連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

生き延びた高揚感も過ぎ

2011-04-22 19:41:16 | 東日本大震災

東日本大震災発生後6週間が過ぎ、

3月11日以前の日常を営むことができる場所で生活しているが、

診療のかたわらに、”どうしている?”と尋ねると、

時間の経過に伴う、じわっとした疲れ,不安がひそんでいる。

家を失っても、まだ働くところが残っていたらね!という慨嘆は切実。

やらなくてはと理屈で、わかっていても、

家を失い、職場を失うと、行き先がない。動きたくなくなる。

大震災の恐怖の経験は、記憶に残り、

忘れようと思っても、体の隅々までこびりついて離れないだろ。

喪失を味わってしまった後は、

解決とは無縁の時空に突入させられてしまったのだから。

とりあえず、時間を楽しく過ごす術を、その時々につくりだす。

頭の中のお友達に、話しかけて聴いてもらう。

歌う。

走る、飛ぶ、踊る。

さめざめと涙をながす。 私が実行してきたことの一端。

切り抜けてきたからといって、その時の悲しみは、今でも体中からあふれてくる。

悲惨な経験は忘れようと思っても、出ていかない。

“死んだほうがよかった”という声の数が次第に増えてくる状況にある被災地。

悲しむことができるまで、生き抜いてほしい。自死は思いとどまってほしい。

五感を研ぎ澄まし、そのような人を感じた時は、ふわっと優しい空気で包んでやってほしい。

大丈夫、頑張りますと言っている言葉が、そのままの気持ちであっても、

他の気持ちも同時に抱いてしまう時期に入ってしまった被災地。

復興を期待するが、

復興の兆しのか弱さ、遠い遠い先の復興に打ちのめされそうな被災地。

コメント
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