連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

3.11 の後始末

2012-12-31 17:08:23 | 東日本大震災

2011年3月11日以後も、時間は規則正しく過ぎている。

自宅は、寝食の場を確保後は、

復旧に向けての努力、整理整頓は、膨大な仕事量の前に断念していた。

震災後の痛手が続き、病棟を秋に閉鎖したので、年末の休暇が取れたので、

一念発起し、片づけをした。

1978年6月12日の宮城県沖の経験から、家具がない我が家は、本のみが散乱。

戻すべき、本箱が押しつぶされ、棚に残ったも押しつぶされ歪み、取り出すのが困難で

今回は上から順番にとりだし、最下段は、床に押しとどめられ、現状を維持していたことが判明。Cimg0003 

本の整理、取り出し可能にして、投稿途中で断念していたデーターの再投稿が、研究職の復興の第一歩の踏み出しと位置づけて29日から延々とやり続け、必要な論文は、取り寄せで対応可能なので、古い雑誌は廃棄(多大な消耗エネルギーを費やしました)。

廃棄により、使用可能な本箱に散乱していた本を収納できました。

思いもかけない、失くしものがみつかりました。

Cimg0008

片方になっていた母の手編みの靴が埋もれていたのでした。

大学入学時に、母からお供にと一緒に仙台に来た喜久ちゃん。

いつか、暇になったら新調してあげると約束しているのに、いまだに母の手編みの衣類と、

学会で外国に行った時のお土産の飛行場で購入した衣類のみ。

ブカブカ衣装ばかりを着せているうちに、44年間も経って、少しお年をめされました。

靴が出てきてよかった。

2011.3.11 午後2時46分からは、ライフラインの窮乏を経験し、

失ったものを求めても、元に戻そうとしても、元には戻れないことを目の当たりにし、

”変わらないことの豊かさ” を噛みしめながら

毎日を生き延びれたことにほっとしながらも、社会の一員として、自分以外への貢献はできるうちにすると心掛けていても、亡き母が編んだ喜久ちゃんの靴が戻ってきたことにうれしく、

来年2013年は、穏やかな年であることを祈りながら

2012年が、過ぎていくことに感謝して大つごもりの時間を過ごしています。

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便利は不便

2012-12-27 19:21:25 | 日記・エッセイ・コラム

日ごろたまりにたまった些細なことが順調に解決されていったので、遅い昼食をとってから

とりすぎで払い戻しをするという配達料を戻してもらうために○○量販電気店に行った。

315円のために1時間を要した。

2点を同じ場所に配送するときは、2点目の配送料は半額になるのだそうだ。

半額にせず、1点購入料金を積み重ねた請求のために生じた配送料の返金に対して、

購入商品をキャンセルし払い戻す手続き。

キャンセルされた配送センターにある品を、再び量販店に戻す。

;;配送センターへのアクセスに、長時間を要した。

カードでの購入であったので、カード支払いのキャンセル手続き。

5年間保証量の払い戻し。

それから、それから、再び同じ商品の購入手続き。

再び購入手続き。

追跡可能な配送システム、そして、量販店ゆえの

”315円”の返金に対する思いもかけない1時間もの手続きであった。

発生した要因は、配送料を手作業で行ったためらしい(知識不足というべきでしょうね!)

PCを使っての入力の場合は、

2点目の半額は自動的に行われるようプログラミングされているらしい。

厳冬の一日。日は暮れ、道は凍り、

追跡可能な配送システムゆえの、予定は未定を悟った”315円の返金手続き”

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天童市 街路樹松の雪つり

2012-12-24 16:39:57 | 旅行記

週末日帰り温泉に誘われて作並に出かけました。連休の余波で、客が多く5時過ぎにならないと空きが出ないという。急遽、時間つぶしのために隣の天童までのドライブを決行。

天童駅から出羽桜美術館までの道は、立派な家が立ち並んでおりました。驚くべきは、街路樹が松で、”雪吊”がほどこされていました。冬だからこそ目にし出会えた光景でした。帰路は雪が舞いつもる道行となりました。

2012122316240000

大学に戻り、造血器悪性腫瘍を専門として35年、

学会以外、祝祭日の休日は考慮外でしたので、遠出を予定したことがありませんでした。

今年の猛暑など種々の要因で、病床をしばし閉鎖したために、

日曜日は休日となりました。

そのおかげで、友人からの誘医での休暇の過ごし方はとても新鮮です。

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猫の死に際

2012-12-22 15:34:21 | ペット

他の猫を蹴散らしてえさを食べていた猫。

警戒心は強いがなっつこい猫で、

一見して病気有りという風貌で、自宅に連れ帰り、

余命は1年ぐらいと思い。

毛のまだら縞から”ラダー”と命名。

よだれがひどく、好きな場所には、よだれカバーがかかせなくなり、

膝が曲がらないのか、尿は猫砂から外になるので、外周はパットを敷き詰め対応を余儀なくさせられ、 別名”ダラーちゃん”となったラダー

食べては、吐いたり、下痢したりと古代ローマ人のようだったラダーが

2週間前から、次第に食欲が細り、

歩くと足が広がる力の衰えを見せ、2階に上がってこなくなりましたが、

昨日の朝は、玄関から外に出かけ、睥睨して戻り、

夜中には、最後の力をふりしばって、

おやすみの定位置のために、階段を上ってきたのでしょう。

途中で休んでいるところで、抱えて、いつもの枕のわきに寝かせました。

のどをさすりながら、手足を動かしながら、朝方旅立っていきました。

8年間、独り占めしたい焼き餅甘えぶりでした。

まん丸のくりくり目が消えていきました。

よだれで、がちがちに固まっていることが多くて、写真が少ないのと、警戒心が強いので、

かわいいポーズはありません。

2012091613320002  2012091613320000

猫は、いつまでも甘える幼子のままで、朝夕まとわりつきながら年を取り、病気になっていくので、今生の別れはつらいです。

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宮城県武術太極拳選手権大会参加後日談

2012-12-12 18:49:55 | スポーツ

第20回記念大会ということで、目元涼やかな美青年による、

静動緩急自在な模範演武で、目心が洗われました。

「毎年参加しているので、緊張しないのでしょうね!」 と、声をかけられるのには驚きです。

緊張なしの人前の発表など、私には考えられません。

緊張しないと考える人には、違和感を感じ、驚愕してしまいます。

衆人環視のストレスにも耐えて私が参加するのは、意義を見出しているからです。

下手以前の病後の運動器の異常があるので、

お目汚しで、悪いなと思いながらも

前年度よりは上達しようという、

目的意識、意欲の源になっているという利己的理由です。

初参加の、全身炎症後の癒着で、がちがち、ジグザグ姿勢からすれば、

静止時は、かなりまっすぐになりました。

しかし、動きが入ると維持できなくて、ぐにゃりと曲がるのですが、

修正可能な弾力が戻り始めたのを今年は実感しています。

練習で足が伸び始めたために、

右蹬脚(ヨウドンジャオ)でぐらつき、いじできませんでしたが、

それ以外は、一夜漬けで修正した眼法は24式中なんとかコントロール

手、肘は、まだまだ。

疲労困憊した、選手権大会の翌日から、

指導者磯先生は、

来年の、捲土重来を期してビシビシと練習を開始しました。

期待に応えたいな!来年は。

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第20回 宮城県武術太極拳選手権大会

2012-12-04 17:46:58 | スポーツ

12月8日、9日に、仙台市青葉体育館; 北仙台駅近傍 で開催されます。

8日は、2時半過ぎから、記念の選手権覇者の記念演武があります。

野口敦子先生、高山宗久千世です。 参加費無料、

2012112908210000 

デザインは、太極拳仲間の樋口佳枝さんです。http://fudetoneko.jugem.jp/

知らぬが仏で、初参加後、継続出場10年目になります。

右手は、曲がりなりにも真っ直ぐとなり、

首も左に回転できる様になっての今回の参加です。

まだ、左半身は頭から腰まで、炎症の後遺症による癒着に伴う硬さはいかんともしがたいのですが、何とか軸を真っ直ぐに保つ意識を持ち続けて、そして力まずに演武出来たらと言うのが基本目標です。

昨日の練習で、回転するときに下を向くという指摘がありました。

左回転時に、特に下を向くのに気づきました。

左へ首は回らなかったので、下を向き上目使いで視野をカバーしていた癖だったと納得。

肘を下せ! この指摘は、肩の炎症、腕、肘まで固まっていたなごりで、

”以前にくらべれば随分良いけれど、もっとできるような状態になっている”と叱咤激励を受けて、残り5日、意識して練習。

新規に立ち上げた”美陽太極拳協会”を軌道にのせてあげたい知人の、強引な手法にのって渋々始め、2002年末、始めてから1年も練習していない面々は、盲蛇に怖じずで、

フェスティバル部門に集団で参加しました。

翌年からは、勤務の都合上、土曜日のフェスティバルには参加できないこともあり、

日曜開催の、個人戦、すなわち選手権大会に参加。

以後、騎虎の勢いというのか、ダントツ最下位に、開き直ったと言うべきでしょうか

めげずに参加しています。その時から続けているのは、もう一人のみとなりました。

全身炎症で、がちがちに癒着しているので、似て非なる演武なのはわかっているのですが、

身障者一歩手前の我が身は、蝸牛の歩みながら、確実に健常者のレベルに

近づき始めたという事実と、

”選手権大会で、人目にさらされるので、少しでも上達したいという私の願望、指導者の意気込み”を感じ、残りの時間も少ないし、有効に時間を使って上達し、健康になりたいという願いが合致しているからです。

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