連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

デパート催事場でのお茶手前

2017-03-11 13:55:00 | 日記・エッセイ・コラム
急性白血病を専門分野として365日24時間、勤務時間外も絶えず呼び出される可能性の中で、40年以上過ごしてきたのですが、
やむを得ない事情で、病棟勤務が無くなった、無聊の時間の過ごしかたは、
多忙ゆえに発表できかねていた、今なお通用するデーターの発表
心地よかった、幼少時両親で慣れ親しんでいて、いつかはと願っていた
茶道、笛を始めようでした。
稽古を始めて1年半ほどの今年の3月に、お師匠様から

お茶は、催事場でのお茶席のお点前でした。
お師匠様は、裏千家宮城支部の副幹事という立場上やむを得ないとのこと。
昨年5月までは、宅稽古をされていなかったのを、
初心者のための茶道教室の指導を担当をなされた縁で、生徒一同が頼み込んだために始めて下さった宅稽古です。
日程が決まってから、6回の立礼手前の稽古で、3月5日藤崎デパート、大京都展でのお茶席でした。
広告にも、お茶券にも梶原社中と印刷されています。日曜ということもあり、催事に参加できたのは5名です。
何やらうれしさとと楽しさ、緊張が入り混じったなかで、打ち合わせ。
亭主の茶席への意向を示すしつらえは
軸は、喫茶去:大崎八幡神社の瓦の葺き替え時にでた檜皮を柵に、瑞鳳寺のご住職に揮毫していただいたものです。
   宗津先生は、お茶は楽しめばよいのですとおっしゃられながら美しい、無駄のない手前の所作を指導してくださいます。
花は、生命の息吹勢いを感じさせる咲くか咲かないかの、椿の加茂本阿弥とあけびを、3代目作の記念品である堤焼の花入れに。
水指は、菱形祥瑞写 花蝶窯 手塚石雲
薄器は、雲錦蒔絵 角出俊平造 
茶杓は、小寿 瑞鳳寺 前住職鎌田宗承師 88歳での作
茶碗は、仁清写四君子 久世久宝 鵬雲斎箱
    末弘小峠葛芳 丹山
    青海波 阿山
蓋置 鳥居 陶兵衛 (お軸に呼応した蓋置)
建水 脇差 吉向十三軒
  
薄茶点前用の抹茶は、福寿園の青仁の白
お水は、先生が汲んでこられた、定義山の長命水http://www1.securev.jp/~johgi/guid/tyoumeisui.html。

お席に参加された方から、おいしいお茶とのお話をいただきましたし、
後日、他の社中からも、おいしいお茶とおほめいただいたとのこと。
これは、たっぷりのお抹茶で立ててこそという、先生の持論を実践するために選んだ茶杓 小寿の櫂先、お茶をたっぷり掬える形。
たっぷりのお抹茶を引き立てる、特にベテランが立てた、絶妙な泡立てによる滑らかな舌触り(もしかしたら、梶原社中、初心者、私たち5人のお点前による主客のお茶が最悪かもしれませんが、問答ではお褒めの言葉がありました:先生の常日頃のご指導にお応えしようと必死で立てた賜物)。

そして、名水です。

1年少しで、大勢の人前で立礼手前をさせていただけ、社中の面々は、緊張したけど楽しかったという感想です。
梶原宗津、宗弘先生ご夫妻のお人柄によるご指導のおかげと、感謝しかありません
宗弘先生と社中3人、先輩と手前座で。
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3月11日 2011年の午後2時46分後6年経過した7回目の日

2017-03-11 08:27:41 | 東日本大震災
福島から、原発災害避難人に対する心無い中傷。
教育者でさえも、生徒を傷つける言葉を発しつづけるという、痛ましさ。
福島原発は、経済優先の日本の体質から生まれたエネルギー供給施設。
建設前から、アメリカの原発事故と同じ型で、建設位置も危険は指摘されていたという事実。
専門家が、建設しない場合の経済最優先論理から、危険性を認識しつつも、まれな状況だからたぶん事故は起きないだろうで、建設された福島原発。
地域を維持する産業の乏しい地域に、危険を押し付けるという、”富裕者”のエゴ。
避難者を傷つける人の心理も、自分は違うという、エゴ”
大多数に属する側の言葉の暴力。暴力を認識できない鈍感な人の存在は、”人の深層はこれほどの他者に対する冷酷さをゆうしているのか”と心を重く暗く、憂鬱にする。

6年経過しても、2553人が不明のまま。
身元確認できない遺骨、遺体も被害各県に。
遺体は、病院、在宅で亡くなった方とは状況が違うということを当事者でない方々は想像していただいたことはあるでしょうか。
震災後の復旧作業に当たった方が遺体に遭遇し、安置所に運び、棺に。
安否確認の果てに、沢山、沢山並べられた棺ののぞき込む。一目で確認できる遺体、衣類などから識別しなければならない遺体もありました。
交わされ続けた会話は、”見つかっただけましだ。となりは、まだみつからないもの” など。そして今も不明のままという家族もいます。
確認できる一族郎党亡くなり、公的年金受給状況から職員が思い至り身元確認に至った方もいらっしゃるという、大規模大害後の現地です。

被災地も、現実に面しながら生きていかなければなりません。
心の闇は、闇があるからこそ、他者に向かうときは明るくふるまう。
信頼できない限り、心の闇は語らない。
365日、24時間、重苦しい記憶、闇は同伴者であり続ける。
エネルギーにあふれ、他からの需要がある能力を持った人は、震災の記憶を次への教訓として力強い人材となると期待できる。
しかし、既に高齢な人は、慣れ親しんだ環境は根こそぎ奪われ、
体が動き続く限りは、生産に携われ収入を得られた海、農地は奪われ、
所在なく、時間を過ごさなければならなくなり、虚しさを抱えたままとしか表現できないが、人生の終末、死へと向かわざるをえない現実がある



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3月11日 2011年の午後2時46分後6年経過した7回目の日

2017-03-11 08:27:41 | 東日本大震災
福島から、原発災害避難人に対する心無い中傷。
教育者でさえも、生徒を傷つける言葉を発しつづけるという、痛ましさ。
福島原発は、経済優先の日本の体質から生まれたエネルギー供給施設。
建設前から、アメリカの原発事故と同じ型で、建設位置も危険は指摘されていたという事実。
専門家が、建設しない場合の経済最優先論理から、危険性を認識しつつも、まれな状況だからたぶん事故は起きないだろうで、建設された福島原発。
地域を維持する産業の乏しい地域に、危険を押し付けるという、”富裕者”のエゴ。
避難者を傷つける人の心理も、自分は違うという、エゴ”
大多数に属する側の言葉の暴力。暴力を認識できない鈍感な人の存在は、”人の深層はこれほどの他者に対する冷酷さをゆうしているのか”と心を重く暗く、憂鬱にする。

6年経過しても、2553人が不明のまま。
身元確認できない遺骨、遺体も被害各県に。
遺体は、病院、在宅で亡くなった方とは状況が違うということを当事者でない方々は想像していただいたことはあるでしょうか。
震災後の復旧作業に当たった方が遺体に遭遇し、安置所に運び、棺に。
安否確認の果てに、沢山、沢山並べられた棺ののぞき込む。一目で確認できる遺体、衣類などから識別しなければならない遺体もありました。
交わされ続けた会話は、”見つかっただけましだ。となりは、まだみつからないもの” など。そして今も不明のままという家族もいます。
確認できる一族郎党亡くなり、公的年金受給状況から職員が思い至り身元確認に至った方もいらっしゃるという、大規模大害後の現地です。

被災地も、現実に面しながら生きていかなければなりません。
心の闇は、闇があるからこそ、他者に向かうときは明るくふるまう。
信頼できない限り、心の闇は語らない。
365日、24時間、重苦しい記憶、闇は同伴者であり続ける。
エネルギーにあふれ、他からの需要がある能力を持った人は、震災の記憶を次への教訓として力強い人材となると期待できる。
しかし、既に高齢な人は、慣れ親しんだ環境は根こそぎ奪われ、
体が動き続く限りは、生産に携われ収入を得られた海、農地は奪われ、
所在なく、時間を過ごさなければならなくなり、虚しさを抱えたままとしか表現できないが、人生の終末、死へと向かわざるをえない現実がある



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