連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

してやられた買い物:とうほく蘭展2016で

2016-01-31 21:18:08 | まち歩き
とうほく蘭展&バラとガーデンフェスタ

蘭の展示は素晴らしく楽しめました。


蘭販売展示ゾーンでの購入での出来事。
地元の出品者から購入しようと”Z王洋蘭店”で、値下げというので1点購入し、さらに1500円というのでさらに選んだところで、
《こちらのほうがつぼみがついている》と、棚からとりだしたが、1500円の値引き品をつつみ、値段は値引きしたような言い方でさっさとさしだしたので、値引きしてある品なのにと抗議したけど無視され、次のお客さんの相手で。あきらめて引き下がったが、家に戻ってからも、釈然としない。
北の地での洋ラン栽培、維持は南よりはコスト高で、カモに見えた客からは、値下げ分が惜しくなったのかもしれない。
遠方から来たお店のほうが、売り切ろうと思って、気前が良かったし、品も豊富だった。



釈然としないのは、きっぱりと、主張できない自分に腹が立つ
せしめられた相手が、しめしめとまた同じ手口を使うかもしれない根を立てなかった自分に腹が立っている。
日常生活を営んでいる場では、きっぱりとしようと自分に問う機会を得たのだということで、気持ちを立て直すことに。

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行政規制と軽井沢バス事故

2016-01-23 08:53:40 | 社会・経済
痛ましい。
平成14年規制緩和後の、大型バス営業会社は、倍どころではない増加という。
バス台数の増加は、金銭で片が付く。
大型バス対応の運転手は?
資格ありの人が、ごろごろいると考えられる?

バスを利用するツアー会社は、低運賃バス会社を漁り、その結果、バス会社は、経費削減を迫られるのは必然でしょう。
平成12年4月29日の関越自動車道での高速ツアーバスの居眠り事故で乗客7人死亡を受けて、
行政指導、規制を新たに出したが、
行政規制に対応できる人数確保ができるか?などの背景を無視した規制は、

法律の変更が、解決策になっていない。
違反者、違反業者を生み出す。


解決策にならなかった、最大の事件は、年金記録のオンライン化の期限に間に合わなかった、年金記録年金記録漏(実質の損失は、年金を支払った国民であって、国は、年金漏れ対策の費用は、国民の税金負担となっただけ。これは、国だから)。罰則を受けたくなかった職員の仕事ぶりから発生したのではないですか。
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同意書

2016-01-19 16:32:13 | 健康・病気
20年以上前の外科手術に際しての同意書内容について、
”予想外の患者の状態で、不測の生命に危険が及んでも了承せよ”という内容の同意書を患者側から取得していても、不測の患者に不利な状態が起きたときの責任回避のための同意書?”責任回避など出来るはずもない!”何の役にも立たないのではないかという議論が起きた。
20~30年前は、文書としての説明書を残すという風潮は皆無に近く、
患者、患者家族と医師は信頼の絆で、最善を尽くす、尽くしてもらえる時代だったのだ!と思い知る当今。

非常勤医師として、週1回、外来勤務をしている病院で、
骨髄穿刺が診断確定、生命予後のために必須の患者であった。
骨髄穿刺については、紹介元の先生からも説明を受けていたようで、同意は容易であった。
その患者は21歳と何か月で、成人。
大学生で親の扶養をうけている人だと思った外来担当看護師が親の同意が必要であると主張し、”親は外来に同伴していないので、遠方の親に電話で説明し、同意を得ろ!”と命令された。患者本人は、”親には、受診を説明してあるので、どちらでもよいですよ”というのであるが、担当看護士の、強要度合いは並ひとかたならず、電話での説明には、同調したくもないので、拒否すると、病院の立場がある、言って頑として引き下がらず、電話をかけ、父親にはつながらなかったが、母親にはつながり、電話口に出ているから説明しろという。
「骨髄穿刺をしますが、よろしいですか?」だけでは、済むはずもなく
確診に近い、疑っている病名を明らかにするためには骨髄穿刺検査は必要と説明した。
昨年末は、のどがはれ、耳鼻咽喉科を受診していたが、年明けは、元気で陸上競技の選手として練習に励んでいるわが子が、”白血病”を疑われていると告げられた母親は、電話口でも明らかな涙声となった。
患者側は、電話による、顔の見えない説明に、二の足を踏んだ通りの、波及心理状態に陥り、予想した事態に陥ってしまった。
不本意ながら、意に反した電話口での強要説明での事態で、釈然としないままに、
患者への説明責任の範囲を考えた。
特に今回は、病院側の保身が主なのだという説明の看護士の強要。そして、この看護士は、検査には、立ち会いません。検査時の注意点は、この病院では、骨髄穿刺に立ち会うのが初めてという訓練を受けていない看護士がほとんどなので、検査時、検査後、帰宅後の注意は、40年間で、数千例の検査施行実績がある私がすることになります。検査前に、不慣れですので教えてくださいと看護士側から聞かれたことはありません。


同意書 同意書 同意書
同意書取得に関する嫌悪感は、

同意書を取る側には、≪同意による身の保身、問題が生じた際の発言力の低下≫を意図しているからだろう。
説明責任を果たした証とするには、同意書は簡潔すぎるだろう。説明時間の長さの記入も必要ではないか?
電話での説明を、当日担当の看護士による強要を拒否しきれなかった、説を通しきれなかった自分の力量に落胆したのが大きいかもしれない。
病院の立場、見解を羅列してある同意書の場所を常備させ、その文責は院長にあるという点を明記、同意していただいた上での、2段階にしようかと思う。


医療は、患者の信頼に応えなければならないが、未知の部分も多い病気に対しては不本意ながらということもあるが、それでも、応える責任を果たすために、古今の文献を渉猟し日々新しい知識を得、全身であらわさねばならぬ。日々の努力を怠ってはならぬと:教えを実践された宇塚先生の下なので、同意書取得風潮にはなじめない!

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紫式部のメッセージ:駒尺喜美著

2016-01-18 10:30:15 | 血液専門医宇塚善郎
紫式部のメッセージ 駒尺喜美著 朝日選書 1991年発刊

 元の仙台血液疾患センターの院長室は、先生が生存時と大きな変化はありませんが、かっての応接室へと抜ける扉は閉ざされ、当時応接室にあった一般書が、扉の前に移動した本箱内に並べ、積んでいます。その中一冊をたまたまてにとったのが、《駒尺喜美著 紫式部のメッセージです》。
 2016年度のセンター試験の休養室待機を終日しているなかで、読み始めたらやめられませんでした。
 1991年は、開院間もなく、やらなければならないことが満載で、ゆっくり読む暇もなかったからか、宇塚先生から、この本の読後感を聞くことはありませんでした。聞きたかった!

 紫式部の百人一首に入っている
めぐりあいてみしやそれともわかぬまに雲がくれにしよはの月かな
  の歌を送った相手が、女友達だったとは!

紫式部は、男との間でより、女との間で多くの相聞歌を取り交わしている。女たちに深い愛をこめている人、そのメッセージを織り込んだのが、源氏物語という解釈。
 父や夫に従って地方に行ってしまった、生きて再開かなわなかった女友達との別離。
 多くの妻をめとっていた藤原宣孝との29歳ころの結婚は、急逝により2年ほどで終焉し、残した歌は 見し人のけぶりとなりし夕べより名そむつまじき塩釜の浦 などで、
紫式部がかかわった男性は一人のみであったようだが、夫を悼む純粋の哀傷歌は無いといいきれるほどの感情しかもっていなかったようだ。
 紫式部は、心を主に考えると同性愛者だという。この本にでてくる、その文面にうなずくのみ。同性愛を、性的関係を直ちにイメージするのも、男性優位社会の洗脳かとも思った。

宇治十帖を書かずにいられなかったのは
道長の誘いに応じない、式部に、お仕えしている中宮彰子の前で、
 “すき(好き、酸き)ものと 名にし立てれば 見る人の をらで過ぐるは あらじとぞ思う”という歌:
 注釈 あなたは浮気者という世間の評判だから、あなたをみかけて言い寄らぬ人はいないだろう。
 源氏物語が、恋の賛美としてのみ受け入れられたのでは、
「見るにも飽かず聞くにもあまる」女の状況を、「心に籠めがたくて」「後の世にも言い伝え」たいから、書いた源氏物語の意味が失われてしまう。からだとの解釈。

女ほど不自由で哀れな存在はない。
望まない、望まれてしまったための結婚。幸せな女の不幸
桐壺帝の寵愛を受けた、桐壺の更衣(四位)の不自由で、いじめから逃れることもできず、夫=帝の無理解で、衰弱しきってからの里下がりで、その夜に亡くなり、死後の女御(三位)の授与。桐壺の更衣の子が“光源氏”。
そして、今度は藤壺の宮との光源氏との密通。
紫の上は、光源氏のもてあそびとしてさらい、藤壺と葵上から満たされぬものを満たすための生贄人形として、自分の都合の良いように養育し、女主としての、六条院では、光源氏が関係のあった女たちを住まわせ、明石の君の娘を育てさせ、そのうえ夫、光源氏は女三宮と結婚し、などに耐えに耐え自我を殺して源氏の心に沿って生き続け、死去された。
柏木亡き後の妻、落ち葉の宮が柏木の友人夕霧から言い寄られたことを知った紫の上が“女ばかり、身をもてなす様もとこせう、あわれなるべきものはなし”=女ほど身の処しかたが窮屈で、痛ましいものがあろうか、きっぱりといっている。
男の視点のみで選ばれ、評価される世の中で、結婚しなければならない女の不幸から、結婚をしない“結婚幻想”を打ち破りたかったために、宇治十帖を書き加えた。という。

源氏物物語の主人公は≪女たち≫で、女を見つめる作者の視点は、主に娘たを見守る母の言葉として示されている、という。
源氏物語は、帚木の冒頭、夕顔の結語の部分で、“理想的に見える男も、女の知らぬところでひどいことをしているのだということを、分断されて家の中にかこいこまれて女たちに伝えよう”とした、紫式部の地の声をさりげなく、きっぱりと書き込んだ物語だと。
今でもつづく、男の強姦、和姦を正当化している男社会をリアルに書き込んでいる物語。

古文を書き写したので、興味があれば読んでください。
帚木の冒頭
“光る源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれたもう咎多かなるに、いとど、かかる好き事どもを末の世にも聞きつたへて、軽ろ美たる名をや流さむと、忍びたまひける隠ろへ事をさへ、語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。さるは、いといた世を憚り、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなく、交野の少将には、笑われたまひけむかし。”

夕顔の巻の結末
“かようのくだくだしきことは、あながちに隠ろへしのびたまひしにもいとほしくて、みなもらしし止めたるを、「など帝の皇子ならんからに、見ん人さ語ほならず物ほめがちなる」と、作り事めきてとりなす人ものしたまひければなん。あまりにもの言ひ性なき罪避り所なく。

古文では読みがたいので、現代語訳を再度読み直し、特に
谷崎純一郎訳VS
瀬戸内寂聴訳、田辺聖子訳、与謝野晶子訳を比べてみよう。

千年たった現在、男尊女卑の発言は、政治家の議会発言にかぎらず、強姦者の、喜ぶと思ったとかの発言、また肯定するような世の風潮など、枚挙にいとまがありません。
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1年の計は元旦に

2016-01-01 15:42:17 | 日記・エッセイ・コラム
年を取ると、縛られていたものが次々となくなり、
昨年に、恩師が逝去した今年は、行動はすべて自分で起こさなければ、淡々と時間が過ぎるのみ。

年頭にあたっての初詣。
1991年開院以来、名取川をはさんで目の前に飛び込んでくるうっそうとした檜にかこまれた、熊野神社本宮、新宮へ。
2年前はわたくしの両肩につかまりながら、参道を歩き参拝したが、
昨年は、車の中で待機され、私に参拝を託され
今年は、一人で自転車を利用しての初詣。
これからは、ずっと一人。

紀州熊野三宮を信仰する名取老女により分社が許された”熊野三宮”
以前は、体調不良の時は、水に浮かせて飲むと回復すると八咫烏を分けていただいたりもしましたが。
サッカー人気で、三宮が整備され、参詣者が増えてからは、
時代が変わってきたのを実感した今年でした。
今年は、東日本大震災の復興祈念の能<名取ノ老女>の上演があります。
3月25日、26日。前売りは2月9日(PC),10日から。http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2015/3982.html?lan=j
仙台には、能楽堂が無い。

大震災後、東京は遠いところと思えるようになって。
帰りを待ちわびている先生を思うと出かけられないであったが、今年はふらふら出歩けそうです。
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