そのなかには、父と連れだった名残も。

非常持ち出しリュックサックと非常食も、ベッドの枕元に。

時間が止まったままの様子と、最近迷い込んだ子猫の騒動による慌ただしい変化も。

1日滞在出来る余裕を実感して、17時10分発の”こまち”で帰路に。

田沢湖盛岡間の15日帰路の映像

20130815_182631_2 線路下の土嚢の積み上げ

20130815_182640_2 流木

翌日は、17時10分発の”こまち”の車窓からの携帯電話画像。

復旧にした変化がわかりました。遅れは8分。土嚢も幅広くなっていました。

14日は、停車している程の速度だったので、鮮明停止画像が撮れただろうにもかかわらず

災害の大きさ、災害にあった人に思いを寄せ、懸命に復旧に従事している姿に圧倒され、

運行している事に感謝、感謝で撮影など思い浮かびませんでした。

新幹線の速度を反映した映像になってしまった。

お盆は、眷族の反映を願い、災害を乗り越える願いを込めた行事だろうなと思いいたり、

子孫繁栄を願ったであろう両親には、

種々の事情のはてに独身でまもなく生涯を終える”わび”を心の中で伝えた。

お盆とは、私にとっては、物憂い、身のやり場のない気持ちが起きる非日常のあの世に近い世界が毎年広がる。

やりたいことがあって過ごしてきたわけでもないので、後悔することもない。

毎日切羽詰まって、やりくりしながら過ごしてきた。

戻りたい刻は?と訊かれれば

両親が居るのが当たり前で、両親の苦労などは思いもよらなかった、

遊び、お腹がすいたよと食べ物をねだり、眠くなったらば、寝呆うけた幼き日には戻りたい。でも時間は止まらないで進むのであれば、今のままに最期の日を迎えて良いなと思う。

災害で突然、思いもやらない最後の迎え方でも良いなと。

これは、卒業直前の衝撃の一日に起因しているのかもしれない。

お盆は、子孫繁栄を味あわせなかった申し訳なさで、両親、祖先を思う日でした。

まだそう思える心身を持ち続けている今でした。

終戦記念日、敗戦を宣告した日でもありました。

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限界集落

2013-08-11 12:47:32 | 日記・エッセイ・コラム

大学は、夏期休暇期間に入り、ため込んだ雑事を果たすために、

昼日中に、バスに乗り、通勤時間帯とは異なる人町の気配を感じた。

高齢者が行き交う町。

昔の記憶をたどっても、高齢者一色の景色は浮かんでこない。

特に夏は、どこにでも子供の姿があった。

65歳以上の人口が50%以上を占める集落を、

危機感をもって社会学者 大野晃氏が1991年に”限界集落”と提唱。

まもなく、限界集落構成員にカウントされる年齢になるという自覚がない私。

65歳以上の占める割合が、2020年には、29%と試算されている。

いまや、高齢者は75歳以上でという施策は、

誰が稼いで養うかという直面している”金”問題と、連携直結している。

生産、他者を支える体力に思い至るとき、

また、社会システムとしての労働対価として金銭を受け取れる仕事の存在を考えると、

都会は、より厳しい限界集落が待ち受けていそうな気がする。

衝撃的であったのは、山口連続殺人事件。

14人の集落で、5人が1人の都会からのリターン者による殺害。

農業、林業など定年のない仕事はあふれていただろう。

過疎とは、人と人との関係は、濃密とならざるをえない。

さらに、避けたいとき、避けられる環境が少なく、

カタルシスの機会は、個人の努力で創出しなくてはならないことが多くなる。

歳を重ねる程に、記憶は蓄積し、

我執に捕らわれやすい、移動が制限さえるような体力、環境のときに

感情が暴発すると、戻れない事態にまで達してしまう事件であった。

イザとなれば、自由である!固執することはない!

出て行こう!他に行こう!  

と行動できる強さを持てる体力、精神力が無ければ、追い詰められていくでしょう。

75歳以上のいわゆる後期高齢者は可能か?

自立的ではなく。他動的に迷惑排除的に、施設に移動、居住させられる現状。

受け入れた方が多分良いような気がする。

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