連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

掃除で思うこと

2016-12-28 14:55:16 | 日記・エッセイ・コラム
いつもせっつかされているような気分は、
30年近く経過して、開発からかかわった位相差トラッキング法による”薬剤性心筋症”を、やっと書き上げ、掲載までのsubmit,revise,accept,publishhedまで、こぎつけた安ど感、
引き続いて、request submitの機運に乗ろうとがんばって、"acute leukemia"も受理されて、来週には発刊されるという安ど感から、やっと得られた。
引っ越してきてから30年、年末の大掃除は、頭をよぎることがあっても、実行する時間はなく、
散らかっていても死にはしないさ!と、当座の生活スペースがあればと放置してきたが、
この年末は、病室の急変で呼ばれることもない、当直からも解放された時間のなかにある。

年末といえば、大掃除。
2011年の震災後も、当座のスペースを確保しただけの跡片付け状態であったので、
片付きません。
人の労働でできる範囲の微々たるものを実感し、
片付いている家の、”主婦”の労働力に思いを馳せ
わずかな時間で、片付けようなんて大それたことなり!と、お手上げ状態。
片づけるのに慣れていない!
お掃除、ハウスキーピングは、一大産業。
表を立てるための、裏方は大勢必要。
猫もいるし、などなど、片付けられない、言い訳は次から次と出てきます。
断捨離は、なじまないので、スペースがゆるすかぎり、再利用の方法を探りながら、分別仕訳保存。


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オブジーボ関連で思うこと

2016-12-27 15:05:48 | 健康・病気
肺がんの適応を受けて、医療破たんの元凶といわれ、
薬価の50%引き下げという、前例のない薬価引き下げ対象となったオプジーボ。
50%薬価引き下げで、欧米並みという。
薬価、適応疾患を肺がんにまで拡大したことについては、言及しない。

作用機序から、さらに適応が拡大されるだろうと思う。
免疫担当の”NK細胞”の活性化に起因しているのでhttp://yakkoyakuri.html.xdomain.jp/nivolumab.html、
突然発症して、急激に悪化する、免疫低下で発症してくる血球貪食症候群への適応拡大はどうなのかしら?
血球貪食症候群の、診断基準の8項目の一つに、保健適応ではないが、
NK活性の低下、消失(ほかの基準はhttp://www.3nai.jp/weblog/entry/41237.htmlなどのサイトを確認してください)。
中高年に発生する肺がんと違って、血球貪食症候群は、幼少時から、若年者を含め、広い年代層にわたってい発症する疾患。

大学入試直後に発症など、直前まで元気で未来への夢を持ちながら、あっという間に去っていった子にも使用可能にはならないのかしら
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年末年始の時間の過ごし方:楽しいい思い出としてよみがえる!

2016-12-24 14:34:16 | 日記・エッセイ・コラム
”クリぼっち”なる言葉が飛び交っている今年。
クリスマスは、医局で所在投げに、テレビ映像を眺め、どれほどの人がクリスマスを楽しんでいるの?結構一人だったり、しごとだったりしているのではないの!と、何となく騒がしく、差し入れてくれたケーキのおこぼれにありついたりして長年過ごしてきた。

急性白血病を専門としている臨床医たったので、主治医として病室を持っていた2012年までは、
年末年始の期間は、職場では休暇を取る体制なので、むしろ多忙で、休暇の予定は立てない!立てられないで過ごしてきた。
両親が生存していた1995年までは、何とか都合をつけて1泊の帰省を義務として、足場をやっと確保する混雑の秋田新幹線で戻り、
駅で待ってくれる父のもとに小走りでかけつけた。

両親とともに過ごした幼少時の年末年始は楽しかった!
NHK朝ドラ”べっぴんさん”の12月22日の、すみれさん、紀夫君二人で市場に買い物に出かけた映像から、
12月31日に、師走の町に、父と、母が連れ添って、買い忘れた物を買うためと、それ以上に、にぎわう街を見届け、無事に一年過ごせたことを楽しむための”恒例行事”を思い出しました。
師走、大晦日は、夫婦二人に入り込む余地のない雰囲気を感じたので、留守をしていたのですが、
クリスマスは、
終戦間もない1950年台は、
枕もとの、お菓子がぎっしり詰まった、長靴だったり、橇だったりを見つけると、夜中でも起きだしてはしゃぎまわりました。
銀座教会のクリスマスのミサ、パーティに連れだってでかけ、帰りは寒いので、父の大きなコートの中にくるんでもらったのも楽しい思い出。

1960年後半になると、何となく親とがうさん臭く感じられ、ギフトが楽しみになり、
記憶の中身は、乏しい寂しい景色が増えてきました。母は、お祝いの料理は欠かすことなく、”ハレの日”にふさわしい演出をしてくれつづけたのに!

年末は、おせち料理の準備が始まり、
仕上げは餅つき。
餅つきは、一家総出が原則だったので、1970年代後半になると、
臨床医となり、血液疾患を専門とすることになってからは、28日または30日に戻れるかの確認が必要となり、参加できないことがほとんどなってしまいました。
でも、父が病に倒れ、力が弱って、無くなる前の年だけ、兄1人でついたのを最後に餅つきをしなくなってしまいました。
一家の大黒柱だった父の逝去は、行事を遂行する張あいが無くなったのでした。
”うまい”と健啖ぶりを示した父なき後は、母の気持ちを察して、私が、母の手作りのお節料理を、医局に持ち帰り、医局に所在投げに詰めてわびしい正月を過ごす同僚にごちそうするのを張りあいとしてたくさんのおせちをつくってくれました。

ことしの年末年始は、ボッチ女の誘いが続き、姦しい日が続きそう。
猫になびしい思いをさせない調整に頭を悩ましています。

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白質脳症

2016-12-08 12:48:29 | 日記・エッセイ・コラム
他院から、紹介された患者につけられた病名の一つが”白質脳症”。

初発症状は転倒。原因検索の過程で、脳の悪性リンパ腫に起因する転倒と診断され、治療。
治療終了後、症状、腫瘤は消失したが、
発症から10か月後、治療終了後半年後に、歩行障害に始まり、症状は進行性で、1年後には歩行困難。
薬剤性の、脳白質の進行性の変性によるものである。

30年以上前に経験した、急性リンパ性白血病患者は、髄膜白血病へと進展し、
髄腔内へのメソトレキセート注入、放射線照射を施行した。
激烈な頭痛、吐き気は消失したが、
1年ほど経過したころに、知的レベルの低下をみとめ、2人の子持ちの彼女は、童女のような清らかな天使に戻り始めた。
治そうと必死に行った治療が、人格を喪失させ、多くの人体機能を奪う変化をもたらした衝撃は、忘れたことがない。

今回、脳の病変に対する治療は、遅々として進んでいない現実に、
30数年前の、幼子を残して、世を去っていた患者の当時と重なる。

医原性疾患
治療をせねばならない、発症する次の病変のジレンマ。

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