連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

慰められたのか?

2018-12-27 10:36:41 | 日記・エッセイ・コラム

年末年始は、家族が集う感が漂う季節。

”子供がいても、頼りになるわけでもなく、良いことなどないから、先生は、一人で自由に充実した楽しい時間を過ごせるんだから” と私と同じ年頃の子供を育て上げた高齢の患者が話し出した。

慰めとして、独身の私にかけてくれた言葉かもしれないが、

子供から、長生きしすぎと言われたことがあったらしく、度々”長生きしすぎ。子供に飽きられている”と、受診の度に言う。

内心は、長生きしてほしいと、常に子供からは言い続けてほしいのだなと、察しては、診療のみとは言え、30年ほどの付き合い、しかも生死の境をさ迷ったことがある患者なので、家族の人となりもそれなりには知っているので、たまたま親に言ってしまってから、繰り返し周辺に喧伝されることとなり、ばつが悪そうな時を経て、最近はまたかとあきらめの顔つきを子供がしている。

今年94歳で亡くなった叔母は、「子供がいると、孫のことも心配ばかりしなくてはいけなくて。一人でいのよ」と度々言われた。

結婚、家族がいることをうらやましくも思っていないので、慰めてくれなくてもな………と思いながら、

常識的価値観の年代ギャップを感じたものでした。

結婚している夫婦は、それぞれの所有物としての認識に則た行動が粛々と実行されていないと破たんが生じそう。

日々、出会うこともなく過ごしている知り合いからは、年末を共に時間を過ごそうとの誘いも多く、

整理整頓に回す時間は、減り減りで、年越しをしそう。

気遣ってくれる人がいて、会えて、話せるのは幸せを感じて。

 

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Vivisection:生体解剖

2018-12-14 08:55:37 | 日記・エッセイ・コラム

NHK Eテレ番組”人間ってナンだ?超AI入門” 老いる 編で、ニューロインパルスの画像を思い出して、思い浮かんだのがVivisecton,生体解剖です。戦中、感染させ生きているまま解剖した事例などが思い浮かび不快な響きを伴っていますが、

人体について深く知りたいという気持ちには、抗らえなかった、神さえも抑えられず、死体損壊遺棄罪の背景の一つなどと考えてしまいました。

エジプトのミイラ作成で、肉体については知り得た人々が古代からそんざいしていましたが、裸眼でしか見ることができなかった時代から、

病の基の変化を見極めるための観察手段としてより細かいことが見ることを可能にしてきた顕微鏡開発、光学顕微鏡、電子顕微鏡、位相差電顕、まだまだ。

人体深部を、超音波、CT,MRIによって可視化。

人体は通電体なので、電流を可視化。

生きたまま、生きた心の動きまで可視化。

肉体には、過去の履歴は刻まれている。分析はでき、未来への対策指針にはなる。

未来予測は、遺伝子を背景とした、血縁者、環境分析から。

完全予測は、不確定要素が多く確定不可能。確定できないから楽しいのでしょうね。

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深く知ると楽しくなる;フロイデ、羽箒

2018-12-08 19:44:50 | 日記・エッセイ・コラム

楽しい1週間だったな!

サントリー1万人の第9合唱団の一人として参加2年目。

12月2日公演参加に向けて、今年は、佐渡錬に参加できた甲斐もあって、

歌詞のストーリーが、マエストロの指揮、オーケストラの調べに乗せられて歌えるほどに、理解が深まった。

世界中の人と、目的を同じうして道を進む、

道の先にある、神の扉を開けてもらえ達成感にみちての入場。

単に歌詞をなぞられえて歌った昨年との違いの満足感。

大阪城ホールに向かう途上の交通機関内で読み始めた

【茶の湯の羽箒 知られざる鳥の文化誌】下坂玉起著 

話題になってはいたのですが、本を持参し、お師匠様にお見せしたところ、

手持ちの羽箒を出していただいて、しげしげと拝見し、

炉開き後の炭手前で、羽箒捌きの練習が始まっていたのですが、

羽根3枚が重なっていることさえき気づかず(お茶を稽古している人に、会うたびに話して、炭手前の練習を繰り返ししてくれる社中が少ないこと、羽根が3枚になっていることなどもちろん知らず!)

柄の部分の竹皮仕様が、時代環境の変化により移ろってきたこと、

おもてなしの心に則った浄めの道具としての羽箒、道具に対する美意識など、

歴史的背景、環境変化などが交錯した、希求心の先の解明は、さながら探偵小説。

楽しい。

 

研究分野からは退くことを余儀なくされても、

気になっていた不分明が明らかになったときも、もやもやが晴れスッキリ楽しさには、携われなくなった自分の口惜しさも少し伴ったりするけれど、専門領域外は、新しい知識に出会えると素直にうれしい。

歳を加えて、次第に身体能力は衰えるが、

神経細胞が機能している限り楽しい毎日が続くのを実感しました。

 

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