連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

教育方針は大事

2013-11-29 21:33:01 | 健康・病気

40年前の医学教育、研修をへて、研鑽を積んできた私が学んだ時代の医学部は、

内科、外科はGrosse、その他の科はKlineとおおざっぱなくくりをされていた。

Grosseとは、全身を見る科

Klineは、単独臓器のみの診療科。

20年程前から、内科、外科も、細分化され、臓器別の単科すたいるとなった。

全身をみて、診断は不必要な時代となった。

その弊害は、かなり明確になり、”総合医”制度が新たに生み出される時代となった。

最近20年間の教育を受けた医師に振り回された一日であった。

進行性の悪性腫瘍の貧血、出血がなければ貧血が起きないと考えている!

胃薬として内服した薬剤でおきた貧血は中止すればすぐに回復すると考えている!

体内の細胞も、生産量は体内製造システムで規制がかけられている。

短兵急には行かない。

得意科目は、詳細まで把握し、困難さを理解し、判断するのだろうが、

分野外は、回復を期待するあまりに、すべての過程をスキップしている若手医師。

全身に起こる変化を全く考えず、異様な所見と考える。

全身の臓器の連携についても一考する医師であってほしいが、

容易ならざる事だと悟らされた。

5人の若手医師それぞれに共通していたので、

短時間のアドバイサーとしてでも、膨大な時間を費やし、

教育方針の大事さに思い巡らさざるを得なかった。

背景には、責任逃れのために、沢山の科への紹介に次ぐ紹介。

もう一つ考えたことは、日本語の表現が下手なために、

患者には真摯に向き合っているが、真摯さが伝わらないだけなのか?

体は臓器の寄せ集めではなく、

分担しながらの連携、協調でいきているのだから、

全体の影響は・と考えた痕跡を見せた紹介状を書いてほしい。

人間が生き続けられるのは、全身臓器の調和

不調、病気であっても

どれか一つの臓器だけの不調として症状がでるわけではない。

一元的に理解できる病態として探り、

無理なときには、さらに別の病態が発生している可能性を求めよ。

臓器別の診療科体制とは、無縁な探索方法かもしれない。

体は、一つ。一体化して動き、生きているのだから。

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人生はすばらしい:劇団四季公演

2013-11-28 23:59:00 | 舞台、芸術

この日のスケジュール以外は日程が取れないので、

劇団四季のSONG&DANCE60名取公演を観劇してきました。

人生はすばらしいい、生きるに値する、メッセージを受け止めながら、

生きたくてもいきられず、治してあげられなかった患者を思い出しつつ。

土地勘がなかったので、杜のせき下駅は名取駅より仙台に近いと思い込み、

仙台空港線に長い待ち時間を、

太極拳選手権も近くなり、人がいないのを良いことに、寒さに耐えるのもかねて練習。

発車間際には、乗客もちらほらと思っていたら、集団の乗客。

本日出演したメンバーでした。携帯で撮影。

劇団四季は入り待ち、出待ち禁!

映像権などもあるので、個人の楽しみとして公開せず。

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パラリンピッ

2013-11-10 15:11:27 | 健康・病気

現在は、オリンピックに引き続いて開催されるのは当然と受け止められる。

1964年 日本で初めて開催された東京オリンピックでは、国際障害者大会の同時に開催が企画されたが、資金難に直面。

資金難を解決する募金の注目度を集めるためのネーミング”パラリンピック”だったという。

現在は、同じパラリンピックでも、語源は東京大会とは異なり平行開催をいみするのだとか。

同時開催が義務化されたのは2000年で、2004年から歴史は浅い。

障害者は、五体満足の社会からの阻害、封じ込めは一朝一夕にはいかない。

戦争で、五体満足であった兵士の戦傷のリハビリテーションとして、イギリスのストーク・マンデビル病院競技大会が1948年のリンドンオリンピック開会式と同時に行われたという。

日本でも、障害者の体力、自信をもち明るい希望と勇気をを願った人の協力で実現。

東京パラリンピック報告書に実現までの熱意によって開催にこぎつけたのがみてとれる。http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/handicap/jsad/z16002/z1600201.html

今は、太極拳に協力に誘ってくれた友人のおかげで、自分の足で歩行、運動可能ですが、

大学生活の半ばで発症し、次第に進行し、卒業を控えたころは、

さきゆきは暗く、さらに絶望的におとしいれられる言動にも出会った冷たい現実と重なる。

甘やかさないが支えてくれる人、自立しようとする意志などの両輪があってこそ。

肉体的、精神的障害は、動きを続けるうちに軽減するという実感があります。

人間の潜在的復元力は、すごい可能性を秘めていると思う。

性懲りもなく、今年も第21回宮城県武術選手権大会(12月21日)に参加します。

2011年が、なんとか健常者の姿勢になったといわれたので、

それまではリハビリ中にもかかわず、知らぬが仏でのエントリーでした。

ハラハラどきどき毎年応援しながら見守ってくれていた方、

演武の下手さにあきれかえって大会を汚すという感じの方

の存在はもちろん気づいていましたが、開き直って参加してきました。

これからは、練習の成果の進歩と、

老化による運動能力の衰えのバランスを

自分自身で観察するという興味があります。

コメント (1)
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